第10話

 「たしか……あっちの方角だったかな?」


 コンパス片手の湊についていくこと一時間。


 毒の沼のような泥濘んだ道を進んでいく小雛の表情は緊張と不快感、そして死への恐怖で引き攣っていた。


 それもそのはず、場所は十八階層、出てくる敵は全て小雛のような中級探索者では手の負えない怪物ばかり。


 それも煉瓦造りの迷宮型の階層とは違い、環境を利用して突然襲ってくる魔物がほとんど。


 よーいドンで戦いが始まることは滅多になく、魔物の不意打ちから始まる奇襲戦ばかりの中、一撃で死が確定する小雛に気を楽にしろという方が酷な話だった。


 しかし先頭を歩く湊はそんな小雛の様子など気にも留めず、妙に綺麗な声を歌詞に乗せて気持ち良く歌っているのだからまるで小雛とは正反対だ。


 彼女の命を預かっている身なのだから、もう少し真剣な態度を取ってほしい。


 嘘でもいいから。


 少しずつ歌に熱中し始める湊に焦燥感を募らせながらも、しかしその綺麗な歌声と歌詞に次第に小雛の心が和らいでいった。


 聞いたことのない歌。


 小雛の歳ではまず知ることのない昔の歌謡曲。


 足元の安定しない愛情と生活、それをつま先立ちの踊り子に例えた悲恋の物語。


 若い男女の未熟な愛の結末を歌った昭和の名曲は今の時代でも色褪せない。


 その透き通る歌声は声量を増してフィナーレを迎え、────lalala────と最後の歌詞を歌い上げた。


 最後には小雛も聞き惚れて、後ろ姿と声に、意識を奪われていた。


 その歌声はどこか悲しく、そして寂しく、その後姿は未来に背中を向けているようにも見えて────


 「そろそろかな」


 湊の独唱が終わり、意識を取り戻した小雛。


 それはコメントも同様だったようで、歌の最中に流れるコメントの数はごく少数。


 ほとんどの人間が聞き入っていた。


 ────すごく良い


 ────めっちゃ歌声綺麗


 ────曲もすごい良い


 ────なんか涙でそう


 ────歌詞、ちょっと悲しいね


 ────懐かしい曲


 再び流れ始めたコメントに小雛も同じ気持ちだった。


 ────ファンになりました


 ────マスター配信始めよう。チャンネル登録したい


 ────移住します


 ────これなんて曲?


 ────hotgooって曲だゾ


 ファンを奪われそうな予感がした。


 「良い……歌でした」


 小雛がそう言うと、湊は彼女へ振り返り、嬉しそうに言う。


 「ありがとう。僕の好きな曲なんだ」


 「そうなんですね」


 意外と物悲しい曲が好きなんですね。


 その言葉は不思議と躊躇われた。


 程なくして、二人の前に石造りの小さな建物が現れる。


 「さて上に登ろうか」


 彼の言葉に従い、建物の中の入ってすぐの階段を上っていく。


 建物の高さよりも明らかに長い階段を上り終え、外に出る。


 階段を上り終えると、そこは洞窟。


 その洞窟から一歩外に出ると、そこは灼熱地獄だった。


 「あ、熱い」


 出た瞬間、げんなりする小雛に、湊がドリンクを差出した。


 「はい、これを飲むと体が冷やされて、この暑さでも問題なく活動できるようになるよ」


 「……」


 「どうしたの?」


 無垢な声色だった。


 そんな湊の様子を見て、小雛は彼を疑う自分が少し恥ずかしくなった。


 素直に受け取り、若干躊躇いながらも暑さに背中を押されるようにぐいっと飲み干す。


 すると身体に籠った熱がすーっと引いていき、熱さを忘れられた。


 「すごい!熱くなくなったぴょん!!」


 ────ぴょん?


 ────かわいい


 ────ついに頭が


 小雛は今自分が何を言ったのか理解して顔を真っ赤に染め上げた。


 そして、マスターに詰め寄ろうとした瞬間頭がムズムズしはじめ、そして、


 ────ぴょこん、ぴこぴこ


 小雛の頭からうさ耳が生えた。


 「図ったなぴょん!?」


 信じられないと自分のうさ耳に手を当てながら抗議する小雛だが、湊は悪びれた様子すらなく笑っている。


 「かわいいよ?」


 「ぴょん!?」


 顔を赤くして黙り込む。


 ────うさ耳じゃん!


 ────あざとい!


 ────グッジョブ


 ────いつもの


 ────い~い仕事してますね~


 ────照れるひなっちかわいい


 ────マスターさぁ、俺らの小雛ちゃん誑かさないでよ


 ────・・・簡単に落ちそう


 ────吊り橋効果ってやつ?


 ────脳が破壊されそう


 新参たちは素直に面白がっている様子だが、古参たちのコメントは少し暗かった。


 「悪影響はないから大丈夫だよ。配信映えもするでしょ?」


 いたずらっ子のように笑うマスターにそれ以上逆らえるわけもなく、耳が生えて口調がすこし変わるだけなら良いかと小雛は堪えた。


 「まぁ、長くそのままにしていると、症状が進んで食糞し始めるからいそg────っおおう!」


 小雛は必死な形相で、湊の首根っこを捕まえて走り始めた。


 配信者どころか人として終わってしまうのは勘弁だった。

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