女子高生剣士の私が異世界に転移したら大変なことになった 第一部

瑞樹ハナ

第1話 人生何が起きるかわからない

「いずみ先生さようなら!」

現在、令和〇年10月27日、日曜日の朝10時─。

私は元気に道場を出ていく子供達を見送った後、カラカラピシャリと引き戸を閉めた。

ここは剣術道場。

秋も深まってきている板張りの道場内は、子供たちの熱気を残したままだったが、全ての窓を閉めて回ってる間にその熱はかき消えて、後には冷えた静寂だけが残った。

更衣室に入り、雑巾4枚を脇にはさみ、水を張ったバケツを両手で持って戻る。

テニスコート1.5面分の広さの道場の雑巾がけは、丁寧に行うと三十分はかかる重労働だ。

「よし」

気合を入れて、身をかがめたその時、胸の中で電子機器がヴァイブレーションした。

その振動は1回で終わらず、ヴーン、ヴーン、ヴーンと確認するまで止まらない。

剣道着の懐中から取り出したスマホの画面には、岡崎直之と表示されている。着信アリ。

「はー······」

ため息をついて、ちょっと迷った後で、通話マークをタッチした。

「はい。私ですけど」

『あ、イズミか?』

「だから、私です」

通話をスピーカーにして、床に置き、雑巾がげを再開する。

『今からそっちに行ってもいいか?』

「ダメです」

『なんでだよ。もうそっちに向かってるんだよ』

なら今すぐ引き返せ。

「今、子供の部が終わったところなんだから。これからやっと私の時間なんです」

『なら丁度いいじゃないか。今郵便局の前過ぎた』

相当な速さで自転車をぶっ飛ばしてるらしい。

通話の相手、岡崎直之は現在通っている高校の1個上の先輩だ。

この秋から剣道部の新主将となった彼は、具合の悪いことにこの道場の元門下生でもあり、祖父が健在だったころの子供の部で私と一緒に袋竹刀を合わせた仲なのだ。

同じ学区で、小学校、中学校、そして地元の公立高校と、全て一緒。

家も自転車で15分程度の距離にある。

「だから。私のプライベートタイムを使いたくないって言ってるんです」

『安心しろよ!剣道の事だよ!今小学校前だから!』

なんだその安心しろってのは!?

ふーっと深呼吸して、胸の中のモヤっとした怒気を熱と共に体外に排出する。

「あのね。岡崎先輩。私は剣道部の人間じゃありません」

それに、ウチは剣術道場です。

『わかってるよ!だから男女混合交流戦に出てくれるだけでいいんだよ!あ、今もう道場見えた!』

一口ごとに接近してくるとか、メリーさんかアンタは。

「『着いた!』」

スマホから、そして耳からも彼の無駄にデカい声を聴く。

ガラガラと道場の戸を開けて、息を弾ませた、この夏に身長180cmを超えたという17歳の男子が姿を見せる。

ぺこりとお辞儀をして、左足から中へ。

そのままスッと蹲踞して、中に尻を向けずにピタッと引き戸を閉める。

背筋からまっすぐに立ち上がり、履物を脱いで裸足になり床板の上へズカッと踏み込んで、まずは改めて神棚へと向かい、手を合わせて礼をする。

私は半ば彼の存在を無視して、黙って雑巾を絞る。

「あーいいよな道場。やっぱここだよな道場」

部活で使ってる体育館との空気の違いを言ってるのだろう。

私も嫌いじゃない。

道場の空気は何故か澄んでいて、薄淡く青みがかっているような清涼な感じがする。

本来の剣術道場は多分血なまぐさい所なんだとは思うけど、剣術が剣道になった頃、つまり1912年(大正元年)頃から、ここは日本刀による技と心を後世に継承する場となった。

私も彼の後ろから神棚を見上げる。

その下には、一振りの日本刀。

あれ。なんか少し傾いてる······?

「手伝うぜ!」

無造作に隣にやってきた彼は、有無を言わせずに私の手から雑巾を奪うと、ガサツな言動とは裏腹の真剣で丁寧な所作で床板を磨きだした。

「俺達の頃は、稽古終えたら自分達で雑巾がけしたよな~」

「してもらってもいいんだけど、お金払ってるのに雑用をさせるな!みたいな親御さんもいるから」

「子供に剣道習わせる親でもそんな事いうのか」

「でも、年末の大掃除は皆にしてもらうけどね」

「それ!今度俺も呼んでくれよ!あの掃除の後の食事会大好きだったんだよな~」

月謝払ってない変なのに食べさせるご飯はありませんが。

二人で雑巾を掛けながら、あの頃を回想する。

まあ、楽しかったと言ってあげてもいいでしょう。

「ウチさ、女子居ないじゃん」

あ、しまった。ついつい普通に会話してた隙をつかれて剣道部話をぶっこまれた。

「イズミが居たらさ、交流戦に男子だけで出ないで済むんだよ。あっち男子3に女子2なんだ」

「別にそれでいいじゃない。交流戦なんだから。楽しくやれば」

「女子が入ると皆のテンションがあがるんだって」

「別にいいじゃない。平常運転で頑張れば」

「それにお前俺より強いし」

「剣道なら岡崎先輩の方が強いんじゃないの?」

剣道の試合は面、小手、胴、高校からは喉突きを加えた4つの打突が認められていて、それらはポイント制で管理されている。

そのルールの中で勝つための動きが発達して、剣術とは全くといっていい程異なるものになっているのだ。

「いいじゃんさーイズミちゃんさー」

その後は雑巾がけが終わるまでの間、なんだかんだと言ってくる先輩に生返事して、掃除が終わると同時に、これから人に会うんでと彼の背中を押しに押して道場の外に廃棄した。

「どーしても私と稽古したければ、お月謝もって道場に来てくださいね」

ダメ押しにそう告げると、迷惑男岡崎直之(17)は顔を真っ赤にして声を荒げた。

「ば、ばか!ちげー···」

「よ」を聞く前に引き戸を閉める。

そして鍵をかけると、庭先で何か騒いでる不審者を無視して、私は母屋へと戻った。



同日夕刻、17時53分頃─。


その日、朝の稽古を終えた私は、その後はずっとオタク業務に精を出していた。

と言っても、それは大手サークルに所属してるとかではない、人知れずひっそりと行っているモノ。

漫画を読み、アニメを見る。ネトゲをする。

受け身なだけでなく、イラストや漫画を描く。小説も書く。それをWebサイトに公開する。

その程度の、きっとみんなやってるに違いないオタ活だ。

一応配信チャンネルも開設はしていて、顔出しなしで居合斬り動画なんかを上げたこともある。

そんな私の活動の中で、一番評判がいいのは······エッチな一次創作イラストだったりする。BLではない。NLです。

で、今まさにその一枚を描いていた。

顔はいい感じに描けたので、なんとかそれを生かしたまま描き切ろうとしてドツボにハマり机の前で悪戦苦闘5時間。

ペンタブの接続具合がおかしくなり、パソコンを再起動しなければならないタイミングで、外が暗くなっているのに気付いた。

「あーもう6時じゃん!もーぜんぜん進んでないのに~!」

絵を描く作業は剣術の稽古並みに集中を要するからか、それとも恥ずかしい絵を描いているからか、掌や脇、顔や首、胸元からお尻まで、あっちこっちで結構ブワっと汗が噴き出る瞬間がある。

朝の稽古の後に一度シャワーを浴びていたけれど、夕食の買い物をする前に、もう一度シャワーを浴びるべきだろうか。

でもこの感じだと寝るまでにあと2回くらい浴びることに······なんて考えてる最中、不意に思い出した。

「あっ!道場の日本刀、お手入れしないと」

あの刀は大事な祖父の形見で、祖父はその師から譲り受けたとされる物。

傾いているのを見た時から、なんだか不吉な予感にドキッとして気になっていたのに、岡崎先輩がいたせいですっかり忘れていた。

シャワーも買い物も後回し。お手入れ道具を手に道場へ······。

ガタン!

物音がした。まさしく道場の方から。

まさか日本刀が落ちたとか!?

母屋と道場を繋ぐ渡り廊下を走り、場内に飛び込んだ。


人が立っていた。

鍵をかけたはずの引き戸が開いている。

真っ暗な道場の中、開け放たれた戸から見える庭を背にして、人が立っていた。

大きい。岡崎先輩よりも。

なんとなく外国人犯罪者を想起する。

それが泥棒なのか、強盗なのかわからないけど、どちらにしても日本人なら、剣術道場に押し入らないだろう。

なんでウチを選んだの?

大きな屋敷だから、金目のものがあると思ったの?

ドクンドクンと心臓が暴れ出す。

足が震える。

情けなく全身が震えちゃってるに違いない。

声が出ない······。

逃げるべきかと視線を動かして、神棚を見て、ハッとなった。

日本刀。

あれを盗まれて、それがこの後で誰かを傷付ける凶器に使われたりしたら······!

「だ、誰!!?」

勇気を振り絞って渾身の力で大声を出した。

相手も突然家人が出てきたことで、動揺してるに違いない。

私が情けなく震えたままなら勢いづかせてしまうけど、毅然と圧をかければ逃げてくれるかもしれない。

「ここは剣術道場なんですからね!!!誰!!?」

私は神棚方向に駆け寄ると、日本刀を手にした。

人影はまだ動かない。

外人でも、日本にいるなら分かるでしょう。これが恐ろしい凶器だということに!

「出て行って!!!」

余裕なんてない。

刀を手にした事で事態が好転したように見えたとしても、それは見せかけに過ぎない。

手にずっしりとした重みを感じる。

日本刀の重み。

自己防衛のために相手を殺せるのかという重み。

殺せない場合は自分が殺される。そんな場面である事の重み。

三重四重の重みが、全身に纏わりつく。

そして最悪な事に······人影が笑った。

正確には、逆光でよく見えていないから、ソイツが笑ったような気がして、背筋が凍った。

土足で道場に上がり、一歩一歩とゆっくりこっちに向かって歩き出す。

私はまったく動けず、逃げる事も出来ず、息をするのも忘れて、それをただ見ていて、そして気が付けば彼は目の前にいた。

異臭といっていいレベルの酷い匂いが鼻を衝く。

「ひ······」

彼の分厚くて大きな手が伸びてくる。

私は祖父の残してくれた日本刀を両手で抱くように握りしめながら、ただ泣いて震えていたと思う。




───どうして「思う」なのか。

それは今、見たこともないような粗末な小屋の、所々抜けていて向こうの空が見えているような天井を見ているから······です。

私は見知らぬ場所で、寝ている······固いベッドの上で、変なにおいがする汚いボロ布が掛けられている状態で、寝かされているのです······。

「え···?」

上体を起こし、体のあちこちを襲う痛みに顔をしかめた。

室内には嗅いだこともないような、へんな香りが漂っている。

「痛っ······」

頭も痛い。目の奥がズキンと拍動する。

道場で不審者に······記憶はそこで途絶える。

その先は思い出せず、次の場面はもうここに飛ぶ。

酷いことをされて······思い出したくないのかもしれない。

考えたくない。

起き上がった私の視線の下には、剥き出しの乳房。

裸にされていたのだ。

パッと頭を振り回すように視線を逸らす。

自分の身体を見るのも怖い。

ここから逃げないと!

でも刀を取り戻さないと!


「あ、おきてる!」

結構な至近距離から突然声が発せられて、ベッドの上で飛び上がる。

すぐそこの扉が開き、何か野菜スープのようなものを持った日本人のような、西洋人のような、なんだかよくわからない、でも素直そうな顔立ちの、亜麻色の髪の男の子が顔を覗かせていた。

その服装はこのボロい室内にピッタリとマッチしている。

あら可愛い。4つかな?5つかな?

なんて一拍呆けた後で正気に返り、ボロ布を抱き寄せて胸を隠した。

「おねえちゃん、だいじょうぶ?」

この子もしかしてあの不審者の子供?

暫しの間、男の子と視線を重ね合う。

彼はニッコリと微笑んだ。そして扉の外に顔を向け──。

「おねえちゃんがおきたよ!」

「あ!ちょっと!!」

馬鹿!あの男を呼ぶな!と大いに慌てて、ベッドから飛び出し、その子の口を塞ごうと──。

ゴトン!!

太腿の上を滑るように日本刀が床に落ちて、足の小指に直撃した。

「いっ······た!!」

涙目になりつつ、転げた刀を見る。

あれぇ?おじいちゃんの日本刀だ。

え?

奪われなかったの??

変質者の目的は私だったってこと???

は????

私に乱暴して、刀と一緒に連れ去って、刀と一緒に寝かしつけたってコトぉ?

「大丈夫ですか······?」

蹲っていた私に投げかけられた遠慮がちな爽声に誘われて、顔を上げるとそこには······。

「大丈夫ですか。立てますか······?」

売れっ子超有名子役並みと言ってまったく差し支えない、物憂げな美少年がいた。

年の頃は11,2歳程だろうか。

長い睫毛を伏せがちに、やや頬を染めながら、私の肌を直視しないように努めて紳士的に振る舞っている。

至上最強クラスのデリカシーがそこにあった。

心配そうに私を覗き込んでいる、さっきの子と同じ亜麻色の髪。

二人が兄弟である事が容易に想像できた。

「あ······ダイジョウブです······」

刀の下に落ちていたボロ布をぐいぐいと引き上げて肌を守る。

私の準備が終わるのを待って、彼らは口を開いた。

「すいません······剣士様がお倒れになっていたので······弟と二人でここに運び入れてしまいました」

「ぼくがみつけたんだよ!」




??年??月??日──?

私を助けてくれた兄弟は、兄がウィルシェ、弟はクルシュ、と名乗った。

この幼い兄弟は、この家で2人きりで生活していて、近隣の森から採集したものを売ったり、隣人の手伝いをして生活している。両親はすこし前に……とのことだった。

そんな話をしてる最中も、クルシュはずっとニコニコと私の顔を見ていて、ウィルシェは「二人だけじゃないのが嬉しいんだと思います」と申し訳なさそうにはにかんだ。

彼らがそんな身の上をまず私に明かしたのは、「遠慮なくここに居てもいいんですよ」との気遣いらしかった。

でも……それを有難く思う前に、私にはどうしても解消しなきゃいけない問題があった。

ここはどこなのか?

この兄弟は、在日外人なのだろうか。

日本語で意思の疎通ができているし、会話になんの不自由もない。

あまりに粗末な身なりと生活環境は私の常識から外れているが、それ以外はしっかりとした良い子だ。

あの不審者が外人だったとして、私を海外にまで連れ去ったとは考えにくい。

体感……時間感覚や疲労感でもそんなに長い間移動していたように思えない。

気を失っていたとしても、精々長くて2日くらいでしょう。

「私が倒れていたところ……案内してもらっても、大丈夫かな?」

ちょっと緊張しつつ確認する。

「駄目だ。××さんに家から出すなって言われてる」みたいな返事が返ってきたら、ある意味で事態は予想の範疇に収まったと言えるのかもしれない。

「わかりました。少し待っててください」

兄は弟を残して部屋を出ていく。

もしや、今度こそあの男を連れて戻るのではないだろうか?

緊張に身が固くなる。

クルシュは、本当に嬉しそうにニッコニコしながら私を見ている。

最悪、この子たちの前で乱暴されるような事態になるかもしれない。

「ぼくがみつけたんだよ!」

「……ありがとう」

彼の頭を撫でる。

手入れの行き届いていない、ゴワついた髪。

ちらっと見えた耳の後ろには、赤く斑な皮膚炎が見えた。

なんだか胸が痛む。

まもなくウィルシェは、手に衣類を抱いて戻ってきた。

「母のものです。外に出るには……その」

少年が赤面する。

つられて私の頬も熱を持つ。

そうね。これで外に出るのはアレよね。

「あ、アリガト……」

戴いたのはワンピースのような衣類。下着類は無い。

少し茶ばみのある白で、リネンのようなゴワつく生地で、目が粗い。

着心地は正直悪く、明るい日の下だと透けるんじゃないかと思えた。

二人の母は細身だったみたいで、胸とお尻を押し込めるのに苦労する。あとお腹のごく一部がすこしパッツンとキツイ。少しだけね。

着替えが終わった事を告げると、クルシュがはじけるような元気さで部屋に入ってきて、私のスカートをぎゅっと握った。その顔は勿論ニッコニコだ。

(お母さんじゃないのに、お母さんの服をきちゃってごめんね)

口に出すのが憚られたので、心の中で弟に、そして兄にも謝った。


私が寝かされていたのは奥の間で、扉一枚隔てた向こうにはダイニングがあり、そして扉をもう一つ潜って、外に出た。

太陽が変にまぶしく、そしてあまり暖かくないような気がした。

草花も、木も、鳥も、空気でさえも。

見慣れたもの、感じ慣れたものだけど、どこか「あれ?」と思うような違和感を惹起させる。

後は景色。

単純に「日本じゃなくない??」みたいな、山の形をしているような……。

「ここに倒れていたんです」

示されたポイントは、兄弟の家から100メートルほど離れた場所で、沢山の枝が折れて散らばっていた。

上を見上げると、いかにも「何かが落ちてきてココとソコを折りました」みたいな状態が残されている。

目を細めてその穴の向こう遠くを見る。

かなり高いところを雲が流れて、結構大き目な鳥がそのすぐ下を飛んでいた。

「どこから落ちてきたって言うのよ……」

プロペラ機みたいな飛行機からできるだけ低空で投げ落とした?それで私があちこち痛い程度でピンピンしてるの?

「ここに?」

「はい。その、剣を抱きながら、裸で仰向けに……」

「こう!こうだよ!」

クルシュは足をガバっと広げてしなくていい現場再現を見せてくれる。

「……そのまま家まで?」

「慌てていたので……」

ウィルシェの方が両手で顔を覆いながら返事した。

その恥ずかしいもの見ちゃったアピールはいらないから。

「道中誰かに……」

「誰にも会ってません!!」

それだけ聞いて取り合えずその話は打ち切り、改めてしゃがみこんで現場検証をする。

地面は何か強めの衝撃を受けたような痕跡を示してはいない。

その昔、地元のマンションで飛び降り自殺現場を見たことがある。

頭が落ちたと思われる部位を中心に、大きく凹んでいて、暫く雑草も生えなかった、あの地面を思い出す。

地面を触る。

例によって、見知った土の手触りと固さ。でも……やっぱり何かが?

じっと地面を見つめると、足元から揺らぐような、何かが這い寄るような気味悪さを覚えて慌てて立ち上がった。

「ありがとう、お家にかえりましょう」

······そうだ。この兄弟に言わないと。「今晩泊めてください」って。

「えーと、ウィルシェ。クルシュ。あのね、今晩、私を……」

「ヴィルシュカ!!」

大声で叫ばれ、話の腰を折られる。

後ろから大人の男性が駆け寄ってくる気配。

しまった!刀を持ってくればよかった!

恐怖に硬直して振り向けない私に代わって、美少年が返事をする。

「ちがうよカルノヴァさん……お母さんじゃ、ないです……」

「……そ、そうか。うん、よく見れば……」

そこで私はやっと振り返ることが出来た。

目の前には大きな体を申し訳なさそうに縮めた成人男性。

この人も……外人と言えば外人だけど、日本人と言われても違和感が無いような、不思議な顔立ちだ。

悪人には見えない。体格とヒゲ面の割に、温厚そうにみえる。

着ている服は粗末な農作業着だろうか。西洋絵画で見たことがある。

ボロのチュニックに、ズボン。

造りの粗い革製の靴。

現代日本ではむしろ普通の衣装の方が安上がりなんじゃないだろうか……。

「どうもすいませんでした。はは……」

男は恥ずかしそうに頭を搔いて、手にした帽子で顔をバタバタと仰いでいる。

ははあ、この人、二人のお母さんのことが好きだったのね、と何となく勘づいた。

この兄弟が手伝いをしている隣人というのも、この人なんじゃないだろうか。

好きな人が残した幼い兄弟を庇護しているのだ……多分。

「いいえ。あの……ここって、どこ辺りなのか教えていただけませんか?」

めっちゃ愛想よく笑顔を返して、ここぞとばかりに地名を尋ねた。

「なんで日本人がこんな所にいるんだ!」みたいなリアクションをしない所を見ると、外人が集まって暮らしている謎の村で、どこにあるかも教えられん!みたいな事はないに違いない。

「え?ああ。ここは   ですよ」

「え?」

私は笑顔で固まる。

ぜんっぜん聞き取れなかった。

「ここは    ですよ。    から西にある。まあそのお陰で何もない平和な所なんですがね」

カルノヴァさんと呼ばれた男は、私に負けない愛想の良さで返事をしてくれた。

その目はめっちゃおっぱい見てるけど。視線で分かるんです。

視線は分かるんだけど、本当に彼の言葉の一部がまったく分からなかった。

なんだかゾクっとした。

「ええと、あの……トウキョウって……どこかご存じないですか?」

「ええ?聞いたことないなぁ。俺、あんまりここを離れたことないんで。お役に立てず申し訳ない」

なんだか上機嫌になってる隣人の農作業オジサンと、二言三言会話をしてから分かれて、兄弟の家に戻った。

家に戻ると、改めて二人にお礼を言い、そして今晩泊めてくださいとお願いして、「いつまででも大丈夫です。クルシュも喜びますから」と、そんな返事をもらった。


夕飯の支度をする二人の兄弟の姿を見つめる。

良くできた面倒見のいい兄。

素直で明るい弟。

2人の周りだけ、ほんのり明るいような気がしてくる。

それでも心が軽くなることはなかった。

ざわざわとした胸の中の不安。

見聞きしたものの中での確かな矛盾。

先ほどのカルノヴァさん。若く見ても30そこそこの人だった。

そう、あんな貧しい身なりで、日本語ペラペラで完全にネイティブだった。

そんな人が東京も知らずに……?

なんだろう、凄く変だ。

嫌だ。

何かが嫌だ。

私は手元に刀を引き寄せた。

祖父の刀で間違いない。

ここで目覚めてから目にするあらゆるものに感じてる、確かにコレなんだけど、でも何かが違う……そんな違和感はこの刀からは感じない。

いえ、一つだけある。

見た目ではなく……軽いのだ。

袋竹刀を持っているような、そんな感覚。

あの「ずっしりと来た重さ」を知ったおかげで、軽く感じているだけ?

中身が竹になってたりしないかと心配になって刀身を確認する。

鞘に収まっていたキラリと光る日本刀の刃がその顔を覗かせた。


そこで、「私」を見た。

刀身に映った私を。

(あれ……私ってこんな顔だっけ……?)

一瞬だけ。本当に一瞬だけそう思ってドキンと心臓が跳ねたけど、見れば見るほど普通に私だった。

別に何も変じゃない。

落ち着け。

落ち着け。

ドンドン!と扉が叩かれる音で我に返った。

「クルシュ。開けてあげて」

「はーい!」

兄に言われて弟が素直に駆け出し、扉を開ける。

そこにはニコニコとしたカルノヴァさんが立っている。

彼は私に真っ先に気付いて、ぺこりと頭を下げた。

「どうもこんばんは。いや今日は月が奇麗なもんで、ええとどうですか?みんなで食事でも。良い鶏肉があるんですよ!」

何か兄弟というか、私に言ってる気がする。

赤ら顔に、少しお酒の香りが漂う。

「とりにく!」

クルシュのキラキラお目目が一層大きく輝いた。

「いいんですか?嬉しいな」

ウィルシェも、年相応の笑顔を見せている。

「もちろんいいとも!あ、えーと……」

「イズミ、です」

私の名前を聞いたカルノヴァさんは、改めて誘いの言葉を口にする。

「どうですか。イズミさんも!」

「おねえちゃんイズミっていうの?」

「なんだお前、知らなかったのか?」

なんで名前も知らない女を家に連れ込んでるんだ?みたいな空気が流れ、慌てて私から事情を説明する。

「今日、この二人に助けてもらって……今晩泊めてもらうことになったんです」

「そうですか。世の中物騒ですからね!ほ、ホラ行きましょう!すぐそこなんで」

中年男性さんに見えた一瞬の葛藤。

もう少し根掘り葉掘り聞きたいが、何か事情があるのかもしれない。

そんな心の動きだろう。

それぞれが互いに気を使い合って、四人は何かに急かされる様に家を出た。

カルノヴァさんはクルシュを抱っこし、ウィルシェの手を引いて、上機嫌に鼻歌を歌いながら私を先導する。

涼し気な空気の割に、虫の声が聞こえない夜道を行く。

なんか妙に明るい。

そういえば今日は月が奇麗だって言ってたっけ……。


そして私は空を見上げて……。

見てはならないものを見てしまった。



空には月が二つあった。


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女子高生剣士の私が異世界に転移したら大変なことになった 第一部 瑞樹ハナ @mizukihana

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