第16話 ベイカー公爵視点
「なぁ、ベイカー公爵。この書簡はなんだ?」
陛下に謁見の間に呼び出された時から覚悟はしていた。数日前に提出した書類は、陛下にとっては許可など出来ない代物だろう。何しろ、ベイカー公爵家のエリザベスとシュバイン公爵家のハインツの婚約成立に関する書簡だ。法律で決められている訳ではないが、公爵家同士の婚姻は、暗黙のルールとしてグルテンブルク王国では行われていない。四大公爵家の力があまりにも強いがための措置だ。簡単に言うと、公爵家同士が姻戚関係になれば、王家に匹敵する力を得ることに繋がるからだ。
私だって、そんな事百も承知だ。それなのに、あんな馬鹿げた婚約成立の書簡を陛下へ提出する結果に陥ったかというと、全てはアイツの策に嵌ったからと言っても過言ではないだろう。
ハインツ・シュバイン。奴の挑発に乗ってしまったのが全ての間違いだった。
(まさか、エリザベスが婚約を了承するとは思わんだ……)
ピカピカに磨かれた床を見つめ、ベイカー公爵はコソッとため息をこぼす。
「そうですね。数日前に提出した書簡ですね。何かそれに問題でも?」
「お主、とぼけているのか!?」
バサッと書類が投げられ床をすべる。
ベイカー公爵は足元へと投げられた書類を拾い上げ、目を通すふりをした。
「我が公爵家のエリザベスとシュバイン公爵家のハインツ殿との婚約が成立した旨をお伝えした書簡ですね。それの何が問題でありましょうか?」
「貴様、本気で言っているのか。我が国では、公爵家同士の婚姻は認められておらん。そんな事、当事者である公爵家が知らんとは言わせんぞ」
「そんな話、我が国の法律書のどこに記載されておりますか? 私の記憶では、そのような記載は無かったように思いますが、違いましたか?」
「屁理屈ばかりこねおって……。では、シュバイン公爵はどうなのだ? この書簡に関して、知らぬとは言わせんぞ!」
陛下の怒りの矛先が変わったことを察した隣の男の肩がビクッと揺れる。謁見の間に呼び出されたもう一人の男。シュバイン公爵家当主の青くなった顔を横目にチラッと見て、ベイカー公爵は天を仰ぎたくなった。
(始めから期待はしていなかったが、これでは話をうやむやにし逃げることも出来んか)
シュバイン公爵家の実権をすべてハインツに託し、領地で妻とのほほんと余生を謳歌している男に陛下との謁見は気が重すぎる。今回の婚約話ですら、寝耳に水の出来事であったろう。
子を持つ親として、腹の中真っ黒なハインツを子に持つシュバイン公爵に少々同情心が湧き上がる。
(同じ息子でも、我が息子の方が百倍は扱いやすいわな)
ウィリアム王子といい、ハインツといい、我が娘ながら男運の悪さは、天下一品だ。
領地から戻ってからの数週間、以前にも増して精神が不安定になっているエリザベスを想い、今更ながらハインツの挑発にのってしまった事を後悔していた。
「シュバイン公爵家は王家をつぶすつもりなのか?」
「…っ…おそれながら陛下! 潰すなんて、滅相もございません。シュバイン公爵家は王家に忠誠を誓っております。愚息のハインツも王太子様の側近としてかげながら尽くしているではありませんか! 当家は、けっして王家にさからうような真似は致しておりません」
「では、どうしてこのような書簡が私の手元にあるのだ?」
「………」
青くなり言葉を発することも出来ず震えているシュバイン公爵に、これ以上は無理だろう。
(私が出る他あるまいな)
「陛下、そろそろ目くじらを立てるのはおやめください。たかが、婚約成立の書簡ではございませんか。その書類に、何の効力も無いことくらい貴方様はご存じですよね。最近、ウィリアム王子殿下とエリザベスの婚約を勝手に破棄した王家なら知っていて当然です」
「しかし、あれは……いや……」
「陛下のおっしゃりたいこともわかります。ただ、ウィリアム王子殿下が勝手にやった事であっても、正式な書類の形式を取っていた以上、知らなかったとは言えませんよね」
「もうよい、ベイカー公爵よ。あの一件に関しては全面的に我に非がある。エリザベスには、辛い思いをさせた」
「陛下もご存じかと思いますが、エリザベスにとってウィリアム王子殿下は特別な存在だったのです。そんな人物から一方的に婚約破棄を言い渡された娘の精神状態は、荒れに荒れていました。下手をしたら、あのまま命を絶っていたかもしれない。あの娘には前科がありますから……」
ミリアの献身的な説得がなければ、エリザベスは今でも自室から出ることさえなかっただろう。それほどまでに、エリザベスのウィリアムへ対する傾倒は深かったのだ。
(自分の娘ながら、あの執着にはまいるな。恋は人を愚かにするか……)
「そんなエリザベスを救ったのがハインツ殿だったとか。シュバイン公爵家とベイカー公爵家は領地が隣あっておりますので、偶然にも静養していたエリザベスとハインツ殿がどこぞで出会ったのでしょう。恥ずかしながらわたくしも親バカでして、娘に泣きつかれましてね。今回の婚約を了承した次第でございます。婚姻の承認申請の書簡でもありませんし、破棄も可能な婚約に関する書簡です。目くじらを立てられる程のものではないかと」
「現段階では、婚姻は認めないがそれでもよいと?」
「まだまだ若いふたりのこと、この先どう転ぶかもわかりません。今が一番楽しい時期なのでしょう。婚約くらい認めないと、若さゆえ暴走するやもしれませんよ」
「わかった」
手をふり退室を促す陛下を見て礼をする。なんとか事を収めることに成功したようだ。
「あぁ、ベイカー公爵お主とは、まだ話がある。その場に待て」
背を向け安堵のため息をコソッとこぼしたベイカー公爵に陛下の言葉が刺さる。
(まだ、逃してはくれないか。先にシュバイン公爵のみ退室させたところを見ると内々の話をするつもりなのだろう。何を言われることやら)
シュバイン公爵が退室するのに続き、護衛の者まで退室していくのを見送り、ベイカー公爵は振り返る。
「さて、陛下。お話というのは?」
「ベイカー公爵、人払いもした。ここからは我の友人として話してはくれないだろうか」
「えぇ、構いませんよ。では、ここからの話は陛下と私だけの内々の話というこで」
「あぁ。単刀直入に聞くぞ。今回の婚約の件、首謀者はハインツで間違いないか?」
「ははは、かなり焦ったようですね、あの書簡に」
「焦るに決まっておろう! 公爵家同士の婚約成立など前代未聞だ。そんな事を言い出したのは、どうせハインツなのであろう?」
「えぇ、そうですよ。ウィリアム王子との婚約が解消されてすぐでしたか、奴が我が家に来ましてね。エリザベスと婚約させろと。始めは、何馬鹿なことをと思いましたが、ハインツの本気に負けました」
「何!? あやつは本気でエリザベスと結婚するつもりがあるというのか?」
「そうだと思いますよ。何しろ、面と向かって脅しをかけてくるくらいですから。しかし、奴が本当にエリザベスから婚約了承の言質を取ってくるとは思いもしなかったですが。今回の婚約の件、エリザベスにすべての決定権を与えていましたのでね」
「先ほどの話、本当であったか。あのエリザベスが、ウィリアム以外の男に靡くとは……」
「陛下、はっきり言いますけど、エリザベスと婚約を解消したウィリアム王子に価値など無いですよ。エリザベスの婚約者だったからこそフォローもして来ましたが、解消された今、手を引かせていただきます。ベイカー公爵家は、中立の立場を貫くつもりではありますが、ハインツの出方次第では考えを改めざる負えない事もお忘れなく」
ハインツの出方次第で、グルテンブルク王国の貴族社会の均衡が大きく変わる。いいや、変わることは確実だ。
ベイカー公爵家が中立を貫くつもりでも、この婚約成立が周知されれば、周りはそうは見てくれない。ベイカー公爵家は、王太子派となったとみなされる。
多くの中立派の貴族、ひいては今まで第二王子派だった貴族ですら、王太子派へと流れるだろう。
そうなれば、第二王子派を潰す流れになる事は目に見えている。しかし、それを許す側妃ではない。あの欲深い側妃諸共、追放でもしない限り、内乱が起きる可能性すらある。
その事をあのハインツが理解していないわけがない。だからこそ、何度も第二王子派を潰す機会があったにも関わらず、王太子派筆頭のシュバイン公爵家に動きはなかった。
ハインツはいったい何を考えている。
「なぁ、ベイカー公爵よ。やはり、ウィリアムを切り捨てる選択を考えねばならんだろうか?」
「陛下も人の子。ご自身の子を切り捨てる選択をためらわれるのは仕方ございません。しかし、陛下は王なのです。我が国の安定を真っ先に考えねばならぬお立場です。第二王子派の圧政に、地方貴族が動くやもしれません。いつの世も、真っ先に影響を受けるのは下々の民です。ご自身の選択に後悔なきよう」
「ハインツは、王家を潰すつもりがあると思うか?」
「さぁ? ただ、奴の望みは違うところにあるように感じます。ハインツが、本気で国家転覆を企むなら、こんな回りくどい方法は取らないでしょう。さっさと、実行に移していますよ」
「確かにな……」
数年前に起きたある事件を思い出し、ベイカー公爵は苦笑いを浮かべる。
ウィリアム王子とエリザベスの婚約成立と同時に起こった隣国使節団とのトラブル。あれの首謀者は、ハインツで間違いない。あの時、王太子殿下が放った言葉を今でも覚えている。
『ハインツを敵にまわしたな。ウィリアムの人生も終わったか……』
事後処理に追われていた殿下が死んだ目をして呟いたあの言葉を聞いていた者がどれほどいたことか。あれ以来、ハインツに逆らう者が急激に減ったのは言うまでもない。
(さて、奴は公爵家同士の婚姻を可能にするカードをどう手に入れるつもりなのか? はたまた、もう手に入れているのか……)
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