第3話 初恋の終わり


「エリザベス、何だその目は! 未来の王子妃に向ける態度ではない。不敬であるぞ!」


「未来の王子妃だなんて、ご冗談はおやめください。ウィリアム様が何を申されましても、私との婚約は王家との契約です。貴方様の一存で破棄出来るものではありませんわ」


「ふっ、何の手も打っていないと思っているのか?」


「まさか……」


 口角を吊り上げ、ニタっと卑下た笑みを浮かべるウィリアムを見て嫌な予感が的中した事を悟る。


(昔から、悪知恵だけはよく働くお方だったわね)


「お前に良いことを教えてやろう。婚約破棄に関しては、陛下の許可は得ている。お前の下位の令嬢に対する傲慢な態度、及び陰で行ってきた虐めの数々、しかも俺の婚約者でありながら、他の男との密会と不貞行為、その証拠をすべて父王に提示した結果、エリザベスとの婚約破棄はやむなしとの判断を下された」


 目の前のテーブルにバサッと置かれた紙の束を見て、エリザベスの顔から血の気が引く。叩きつけられた紙の束を一枚一枚捲る指が小刻みに震える。


 エリザベスの心は、事実無根の証拠の数々に、怒りを通り越し、悲しみで満たされていった。


(ウィリアム様にとっての私は、数々の冤罪をでっち上げてでも排除したい存在だと言うことなの)


「この書類の中身がすべて正しいと陛下は判断されたのですか?」


「そうなるな。その証拠に、お前との婚約破棄を認める書状もある」


 掲げられた書状には、確かに陛下のサインが記されていた。


「そうですか。私との婚約破棄は王家の意思と言うことですね」


「間違っても、変な気を起こすでないぞ。万が一、ベイカー公爵家が事を起こせば、この紙束が公の場に出ると思え」


 脅しともとれる捨て台詞を吐きウィリアムが、新たな婚約者の腰を抱き出ていく。


(彼との十年は、いったい何だったのよ)


 金色の髪の王子様。思い出の中の『彼』が、ガラガラと音を立て崩れていく。


 暗く、澱んだ水底からエリザベスを救った金色の少年に恋をした。王宮のガーデンパーティでウィリアムに出会った瞬間、『彼』だと確信したのだ。再び巡り会えた運命に感謝し、恋に落ちた。どんな手を使ってでも、彼の婚約者になりたかった。そのための努力は惜しまなかったというのに。


 マリア・カシュトル男爵令嬢。殿下の腕に手を絡め、怯えていた女。彼女が社交界に現れてからすべてが変わった。あの庇護欲を誘う瞳で数多の男を誘惑し、思い通りに操る毒婦。そんな噂が貴婦人の間で流れる一方で、彼女に魅了されていく貴人は後を絶たず、仕舞いには擁護する者まで現れていた。そんな彼女の行いを他人事のように聞いていた過去の自分は馬鹿でしかない。


 急速に縮まるウィリアムとマリア男爵令嬢との距離感。親しい令嬢方に何度も忠告されていたのに、聞く耳を持たなかった。ウィリアムが彼女の色香に惑わされていると、思うこと自体愚かな事だと信じて疑わなかった。

 

(あの時、ウィリアム様との関係を密に持つ努力をしていたら何かが変わったのかしらね。いいえ、違うわ……)


 マリア男爵令嬢が現れる前から、ウィリアムとエリザベスの関係は冷え切っていたのだ。夜会のエスコートをウィリアムに放棄された事も一度や二度ではない。


 壁の花と化していた数々の夜会を思い出し、嫌な気持ちが込み上げる。


(ウィリアム様にとっての私とは何だったのだろうか?)


 溺れて死にそうになっていた子供をたまたま助けただけで執着され、ベイカー公爵家の力を使い無理やり婚約者の座に収まった女。出会った当初からそんな認識だったのではないだろうか。


 殿下との十年が、エリザベスの脳裏を巡る。

 

 婚約後の初めての顔合わせ。エリザベスの手を取り口づけを落とすウィリアムは、絵本の中の王子様のように素敵に見えた。


(あれは確か十歳の時。まさか、社交辞令だったとでもいうの!?)


 十一歳の誕生日パーティー。

『君の藍色の瞳に似合うから』と小さなパールが散りばめられた髪飾りを贈ってくれた。今でも大切に持っている。ただ、一般常識として、銀色の髪にパールの髪飾りは贈らない。髪の色にまぎれ、目立たないからだ。しかも、王族が贈るには何とも貧相な品だった。それに出席すらされていない。


 十二歳の王城でのパーティー。

 あれは確か、王太子の婚約披露パーティーだった。腹痛を訴えるウィリアムに逃げられ、エスコートすらされていない。第二王子の婚約者でありながら、一人で出席しなければならないパーティーのなんと悲惨なことか。あの時は、体調が悪いなら仕方ないと自分を納得させた。


(そう言えば、その後何事もなくパーティーに出席されていたわね)


 十三歳の則妃様とのお茶会。

 婚約者そっちのけで、たくさんの御令嬢を侍らせていた。


 十四歳ウィリアム様の誕生日パーティー。

 呼ばれてもいない。


 十五歳社交界初デビュー。

 他の令嬢をエスコートしていた。デビューする令嬢はエスコートしてはダメなのだと、ウィリアムは最もらしい理由を述べていた。


 十六歳定期的な謁見。

 ウィリアムの自室から、あられもない声がしていた。


 十七歳国王主宰の舞踏会。

 名前も知らない令嬢とウィリアムはファーストダンスを踊っていた。婚約者とのファーストダンスが社交界の常識だと言うのに。


 十八歳……

 定期的な謁見を一度もしていない。


 十九歳、正妃の誕生日を祝う舞踏会。

 名前も知らない男爵令嬢にエリザベスは、ウィリアムはわたしのものよ宣言をされた。


 二十歳婚約破棄。


「私、全く愛されていないわね……」


 ぽつりつぶやいた言葉が、部屋に響き消えていった。

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