初恋の終焉

湊未来

第1話 プロローグ


『――エリザベス幸せになるのよ』


 最期の言葉を残し天に召されたお母さま。


 真っ白な棺の中、きれいなお花に囲まれ微笑むお母さまは眠っているようにしか見えなかった。


(どうしてそんなところで寝ているの?)


 棺を囲む大人達の悲しみに満ちた顔を見れば、そんな疑問を口に出すことも出来ない。明日になれば、こんな悪夢のような日は消える。いつもの日常が戻ってくると、エリザベスは本気で思っていた。幼いエリザベスにとって、常にそばにいた母の存在は特別だった。そんな母の死を簡単に受け入れることなど出来るはずない。


 あの時のエリザベスには、母が死んだということすら理解できていなかった。


『ねぇ、どうしてお母さまはいないの?』

『お母さまに、ご本を読んでもらいたいの』


 そう言葉をこぼすたび、辛そうに顔をゆがめる周りの大人たち。少しずつ気づき始めた事実に、エリザベスの世界は死んだ。赤、黄色、青、緑……、色あざやかだった世界が灰色に変わっていく。


 母と歩いた庭園や温室。きれいに咲く花でさえ色あせて見える。


 世界から色が消えていく。感情が抜け落ち、とうとうエリザベスの心は動かなくなった。


(お母さまのいない世界なんて……)


 暗くよどんだ泉のふちに膝をつき幼いエリザベスは中を覗き込む。そこには銀色の髪に藍色の瞳の少女が映っていた。


(お父さまにもらったビスクドールみたい……)


 湖面に写った少女の瞳には、なんの感情も見えない。毎日鏡で見る自分の顔、それなのに知らない誰かを見ているような感覚にすらなる。


 湖面に水滴が落ち小さな波紋が水面を広がっていく様を見つめ、エリザベスは不思議に思う。


(――私、泣いている……)


 水面からかき消えた顔に、小さな手を頬へと伸ばせば濡れていた。


「どうして私をおいて行っちゃったの? どうして、どうして……、お母さまがいなきゃ幸せになんてなれないよ」


 心の叫びは、暗くよどんだ泉へと吸い込まれ消えていく。


(お母さま、お母さま……、会いたいよぉ――)


 前へと傾いたエリザベスの体が泉の中へと吸い込まれていく。冷たい水が体温を奪い、身動きさえとれない。


 それでもよかった。このまま沈んでいけばエリザベスの願いは叶えられる。


(やっと、お母さまに会える……)


『エリザベス、私の可愛い天使――』そう言って、エリザベスの頭を優しく撫でる母の姿が蘇り、笑みが浮かんだ。それと同時に、口からこぼれた気泡が暗くよどんだ泉の中を駆け登っていく。


 体にまとわりつく水の重さも、徐々に遠ざかる光の世界も全てがどうでもよかった。エリザベスにとって死ぬことは怖くなかった。


(もうすぐ、お母さまに会える……)


 ゆっくりと瞳が閉じ、漆黒に包まれた世界の中、感覚も失われていく。


 闇へと沈んでいく意識。すべてが終わりそうになった時、エリザベスの世界が浮上した。


「――おい! しっかりしろ!!」


 遠くで聴こえる誰かの声、そして薄ぼけた灰色の世界。


(ここは……天国?)


 薄ぼけた視界の中、あたりを見回すが母を見つけることが出来ない。


(――天国……じゃない。もう一度、あの泉に入れば、お母さまに会える)


 心に宿った絶望のまま泉へとエリザベスが手を伸ばした時だった。強い力で引き寄せられ、頬を打たれた。


「死ん……じゃ、ダメだ……」


 突然目の前に現れた人影に肩をゆすられ、エリザベスの意識がハッキリしてくる。


(……男の子?)


「……じゃま、しないで」


「じゃま? ふざけるな! お前、命をなんだと思っているんだ」


「離して! お母さまに会うの!! 泉に飛び込めば会えるの……、じゃましないで!!!!」


 暴れ出したエリザベスを背後から抱きしめた少年が叫ぶ。


「命を粗末にするな! お前の家族が……、悲しむ……」


 耳へと叩き込まれた強烈な言葉が、脳へと浸透し心を震わす。


「みんな……、悲しむ?」


「そうだ。みんな悲しむ……、君が死んだら」


 父や兄や乳母.....、大切な人達の顔が次々と脳裏を駆け巡り、母の存在一色だった世界が変わっていく。


(私が死んだら、みんな悲しむの? 愛する人達を今の自分と同じ状況にしてしまう……)


 彼の言葉がエリザベスの心に刻まれる。動くことのなかった心がトクンっと動き出した。


(なんてひどいことをしようとしていたの……)


 自分の罪深さを意識した時、灰色の世界が色鮮やかに輝きだした。


 エリザベスの瞳に涙が浮かび、視界が滲んでいく。背後を振り返るが、金色の光で満たされた世界は、眩しくて見えない。


「――あなたは……、誰?」


 涙でぼやけた視界では、はっきりと見えない。


「俺か? 俺は――――」


 彼の名前を聞く前に、限界を迎えていたエリザベスの意識は暗転した。助けられた時に見た金色の光と必死な声だけを記憶に残して――

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