第14回
それは溺れる感覚に似ていた。
あるときは逃げる背を鎌でかき切られ、あるときは四肢を押さえこまれた後に木の杭で貫かれた。
頭を押さえつけられて、水たまりの泥で窒息したこともあった。
どの女も理不尽な暴力によって恥ずかしめられ、抵抗するも殺されて、最後は山にうち捨てられ獣たちの腹に収まる。そして憂喜はまたあぜ道に戻り、次の女の死へと引きずり込まれていく。
それにあらがうすべは見つからなかった。どうすれば抜け出せるのか、まるで分からないまま、憂喜は女たちの死の苦しみを追体験するしかない。
いきなり放り込まれた水の中でもがいて、もがいて、やがてもがき疲れて。
音もなく、真っ暗な水底へ向かって沈んでいく。
心の死へと通じる、緩慢な落下。
6回の死の苦痛を経たのち。再び引き込まれる感覚を感じても、憂喜はもはや抵抗する気力を失っていた。
しかしそれはこれまでの体験と少し違っていた。
憂喜が入ったのは女の体ではなく、あの大兄ちゃんと呼ばれた少年の中だった。
少年は茂みの中にしゃがみ込んで、息を殺して恐怖に震えていた。すっかり日が落ちて真っ暗になった山の中で、かすかに見える木々の輪郭線に目を凝らし、怖いものが現れませんようにと願いながら、どうしてこうなったんだろう? と考えていた。
自分は、ただ、祭りの神様を見たいと……見られたらいいなと思っていただけなのに。
少年の頭に、逃げる途中ではぐれてしまった弟と妹のことが浮かんだ。
巫女装束の――いろんなもので黒く汚れて、いろんなところが破れて、しかも暗いからよく分からなかったけれど、たぶんあれは母さんと同じ巫女服だ――女たちがゆらゆらと歩いて近づいてくる姿が不気味で、怖くて。「逃げろ!」と叫んで走っていたら、いつの間にか自分だけになっていた。
ここに隠れている今も怖い。
「……2人も、隠れてるのかな……」
『勝喜はお兄ちゃんだから。弟と妹を泣かせちゃ駄目よ』
それは昔、木登りで2人を泣かせた少年に母が言った言葉だった。あのとき、「早く来いよ」と急かす兄に負けじと登って落下した弟は途中で枝に当たって切り傷を負い、妹は痛みに泣く弟につられて泣いていた。
木に登った少年と木の下で泣く2人を見て、母は何があったかを悟り、少年を叱ることはせず、そう言って「約束」と指切りげんまんをしたのだった。
「約束……」
少年は小指を見て、あのときの約束を思いだす。
きっと2人は泣いているだろう。自分だってこんなに怖いんだから、小さい2人はもっともっと怖いに違いない。妹なんか、夜トイレに行くのが怖くてついて来てもらいたがるくらいなのだ。夜の山の中なんて、それだけで怖くて泣いてるかもしれない。
少年は震える手をぎゅっと拳にして、膝をがくがくさせながらも立ち上がった。一歩、一歩、茂みから出て、月明かりの山道をそろりそろりと歩いて2人を捜す。
(約束……約束……)
胸の中でそうつぶやきながら。
『ごめんなさい……』
突然聞こえてきた声に、憂喜ははっとした。
宙に少年が浮かんでいた。さっきまで少年の中にいたのに、今、憂喜は憂喜として、あのあぜ道に立っている。そして少年は闇の穴のような両目を憂喜に向けていて、やはり闇の穴のような口からごぼごぼと闇を吐き出しながら謝っているのだった。
『ごめんなさい……守れなくて』
2人を見つけて、山から出るんだと。きっとできると思っていたのに。
そうはいかなかった。失敗した。
少年はあの6人の巫女に取り囲まれた。少年は必死に謝った。頭を地面にすりつけて「ごめんなさい、山へ入ってごめんなさい。僕が悪いんです。僕は、お兄ちゃんだから。だから、どうか弟と妹は助けてください」と震える声で嘆願した。
そんな少年に、巫女たちはケタケタと嗤っているだけだった。
『そうさなあ……』
涙をこぼしながらがたがた震える少年の恐怖をさんざん愉悦した後。
一番背の低い巫女が応えた。
『おまえの請願の力をみてみよう』
巫女が口を開くと、その口はメリメリと重い音を立てながら耳まで裂けた。現れた黄色い歯には何の動物とも知れない皮や毛、血がこびりついて、悪臭が漂っていた。
巫女の体がぐうんと縦に伸びて、少年を二重三重に囲む。
少年が最後に見たのは、今まさに自分に食らいつかんとする巫女の姿だった。
大きな骨、小さな骨が折れて砕ける聞くに堪えない音と一緒に、少年の悲鳴が長く続く。
頭を
痛かった。
痛くて痛くて。すごく痛かったから、自分が何をしゃべっているのか、分からなくなっていた。
『助けて、って言っちゃったかも……ごめんなさい……守れなくて……』
「……っ! そんな、そんなのっ! 当たり前だろっ!!」
憂喜は泣きながら叫び、宙の少年へと手を伸ばす。
少年の受けた、生きながら食われる苦痛を憂喜も感じていた。
これほどの恐怖と痛みを、こんな小さな少年が受けていいはずがない!
「おおにぃ――……っ」
しかし続く言葉はごぼりと泡となって消えた。
ああ、まただ。
また、沈んでいく。
ひたすらに、死の水底へ向かって――――
がしりと手首をつかまれた。
薄目を開けると、5本の指が左の手首をしっかりつかんでいる。
指の先には腕があり、腕は光へと通じている。
そして腕は、憂喜を力強く引っ張り上げた。
「ったく。同期させて自身の死を味あわせ続けるってか? えげつねえ。
これだから怨霊ってヤツは、どいつもこいつももれなくクソなんだ」
激しく咳き込む憂喜の涙でにじんだ視界にぼやけたストローが映る。
彼の隣に立ってそう吐き捨てていたのは、安倍隼人だった。
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