第16話 発熱
「ちょ、ちょっとエマおばさまったら、何を言っているの?」
レゼフィーヌはびっくりしてエマ婦人の顔を見た。
「どうしてって、あんたはまだ若いし、こんな森の奥にいてはもったいないだろう」
エマ婦人はゆっくりと紅茶を飲み干すと、こう付け足した。
「それにレゼは基本的な魔法もあらかた覚えたし、もう私が教えるようなこともないんだから、一度王都に戻ってみるのも良いんじゃないかい。お妃様なんて滅多になれるものじゃないよ。」
エマ婦人の言葉にレゼフィーヌは慌てて立ち上がった。
「そんな。そりゃあ私だってちょっとは魔法を使えるようになったけど、まだまだ学ぶこともたくさんあるわ。第一私はここの暮らしが好きなの」
「でも相手は王子様だよ。シルム殿下がわざわざあなたをお嫁さんにと言っているのに」
「殿下には他にもっとふさわしい人がいますわ。大体シルム殿下はリリアと婚約していたはずなのに」
レゼフィーヌが戸惑っていると、エマ婦人は優しくレゼフィーヌの肩に手を置いた。
「まあ、今はとりあえず難しいことは後にしてご飯にしましょ。二人にも今夜は泊まっていってもらうといいわ」
「……はい」
レゼフィーヌは到底納得できなかったが、とりあえずうなずいた。
晩ご飯のシチューはちょうど四人食べても余るだけの量がある。
四人で夕食を囲むと、レゼフィーヌとエマ婦人は、城の空き部屋を片付けてシルムとアレクの泊まる部屋を作ることにした。
レゼフィーヌは胸の中にモヤモヤしたものを抱えながらもシルムのベッドを整えた。
「これでどうかしら。ベッドが少し硬いけど、シーツも布団も清潔だし寝られると思うわ」
白いシーツと布団はお客様用にと用意してから一度も使われていない綺麗なものだが、王宮にあるベッドと比べたら質素すぎるだろうか。
レゼフィーヌがチラリとシルムの顔を見ると、シルムは感激したように目を潤ませ深々と頭を下げた。
「レゼ、ありがとう」
そう言うと、シルムの甘いグリーンの瞳がじっとレゼフィーヌの顔を見つめる。
「……何かしら」
ひるむレゼフィーヌに、シルムがそっと手を伸ばす。
レゼフィーヌの心臓が大きな音を立てた。
シルムの手がレゼフィーヌの頬に少し触れる。
――えっ?
レゼフィーヌが思わず目をつぶると、シルムの手はレゼフィーヌの前髪を少し撫で、額の辺りでぴたりと止まった。
「大丈夫? 顔が赤いよ。熱があるんじゃないの」
シルムの言葉に、レゼフィーヌは慌てて自分の額に手を置いた。
「ね、熱っ?」
言われてみると、確かに顔のあたりが少し熱いような気もした。
「ああ。川に落ちたからね、きっと。今夜は早めに寝るわ。おやすみなさい」
レゼフィーヌは慌ててシルムから離れると、口元に笑み作り、急いで部屋から出た。
ゆっくりと扉を閉め、レゼフィーヌは細く熱い息を吐いた。
――びっくりした。
レゼフィーヌの胸が荒波のように激しい音を立てる。
先ほどシルムが触れた額に手を当て、レゼフィーヌは自分の体温を感じた。
全身が火照るように熱い。
やはりシルムが言う通り、川に落ちたせいで熱があるのだろう。
きっと心臓の鼓動が妙に早いのもそのせいだ。
レゼフィーヌはそう自分を納得させた。
***
「熱があるね」
翌朝。エマ婦人が起きてきたレゼフィーヌの額に手を当てるなり渋い顔をする。
「そう。やっぱり昨日川に落ちたのがいけなかったわね」
レゼフィーヌは赤いチェックのブランケットを羽織ると、ゆっくりと椅子に腰かけた。
シルムに熱があると言われたから昨日は早めに寝て、体がだるいのも治るだろうと思っていた。
だけど逆にだるさは増し、骨の節々が痛む。
これはまずいかもしれないとレゼフィーヌは直感する。
「大丈夫かい? 今年の風邪は長引くから寝ていたほうがいい」
エマおばさまが心配そうな顔でレゼフィーヌの肩に手をかける。
シルムもレゼフィーヌの顔を見るなり心配そうに顔をのぞきこむ。
「大丈夫? 僕がエマ婦人のことを手伝うから気にせずレゼは寝ていて」
「駄目よ、シルムはローブが乾いたら帰らなきゃ」
かすれ声で訴えるレゼフィーヌに、アレクも同意する。
「そ、そうですよシルム殿下。講師の誘いも求婚も断られたことですし、ここは大人しく帰るべきです」
「そういうわけにはいかないよ。レゼを置いて帰れない」
シルムにピシャリと言われ、アレクは不機嫌な顔になりつつも口を閉じる。
「まあまあ、私もやることが多いから二人がいてくれたほうが助かるし、あんたが治るまでしばらくいてもらおうよ」
「まあ、エマおばさまがそう言うのなら」
レゼフィーヌは渋々納得し寝室へと向かう。
リビングから壁越しに「それじゃあ聖水汲みにいこう」「水瓶はあなたが持ってね」というエマ婦人の声が聞こえてくる。
レゼフィーヌは毛布をかぶり、ゴロリと横になった。
骨の奥がきしむような感覚と寒気がある。
確かにこれは寝ていたほうがいいかもしれない。
レゼフィーヌはおとなしく目をつぶると、すぐに眠りの底へと引き込まれた。
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