第35話 侯爵夫人とゼン

 コンコンコン。


 部屋のドアがノックされ、侯爵夫人の声がした。


「ポーラ、今の光は何? 部屋に誰かいるの?」


 (まずい。お継母様だわ)


 レゼフィーヌは慌ててカメレオンのローブを被った。

 それとほぼ同時に部屋のドアが開く。


「あら、あなただけ? 今、何か物音がしなかった?」


 部屋の中をじっと見まわし険しい顔をする侯爵夫人。

 ポーラはにっこり笑ってベッドの上の魔法書を指さした。


「いえ、何でもないわ。ちょっと魔法の練習をしてたら失敗しただけ」


 侯爵夫人はホッと眉を下げてポーラの手から魔法書を取り上げた。


「もう、あなたは侯爵令嬢なのだから魔法の勉強なんてしなくてもいいっていつも言ってるでしょ?」


「でも……」


「それよりもあなたはダンスとかヴァイオリンとか語学を頑張らないと、社交界に出た時に困るわ。あなたには立派なお姫様になってここよりも格式の高い家に嫁いでもらうんだから!」


 不満そうな顔のポーラをよそに、うっとりと宙を見上げる侯爵夫人。


「それじゃ、良い子にして寝てるのよ。晩ご飯はメイドに運ばせるから」


 ひらひらと手を振って、侯爵夫人は去って行った。

 レゼフィーヌはほっと息を吐くと、ローブを脱いだ。


「ふう、助かったわ」


 ポーラがクスリと笑う。


「私もヒヤヒヤした」


 ポーラと共に顔を見合わせて笑うと、レゼフィーヌは再びローブを身にまとった。


「それじゃあ、私はこれで失礼するわね」


「うん、ありがとう、お姉様」


 笑顔で手を振るポーラに手を振り返すと、レゼフィーヌは再びカメレオンのローブを身にまとい、部屋を出た。


 無事に瘴気は払えたものの、ポーラの部屋から出てきたところを誰かに見られては大変だ。


 音をたてないように慎重に廊下を歩いていると、ふと廊下の先に侯爵夫人の姿が見えた。


 ――まずい。


 レゼフィーヌは、慌てて廊下の端に飾っていた兵士の像の横に身を隠した。


 ローブの魔法で姿は見えないはずだが、侯爵夫人は魔女だ。


 看破や破魔といったローブの効果を無効にする魔法を使ってくる可能性もある。


 レゼフィーヌが息をひそめていると、侯爵夫人はキョロキョロと辺りを見回し、奥の部屋に入った。


 その様子を見て、レゼフィーヌは首を傾げる。


 あの部屋は、確か侯爵家お抱え魔導士ゼンの部屋だ。


 なぜ侯爵夫人がゼンの部屋に?


 不思議に思ったレゼフィーヌは、こっそりと侯爵夫人の後をつけると、ドアに耳をつけ聞き耳を立てた。


「それで、レゼフィーヌ様はいつまでここに滞在なさる予定なんだい」


 ゼンの声が聞こえてくる。


「さあ、分からないわ。侯爵は王太子であるシルム殿下がうちに滞在するのが嬉しくてたまらないみたいだからしばらくいてもらうつもりみたいですけどね」


 侯爵夫人の声が返事をする。


「ふうん。ま、あの方は権力が大好きだからな」


 のんきに笑うゼンに、侯爵夫人は不満そうな声で言った。


「笑い事じゃないわよ。もしポーラがあの女の影響を受けて魔女になりたいだなんて言い出したら大変!」


「まあまあ、アビゲイル。シルム殿下たちもパーティーが終わったらすぐ出ていくさ。そう心配することはない」


「そうかしら……あ、いけない。そろそろ時間だわ。宝石商と会う約束をしているの」


 コツコツと足音がドアに近づいてくる。


 ――いけない。こっちへ来るわ。


 レゼフィーヌは慌ててドアから離れ、息を殺した。


 キイ……。


 ゆっくりとドアが開き、侯爵夫人が出てくる。


 その時レゼフィーヌから、部屋の中にいるゼンの様子がチラリと見えた。


 いつも頭に白い魔導士の帽子をかぶっているゼンだが、部屋の中にいたゼンは帽子を脱いぎくつろいでいた。


 その髪色は、燃えるような赤髪だった。


 ――ゼンって赤髪だったのね。


 侯爵夫人は息を殺すレゼフィーヌの横を通り過ぎると、軽快に靴音を鳴らしながらまっすぐに自分の部屋へと歩いていった。


 レゼフィーヌは侯爵夫人の姿が見えなくなると、ほっと息を吐き、足音を立てないように素早く部屋へと戻った。


 誰にも見られないようにゆっくりと部屋に戻り、素早くドアを閉める。


「ふう」


 部屋に戻ったレゼフィーヌはカメレオンのローブを脱いだ。


「どうだった?」


 部屋の中で待っていたシルムが尋ねてくる。


「ええ。ポーラには無事会えたわ。治療も上手くいったし」


「それは良かった」


「ただ……」


「ただ?」


 シルムの問いに、レゼフィーヌは顎に手を当て考えこむ。


「部屋から帰る途中、お継母様に会ったの。いえ、見かけたというべきかしら。とにかくお継母様は侯爵家付きの魔導士であるゼンの部屋に入って行ったわ」


「お抱え魔導士の部屋へ? いったいどうして」


 レゼフィーヌは肩をすくめた。


「さあ。私が聞いた限りでは大した話はしていなかったわ。でも、その時、ゼンはお継母様のことを『アビゲイル』と呼んでいたの」


「侯爵夫人のことを名前で呼び捨てに? それは妙だね」


 シルムも眉をひそめて考え込むしぐさをする。


「ええ。それに部屋から出る時にゼンの髪色が見えたのだけれど、彼の髪の毛は燃えるような赤毛だったわ。いつもは帽子をかぶっていて気にしていなかったのだけれど……」


 レゼフィーヌの説明を聞き、シルムは眉をひそめる。


「赤毛と言えば、リリア様も赤毛だね」


「ええ。確証はないのだけれど、もしこの二人に血縁関係があるとしたら……」


 レゼフィーヌとシルムは顔を見合わせ、うなずき合った。


「なるほどね。その件についてはアレクに探らせよう。ひょっとしたら面白いことが分かるかもね」

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