第14話 はじめての友達
「ふう、良かった。間に合ったみたい」
無事に植木鉢を移し終えたレゼフィーヌはほっと息を吐いた。
空を見上げたレゼフィーヌの前髪を伝って目元に雨粒が落ちてくる。
「やだ、雨が」
レゼフィーヌが手で前髪をぬぐっていると、シルムは純白のハンカチを差し出した。
「もしよかったらこれ使って」
レゼフィーヌは少しぎょっとしてしまった。
シルムにハンカチを差し出されたのは初めてだった。しかもこんな高そうなの。
「大丈夫。そんな綺麗なの悪いわよ」
レゼフィーヌが急いでポケットをまさぐると、くちゃくちゃに丸まったハンカチが出てきた。
「げっ」
レゼフィーヌがいつ洗濯したかもわからない薄汚れたハンカチと睨めっこしていると、シルムが自分のハンカチを無理やり押し付けてくる。
「それで顔を拭くよりもこっちのほうがいいよ」
なぜか人間として少し負けた気がして屈辱的だったが、レゼフィーヌは大人しくシルムのハンカチを受け取った。
レゼフィーヌがシルムのハンカチで顔を拭いていると、シルムはキラキラした翡翠色の瞳で尋ねてきた。
「ねえ、君は薔薇の妖精さん?」
レゼフィーヌはガクリとずっこけそうになった。
「あのね、妖精がこんなところで土いじりしているわけないでしょ」
レゼフィーヌが腰に手を当てて呆れ顔をすると、男の子はキョトンと首を傾げた。
「そうなの? だって君は金髪で青い目で、すごく綺麗だからてっきり薔薇の妖精さんかなあって」
シルムは眉尻を下げてレゼフィーヌを見た。
レゼフィーヌは、今まで彼が見たどの女の子よりも綺麗だった。
雨粒の滴る絹糸のような細い金髪。
好奇心に輝く大きな蒼玉色の瞳はびっしりと長い睫毛が生えていて、頬はむきたての桃のようにみずみずしく白い。
レゼフィーヌはフンと胸を張った。
「馬鹿ね。妖精は羽が生えてるし、こんな風に雨に濡れたりなんかしないわよ」
「そうなの?」
「ええ。妖精は普段は蛍みたいな小さい光にしか見えないんだけど、いざという時には半透明の人の姿にもなれるのよ。『魔女とドラゴン』に書いてあったわ」
レゼフィーヌは愛読書である『魔女とドラゴン』に出てくる花の妖精の話を男の子に話して聞かせた。
「……というわけで、セラは妖精の勧めに従って庭に色とりどりの花を植え始めるの」
「そうなんだ。君は読書家だね」
シルムに褒められ、レゼフィーヌは機嫌を良くし話し続ける。
「あなたも本を読むと良いわ。そうすればもっと世界が広がるわ。そうだ、後で『魔女とドラゴン』を貸してあげましょうか? 『嵐を呼ぶ魔女』もおすすめよ」
「えっ、いいの? じゃあ貸してもらおうかな」
レゼフィーヌと謎の男の子がそんな話をしていると、急にどこからか声が聞こえてきた。
「シルム殿下ー! シルム殿下、どこですか」
「あ、爺やだ」
シルムが顔を上げ立ち上がる。
「あなたのこと探してるんじゃないの。早く行かないと」
レゼフィーヌが背中を押すと、シルムは申し訳なさそうな顔でうなずいた。
「ごめんね。僕、もっと君とお話がしたかったんだけど、爺やが呼んでるから行かないと」
「ううん、気にしないで。また一緒に遊びましょう」
「うん……あっ」
別れかけたところで、シルムが急に振り返る。
「僕の名前はシルム。君は?」
「私はレゼフィーヌ。レゼって呼んで」
答えると、シルムはレゼフィーヌの名前を噛みしめるように口の中で何度も発音し、うなずいた。
「そう……レゼ。君、レゼって言うんだね。すごく可愛い名前だ。君に似合ってる」
「そ、そうかしら」
恥ずかしくて横を向くレゼフィーヌに、シルムはキラキラとした瞳のまま尋ねる。
「ねえレゼ、また遊びに来てもいい? 僕は友達がいないんだ。もしよかったら僕の友達になってよ」
「うん、もちろん。私たちはもう友達よ」
レゼフィーヌは、そう言うと右手を伸ばした。
その手をシルムも握り返す。
きつく握った手ごしに、レゼフィーヌはなんだか気持ちが暖かくなるのを感じた。
まるで胸に春の日差しが差し込んだみたいだった。
待ち望んでいた薄桃色の薔薇のつぼみが初めて花開くみたいにわくわくした。
その場で踊り出したいほど嬉しかった。
友達ができたのは初めてだったから。
***
「……大丈夫?」
次に目を覚ました時には、レゼフィーヌはシルムの腕に抱かれ川岸にいた。
「ここはどこ?」
レゼフィーヌがぼんやりと辺りを見回すと、シルムは優しい口調でレゼフィーヌに呼びかけた。
「君、川で溺れていたんだけど覚えてる?」
レゼフィーヌはうつろな瞳で首を縦に振った。
「ええ」
しばらく意識がぼんやりしたままシルムの腕の中にいたレゼフィーヌだったが、はっと正気を取り戻し、状況を理解すると、急いでシルムから離れた。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
レゼフィーヌは早口に言うと、頭を下げた。
シルムは照れたようにはにかむ。
「いや、無事で何よりだよ」
シルムは木に引っ掛けていたローブを取ってきてレゼフィーヌの体にかける。
「体が濡れているね。それを着たほうがいいよ」
「え、でも」
シルムのローブは、地味なデザインだが遠くからでもわかるほど上質な生地で作られていた。
川に落ちてずぶぬれになった自分が着ても良いのだろうか。
戸惑うレゼフィーヌに、シルムは無理矢理自分のローブを着せた。
「いいから。女性は冷えちゃいけないよ」
その言葉に、レゼフィーヌはシルムと出会った日のことを思い出した。
――驚いた。全く変わっていないのね。
「ええ、ありがとう」
大人しくシルムのローブを身にまとったものの、レゼフィーヌはなんだか落ち着かない気持ちになった。
こんな高価そうなもの、いいのだろうか。
あとで家で洗濯して返さないといけないかもしれない。
レゼフィーヌはぎゅっとローブの端を握りしめた。
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