『ラ・カンパネラ』
第12話
会場の前では、雪が降っていた。空からとめどなく舞い降りてくる雪は冬の妖精のように儚く、切なく、一瞬の風に運ばれて空気を泳ぐ。
場所はいつか訪れたことのあるコンサートホールだ。やはりかなり大規模なコンクールらしい。冬の盛りで出かけるのもおっくうになるほどの寒さなのに人の数はすさまじい。
ホールの中はさすがに暖房が効いていた。一年の冬、二人で過ごしたあの音楽室みたいだと思った。最近何でもかんでも思い出を引っ張り出してしまって本当に駄目だなと心の中で思うのだが、懲りずに僕は何かにつけて過去の思い出と今を結び付けるのだった。
何人かの演奏を軽く聴いたら、すぐに美音の番だった。彼女は深々と礼をしてピアノの前に座る。
少し間を置いて、彼女は演奏を始めた。
曲名は『パガニーニによる大練習曲』第3番 嬰ト短調、『ラ・カンパネラ』。1851年にフランツ・リストが編曲。もともとパガニーニがヴァイオリンで弾いた曲をリストがピアノ用にアレンジしたものだ。カンパネラはイタリア語で鐘を意味し、右手の跳躍で鐘の高音が表現される。
超絶技巧的な難関曲で、プロの演奏家さえミスタッチすることの多い曲。鋭い鍵盤感覚が求められるがその手元の激しさとは裏腹に序盤の旋律は可憐な少女が華やかかつしなやかなダンスを踊るようにかわいらしい。
まるで旋律自体が躍っているかのような繊細な曲調だが、その高音の愛らしい旋律に黒い影が差し込むかのように、左手で奏でる低音の不穏さ募る音との絶妙なバランスが聞く者を音の世界に引きずり込む。
僕がこの曲で一番好きなのは、やはりあのクライマックスだ。
ほら、美音の弾く『ラ・カンパネラ』ももうすぐ終盤。高音と低音が絶妙なバランスで合わさって哀しげなダンスを踊る。そしてその先に、あの音が待つ。
右から左へ音が低くなり、そのあとすぐに左から右へあの華々しい高音への階段の先に、
ダン、と一音フォルティシモが空を裂き。
かつてないほどの『戦慄』が、会場に飽和する。そして間髪入れずに今までとは打って変わって理性を失ったかのような激しく狂った戦慄が躍る。ピアノの白と黒の羅列の上で、頭を乱して。心を乱して。何もかもどうでもいいと
最高のフォルティッシッシモが、会場に波を呼び起こした。
その一音が響き渡ると同時に、割れんばかりの拍手が一瞬で会場を満たす。僕も手が痛くなるほど拍手をした。彼女は立ち上がり感無量の表情で一礼をした後、顔を上げてはじけるような笑顔を見せた。
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