第56話


 リアはいつもの素朴な服ではなく、おめかしをしています。深緑色の髪と瞳に似合う控えめな藤色のAラインドレス。華やかな装飾も何もないのに、目を引くのはリアの素材の良さでしょう。



「リア、とても美しいですね」


「ありがとうございます、ノアさん。その、ご結婚、おめでとうございます」


「ありがとうございます」



 リアはどこか寂しそうな顔をします。私はそれが気になりましたが、なんとなく触れてはいけないような気がしました。



「そうでした。リアには感謝をしなければいけませんでしたね。【Noar's Ark】のことも、あの日、無線を貸してくれたことも。改めてありがとうございました」


「いえ」



 リアはそれだけ言って、口籠もりました。少し躊躇って、私を窺うように見つめてきます。



「あの、ノアさんは、セレナさんが、好きなんですよね?」


「はい、愛しています」


「そう、ですよね」



 リアは今度は落ち込んだように黙りこくってしまいました。リアを傷つけたとしても、自分の気持ちに嘘を吐く気はありません。曖昧なことは良くないと分かっていますから。



「あの」


「はい、なんでしょうか?」


「今後も商会同士の取引を継続していただければと思います」



 その言葉の裏に何が隠れているのか、私は読み取ることができませんでした。けれどリアは現実的で理知的なタイプ。何の利益もない取引を求めてくることはこれまでもありませんでした。



「ええ。どうぞよろしくお願いします」



 とはいえ、【Noah's Ark】は現在危機的な状況にあります。私が魔王だと判明したことで、代表として関わっていた【Noah's Ark】が魔物と繋がりがあると忌避されているからです。その通りなのですが。


 それでも経営を維持できているのはリアたち【ニコニ商会】のおかげです。不利益もあるはずですが、それでも【Noah's Ark】との取引を継続してくれています。商品からは魔物たちの生産品は消え、私が作った魔道具のみ。それでもそれなりに売れています。


 噂より質、そう言って微笑む笑顔の裏に何があるのかは読み取れません。ですが私はリアを信じます。私を食べることでリアの得になるならそれでも良いです。友人を信用できないような人間にはなりたくありませんから。



「ノア様、そろそろ」


「はい、分かりました。それではリア、また後ほど」


「はい、良い式になることを願っています」



 私はリアと別れて、呼びに来てくれたリオンの元へ向かいました。



「ノア様はこちらへ」



 邪神像の前に立たされ、私はヴァージンロードの向こうにある入口を振り向きました。ヴァージンロードを挟んで両側に、私の家族と友人、仲間たちが並んでいます。人間も魔物も関係なく。私とセレナの門出を祝ってくれます。


 私が目指す世界の、ほんの始まり。けれどその第一歩を踏み出せていることを実感して、胸が熱くなりました。



「それでは、新婦の入場です」



 神父を務めるデックが言うと、アリオスとミノロスが入口の扉を開きました。光が差し込んできて、そこに二人の影。


 ファンクスに導かれるセレナ。真っ白なウエディングドレスを纏い、白髪も相まって神秘的なオーラが見えるようです。私の髪飾りと同様にハートがたくさんあしらわれたティアラに、一輪咲いた真っ赤な薔薇の花の髪飾り。あまりの美しさに息を飲みました。


 ゆっくりと歩いてくる二人。参列者たちのおめでとうの声に、セレナは照れ臭そうに笑います。その笑顔すら美しくて、愛らしくて、胸がドクドクと早鐘を打ってしまいます。



「ノア、セレナを頼む」


「はい、ありがとうございます」



 ファンクスの手から、セレナの手を預かります。ファンクスからセレナを貰うような、不思議な感覚。家父長制の表れだと聞いたことがあります。現代日本では異論を唱える人もいましたが、この結婚式には適しているように思いました。


 今回の結婚は私がセレナを人質として人間との和平を結んだようなものです。セレナを人間界から攫い、隔絶させるという非道な手段。それを象徴するならば、これで良いと思います。



「ノアさん」


「はい」


「よろしくお願いします」


「こちらこそ」



 セレナの手を取って、デックの前に進み出ました。



「今回は、新郎の希望により、人間の結婚式の形式に乗っ取って式を進めさせていただきます」



 デックの言葉に拍手が起こります。デックが元神父で助かりました。彼は何度も結婚式の立ち合いをしたことがあります。


 録音されているらしい讃美歌が流れる中、私はセレナをチラリと見ました。ステンドグラスのカラフルな光に染まる姿。その中でも失われないセレナ自身の輝きに目を奪われてしまいます。



「それでは、誓いの言葉」



 デックの言葉にハッとして正面を見ると、デックは私の心境を察したように小さく微笑んでいました。



「新郎ノアマジリナ・プルーシュプ。あなたはセリューナ・ジラージを妻とし、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も。これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い。その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


「誓います」



 それはこの世界に来たときから決めていたことです。かなりシナリオは変わってしまいましたが、これから先もセレナのために生き、セレナを愛で、慈しみ続けます。そして不測の事態に備え続け必ず守り抜くと誓いましょう。



「新婦セリューナ・ジラージ。あなたはノアマジリナ・プルーシュプを夫とし、健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も。これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い。その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」



 デックの問い掛けの後、セレナが声を発するまで。空気が妙にシンとした気がしました。セレナからすればこの結婚は望まないものだったでしょうから。



「はい、誓います」



 セレナの澄んだ声が耳に真っ直ぐ届きました。その言葉にはセレナらしい真摯さと優しさが込められているようで、愛おしさにクラクラしました。



「それでは、指輪の交換を」



 デックの言葉にパインが指輪を乗せたトレーを持って来てくれました。



「魔王様、おめでとう。王妃様も、お幸せに」



 そう言って下がっていったパイン。私は手にした指輪を、震える手でどうにかセレナの左手の薬指に嵌めました。格好がつきませんが、長年愛し続けた相手に指輪を嵌めることができると思うと震えが収まりませんでした。



「生涯、幸せにします」



 私が囁くと、セレナはただ小さく頷きました。その心を読み解きたくて。けれどベールに覆われた表情は見えませんでした。


 セレナに手を取られ、私の左手の薬指にも指輪が嵌められます。シルバーがこんなに輝いて見えたのは初めてかもしれません。



「やっとです」


「え?」



 セレナの言葉に思わず聞き返してしまいました。私はその言葉の真意が知りたくて、セレナを見つめます。けれどベールの奥で、セレナは小さく微笑むだけで何も答えてはくれませんでした。



「続いて、誓いのキスを」



 デックの言葉と同時に教会の中で何とも言えない空気が流れました。期待と緊張と恥じらい、それから羨望。私はまだ震えている手でセレナのベールを持ち上げました。グレーの瞳に私だけが映っていることが間近に確認できると、これだけで卒倒しそうです。


 セレナの肩に手を置いて、そっと近づきます。本当に、良いのでしょうか。不意にそんな思いが過りました。彼女の本意に沿わないことをしてしまうことが、怖くてたまりません。


 私はキスをするように、口の端、少しズレたところにキスしました。私には、これが精一杯です。



「意気地なし」



 セレナの言葉。今度は聞き返す間もなくネクタイを引っ張られて、唇に柔らかなものが触れました。目を見開いたまま硬直。何が起きているのか、理解が追い付きません。


 そっと離れていく感覚。私の視線はセレナの桃色の唇から離せなくなりました。今、あれが、私の、唇に?


 周囲の歓声。それがどこか遠くに感じて、私はただ茫然とセレナの唇を見つめました。



「ノアさん。愛しています」



 その言葉にパッと視線を上げると、セレナのグレーの瞳が悪戯っぽく細められました。



【Fin】

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