第20話
リオンの手元にあった退職届を受け取ると、パラパラと確認します。
「これからじっくり読みます。メケはルイの訓練が終わり次第私の部屋へ来てください。リオンは退職した使用人たちの私室に何か残されていないか確認をお願いします。特に危険物には注意してください」
「ああ」
「承知しました」
メケはルイの訓練に、リオンは屋敷に戻ります。私も私室に戻ると、深くソファに腰かけて天井を見上げました。
私とメケ、リオンが公爵家へ行くと決まってすぐにこんなことになるなんて。ルイをこの屋敷に一人残すことはできません。早急に使用人を三人は見つけなくては。家事を任せる者、家庭教師、そして護衛。最低でも三人です。それも信用ができる相手。
目の前に現れた難題に私は頭を抱えます。リオンの前では堂々とした態度を崩さないように気を張っていましたが、内心では大慌てです。
「どうしたものでしょう……」
深々とため息を吐いて、それから本棚を見つめます。魔物の森と繋がる本棚。あの向こうでどんな問題が発生したのか。考えるだけで頭が痛くなります。
これまでに魔物たちから持ち込まれた問題といえば、大抵は種族同士の上下関係についてや領地についての揉め事でした。その程度であれば、最初に規定した通りに力で決めてしまいます。けれど、それでは解決しないからメケがあんな顔をしていたわけで。
「失礼する」
悶々としているとメケが入室してきました。姿勢を正してメケを見ると、メケは手袋を外して回転扉を開きました。
「見てもらった方が早い」
そう言うメケに付いて行くと、魔王城のすぐそばの洞窟に案内されました。確かここは、ブラックドックの巣穴だったはずです。ブラックドックは赤い瞳に黒い犬の姿をした妖精で、死の先触れとなる魔物です。死神のようなものですね。
彼らはちょうど繁殖期です。私は彼らを刺激しないよう静かに巣穴に入りました。するとそこには、母犬らしき大型のブラックドックの傍でふわふわとした黒い犬が五頭すやすやと眠っていました。
「可愛らしいですね……」
「ああ。こいつらはみんなブラックドックだ。問題があるのは、あいつだ」
そこには少し離れた場所で寒そうに身体を震わせているグレーの毛並みの子犬が一頭いました。ブラックドックとは少し毛色が違い、また瞳も金色です。
「あれはシャドーウルフだ」
「ウルフ……」
なぜこんなところに狼が。私の疑問はすぐに解決されました。子狼の向こうに、すっかり冷たくなってしまった大型のシャドーウルフが二頭倒れていました。子狼の両親らしきその二頭の首には赤く血の痕が大きくこびりついています。
「彼らは敗れたんだ。レッドグリズリーとの闘いに。そして息も絶え絶えこの巣穴に迷い込んだところで出産をして息絶えた」
「あの子をどうするか、というのが問題なのですね?」
「ああ。ブラックドックもシャドーウルフも生態は似ているが、シャドーウルフとブラックドックは生きる次元が違うんだ。ブラックドックの子どもたちの能力でシャドーウルフの子が死ぬ可能性もある」
ブラックドックは死を告げる犬の亡霊。対してシャドーウルフは影に生きる狼です。ブラックドックと共にいれば、何が起きても不思議はありません。
世の中は弱肉強食ですが、恩を仇で返すような関係性は、仁義に熱い悪魔族のメケからすれば納得のいかないものでしょう。私はあまり生態系に関しては手を出したくはなかったのですが、あの子狼をこのまま凍え死なせるのも寝覚めが悪いです。
「分かりました。あの子は私が保護しましょう」
「良いのか?」
「ええ。そうですね……犬として屋敷で育てましょうか」
メケは訝し気な顔をしましたが、シャドーウルフであれば問題ありません。影に潜む特性と魔力を宿していて魔法を使える以外は普通の犬と大差ありません。かなり大きな違いかもしれませんが、見た目に分からなければバレませんよ。
「まあ、主が言うなら我は反対せぬ」
「ふふ、屋敷を離れる前に躾は済ませないといけませんね」
「……は?」
メケはポカンとしていましたが、私は子狼を抱きかかえて魔王城へ連れ帰りました。メケは私の後を追ってきて、プルーシュプ家の私の私室に戻ってきた瞬間に口を開きました。
「おい、主。この屋敷を出ていくのか?」
メケが私を睨みつけます。私はそれに微笑んで返しました。
「ええ。私とメケ、そしてリオンは引っ越します。私はこの屋敷の主ではありませんし、仕事を得ましたから」
「いつだ?」
「ルイのための使用人を三人見つけたら、です」
「こいつは数には入るのか?」
「ルイには番犬ということにしておきますから、数には入れませんよ」
メケは私の言葉にホッと息を吐きました。ルイのことをどうでも良いような素振りを見せることも多いメケですが、ルイのことを気に入っていることは明らかです。素直で純粋なルイはメケにとって光なのかもしれません。
「ルイの訓練も可能な限り進めておく」
「はい、お願いしますね」
私は微笑んで子狼を毛布で包みます。よく見ればオスのようです。シャドーウルフのオスですか……それなら、名前は。
「よし、君の名前はカゲマルですよ」
私の命名にメケの表情が引き攣りましたが、私は気にしません。昔から黒かグレーの大型犬を飼ったらそう名付けると決めていたんです。マンション暮らしでそんなチャンスはありませんでしたが。
「よし、カゲマルはお風呂に入れましょう。それから、ルイの使用人探しも本格化させましょう」
私が言うと、メケは頷いて私の私室を出て行きました。残された私はカゲマルを抱き締めました。
「君には私の大切なものを任せます。よろしく頼みますよ」
カゲマルは私の言葉を理解しているのかどうなのでしょうか。分かりませんが、震える身体で私に擦り寄ってきました。
その日の夜。リオンにも公爵家で護衛の仕事を得たことを告げると、すぐに頷いてくれました。
「ボクはノア様に一生ついて行きますから」
「ありがとうございます、リオン」
私はリオンのような忠実な人間が傍にいることを改めて感謝しました。
その日以降、リオンは精力的に新しい使用人候補を探し始めました。メケはルイの訓練に本腰を入れて取り組み、私はカゲマルの躾と屋敷の家事を担いました。
ルイは私たちが屋敷を離れると知り不安げな表情を浮かべましたが、すぐにメケによる訓練と魔術師としての訓練に力を入れ始めました。ルイはメキメキと実力をつけ、同級生には敵なしと言われるほどに成長しました。
私はその姿に安堵しつつ、これからも学園内ではルイを見守って行こうと決意しました。彼が道を踏み外さないように。セレナとの結婚の他に目標があるとするならば、これしかないと思います。
ルイの成長を見守りながら屋敷を出る準備を進めていたある日。何度目かの使用人面接が始まりました。
凛と背筋を伸ばした戦闘能力が高いとひと目で分かる女性、知的な雰囲気を醸し出す陰鬱な初老の男性、そして手荒れをするほど家事に勤しんでいると分かる女性。面接に集まった十数名の中から選ばれたのは、この三名だった。
護衛担当にはメケと互角に戦った紺色の夜空のような髪と瞳を持つマチルナ・ベッベ。家庭教師担当には暗い赤紫の髪をオールバックに纏めた元神父、デック・ツヴァイツ。
そして家事担当には以前騎士団の訓練所で出会ったルイーザの妹、ラウレンティア・クルックことラウラを採用しました。
ラウラ以外は騎士団長から推薦された人物なだけあってかなり優秀でした。そしてラウラも、家事のスキルが平均以上に高いです。私は彼らの好待遇を約束し、三人をルイの側近として屋敷に招きました。
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