ルイン攻防戦-混戦と情念
アルファは困惑していた。
声が背後から聞こえてきたことは特におかしくない。
しかし、その台詞がとてもアルファ達ルインを守る者達の言葉とは思えないものであり、その声には非常事態に似つかわない感情が乗っていた。
アルファは振り返る。そこにはとある男が立っていた。
黒のシンプルなシャツの上に拳くらいの銀のリングを左右対称に数個付けている灰色のジャケットを羽織り、薄い青と紺の二色のテーパードパンツを履いている。動きやすそうな青色のスニーカーを履き、腰には剣が納刀されているであろう鞘がぶら下がっている。
少し色素の薄い黒めの髪は首の上くらいまであって全体的に短い。両耳にはシルバーのリングのピアスを付けており、顔は端正だが、少し他者を見下しているかのように見える表情をしている。
(誰だ、仲間? いや、さっきの台詞からしてもそういう感じじゃない。じゃあ敵? この状況を狙っていたテロリストか何かか?)
アルファは突如現れた男が何者なのか必死に頭を働かせて考える。
しかし、その男はアルファの思考を横切っていく。
「なぁ、あんた勇者アルファだろ? んであっちに行ったのがエルファ。実際の勇者を見たことなんて数えるくらいしかないが、まさかこのタイミングとはなぁ」
「……お前、誰だ? 冒険者か?」
「いや違う。冒険者には興味あるけどね」
今は危険生物の大群との攻防戦の真っ只中である。にも関わらず、その男の口調や雰囲気はまるでどこかの飲食店で友人と話しているかのようである。
そのギャップを気持ち悪く思い、アルファの疑念と警戒心は高まっていく。
「では何故ここにいる? 兵士には見えないし、冒険者でもないなら避難した方がいいんじゃないか?」
「お、流石勇者だ。優しいな。でもいいんだよこれで」
「そうか。確かに武器を持っているようだし、戦えるようだな。協力してくれるか?」
可能性として、その男が本当に味方で危機管理能力の乏しい、またはこのような非常事態も気にならない程の実力を持つということも考えられなくはない。
それであれば歓迎するべきである。アルファはその可能性を見捨てなかった。
「んー、確かにこんな状況だもんな。今は安定しているように見えるが、何か一つイレギュラーが起こるだけで総崩れになる可能性は十分考えられる」
「いいから、どうするんだ」
ゆっくりと話をしている暇はない。この間にもアルファは男を気にしながら危険生物達の対処を行なっている。
「急かすなよ。じゃあこうしよう」
すると男は右手の人差し指を立てて言う。
「この街をもらい、お前を半殺しにして連れて帰るとしよう」
瞬間、アルファは凄まじい速度で男の方へ飛び、地上数十メートルにも伸びる火柱を男に放った。
迷いは一切なかった。まだ何か間違いがあるかも、などと今会ったばかりの他人に思うことはない。
最初から怪しさ全開でアルファはその男と戦うことを覚悟していたし、直感的にこの攻撃でその男が死ぬことはないと感じていた。
「おー、今の一瞬でこの火力かよ。あいつらに放ってる火の戦闘神法は力のほんの一端か」
「全員、聞け! こいつの対処は俺がする! 火は定期的に放ちながら何とか持ち堪えてくれ!」
男はまるで何もなかったかのようにその攻撃を避けていた。
そこでアルファは大声で周囲の者達に伝える。
皆、突如現れた男にどう対処すればいいのか分からなかったのと、アルファが話していたため注意をしながらも危険生物の方を優先していたのだ。
「それと、この状況をエルファにも伝えてくれ! 来てもらおうとしなくていいから、伝えるだけでいい!」
「了解!」
アルファがこうも真剣に敵となった男を危険視するのは、単純な理由である。
先ほどの火柱を出した一撃、あれを普通に避けることのできた男は間違いなく只者ではない。アルファが対処すべき相手と見定めたのだ。
(何故こいつはルインを攻撃し、俺を潰そうとするのか。危険生物の大群と関係があるのか、一体何者で何を企んでいるのか……。知りたいことは沢山あるが、とにかく今はこいつを無力化しなければならない)
アルファは周囲をサッと見渡す。
(ここで戦うのもそれはそれで危険生物への牽制にはなるか。ただ、冒険者や兵士を巻き込む可能性がある。できれば少しでも場所を移動したいが……)
街中に移動するのは論外としても、他に移動する場所の候補はあまりない。
(そもそもこいつが場所の移動に賛同するとは思えない。力づくでやるしかないな)
アルファが思考を巡らせていると、男は笑っていた。
「あー、そりゃ色々考えるよな。分かるよ、流石にこんな状況は予想できなかったろうからな」
「そうだな。あまりに迷惑で驚いているよ。大人しく捕まってくれたら俺の悩みも解決するし、お前も痛い目を見ずに済む。どうだ?」
「流石、勇者様は自信があるなぁ。こんな状況はこっちとしても予想外だし、本当は面倒だからやりたくないし、どう対処すべきかの正解も分からないが……。じゃあ、せめて痛い目見ないで済むように潰すとするよ」
その返事は分かりやすい拒否を示していた。
男は剣を鞘から取り出す。それはシンプルなシルバーの剣だが、武器にもよく精通しているアルファはそれが高価で丈夫な素材で作られていることを察した。
「お前が何の組織に所属していて何を目的としているのか、名前だってどうせ教えてくれないんだろ?」
「ん? あー、名前くらいは別にいいぜ」
「へぇ、じゃあ教えてくれよ」
「ガルグ・ウェイストンだ。忘れないでくれよ?」
「なるほど、それが偽名かどうかを確かめるのはお前を捕まえてからにするぜ!」
そうして、謎の男と勇者アルファの戦いが始まった。
そんな混沌とした状況を離れたところから見ているのは、今も役所の屋上にいる世莉架である。
(あれは、一体何者? 只者には見えないけど、アルファと戦おうとしているし、完全にイレギュラーの存在のようね。この機会に乗じてルインを乗っ取ろうとする裏社会の誰か?)
世莉架の常人離れした視力は謎の男をしっかり捉えていた。しかし、いくら何でも読唇術で二人の会話を読むことは難しかった。
(彼らの戦いをこのまま見ていたい気持ちもあるけど、そろそろ私も動かないといけない)
それまで役所の屋上からの観察を続けていた世莉架だが、ようやくその場所を離れることにした。
(イレギュラーな彼の存在がどんな情報と状況をもたらすのか分からないけど、ある意味色々とチャンスかもしれない)
世莉架はこのような状況をも利用しようと考えつつ役所を離れ、ほとんどの街灯が消されている暗い闇に包まれた街の中を走っていった。
**
外からの人の声は聞こえないが、巨大な体を持つ危険生物の大群の足音は一般市民の避難している地下避難場所にも響いていた。
「くそ、何だってこんなことに……」
ぐったりと壁に寄りかかっているハーリアの横にいる若い男性はそう呟いた。
地下避難所にはいくつか明かりが灯っているが、人々の気持ちは明るくない。
ルインはこれまでこのような事態に遭遇したことがない。ルインに住む場合、兵士や冒険者にでもならなければ危険生物の脅威を感じることは基本的にないと言える。
そんな不安な気持ちで一杯になっている人々の中、ハーリアの中に不安な気持ちはとても少ない割合しか占めていなかった。
それは当然、ハーリアの親のことが気持ちの大部分を占めているからである。
すると、暗い表情で冷たい床を眺めているハーリアの近くに一人の女性が近づいてきた。
「あ、やっぱり……」
そう声が聞こえてハーリアはゆっくりと顔を上げる。
「そうなんじゃないかと思った。大丈夫?」
「あ……」
そこにはハーリアの通う学校でのクラスメイトが立っていた。ハーリアとは違うタイプのクラスの中心になりそうな女性である。
ハーリアの脳はそのことを正しく認識したが、上手く返事をすることができない。
「……まぁ、こんな状況だもんね。なんか、今になってようやく現実味が湧いてきたって感じ。てか、なんで今も制服着てるの?」
「あ、いや、うん……」
「……ごめん、そんなの気にすることじゃないね。でも、あんた、いいの?」
「え?」
女性の言っていることが分からず、ハーリアは疑問の声を上げる。
「だってあんた冒険者だし、私はあんたの神法を知っているから、あんたが行けば……」
そこまで言って女性はハッとしたような表情になり、申し訳なさそうにする。
「いや、ごめん。冒険者とはいえあくまで特例だし、所詮は学生だもんね。こんな危険な状況で出ていくのはダメだよね」
「……」
そのハーリアのクラスメイトは、ハーリアが前に世莉架達に話した神法を後天的に得るために色々と試行錯誤しながら教えたことのある女性だった。
結果的に後天的に神法を得ることはできなかったが、その教えの中で女性はハーリアの神法を見ているし、どれだけ扱えるのかも知っているのだ。
「でも、こんなことを言うのは酷というか無責任かもしれないけど、もしも本当にヤバい状況になったら、あんたが頼りになるかもしれないよ」
「そんなこと……」
「あんた、もう少し自信持ちなよ。少なくとも、私はあんたの凄さを分かっているし、あんたの両親だってあんたの凄さを分かってくれてるでしょ?」
「……」
両親。そのワードを聞いてハーリアの脳内はまた両親で埋め尽くされていく。
「まぁ、あんたはそういう性格だから仕方ないのかもしれないけどさ。結局神法は得られなかったとはいえ、あんなに真剣に教えてくれて私は嬉しかった」
「それは、楽しかったから……」
そう言われて女性は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ふふ、あんたはこんなに魅力的なのに、みんな気づいてないんだよね。まぁ、私も気づいてなかった一人なんだけど。とにかくさ、あんたには力がある。だから、あんたの大切な人達を守るためにも、力の使い所と使い方を考えないと。私はあんたなら、勇者のような英雄にだってなれるかもって思ってるよ」
ハーリアにとって最も重要で大切だった両親はもういない。しかし、それでも他に一人も大切な人がいない訳ではない。目の前に立っているクラスメイトの女性、まだ会ったばかりだが世莉架やメリアスもハーリアにとっては大切な繋がりである。
「それじゃあ、そろそろ家族のとこに戻るね。また学校に通える状況になったらよろしくね」
そうして女性は家族の元へと戻っていった。
何故ハーリアは一人で両親といないのか、という疑問はあったろうが、色々な可能性を考えて言及することは避けたようだ。
ハーリアはまた一人になる。頭の中はぐちゃぐちゃになっているが、先ほどまでとは違う部分があった。
脳内を支配しているのは、両親のことだけではなくなっていた。既に両親は死に、非常事態になってルインすら危うい状況である。
今頃世莉架やメリアスは外で戦っているはず。対して、自分は力があるのに避難場所で縮こまっている。
学生でまだ子供なのだから、そんな危険なところに行く必要はない。そう自分に言い聞かせる。
「そうだ、私なんて行っても……」
そう小さく呟いて自分に言い聞かせる。そうしないと、頭がどうにかなりそうだった。
自身の力を認められようと、ハーリアの今の憔悴した状態では全く響かない。そう、ハーリアは思っていた。
しかし、先ほどよりも体に力が入ることをハーリアは自覚していた。
そこでハーリアはまたも両親について思考を巡らせる。両親は、悪人だった。仮に普通に捕まっていた場合、処刑されても何らおかしくはない程の罪を犯していた。
ずっと優しかった両親は悪魔だった。自分にはずっと優しいが、裏では非人道的な行いを繰り返していた。
その上ルインは危険生物の大群に襲われ、勇者はいるが危うい状況にある。
(なんで……)
世界を自分の思う通りにコントロールすることなどできやしない。
(なんでなんで……)
理不尽はどんな人にも降りかかる。それは世界の常であり、誰もが嫌々ながらに理解する常識だ。
(なんでなんでなんで……)
せっかく世莉架とメリアスという友人が出来たのに、すぐに両親を失いルインは非常事態に陥る。自分の感情を上げて下げて更に下げて、全くもって理不尽である。
その理不尽に対する回答や反応は人それぞれだが、ハーリアは一つの回答に至る。
「……ムカつく」
それは、これまでのハーリアが抱くことは無かったものであり、自身の溜めに溜めた感情やドロドロとした思いを発散させるための静かに燃え滾る激情だった。
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