第27話 広がりの一途
***
後期の授業が始まった9月の下旬。僕は4限を終えると早足で大学を後にし、いつもの場所へと向かう。街はまだ夏の蒸し暑さを残しつつ来たる秋に備えている様子で、街行く人々が長袖を着るようになったり、木々に付く葉の色が深みを増したりしていた。蝉の声も段々とまばらに聴こえるようになったし、なにより空が広い。
リズム良く僕の靴は地面と協奏していて、その音は心臓の鼓動と良く一致していた。目的の公園に着いて辺りを見渡すと、いつものように彼女はベンチに座って本を読んでいた。前とは違う、ロシア文学の有名な一作だ。ゆっくり近づき、見下ろす形で声をかける。
「お疲れ様」
「あら、だいぶ早かったわね」
「そうかな?」
「そうよ……もしかして、そんなに楽しみだった?」
「さあね、ほら行こう」
僕はくるりと公園の出口を向いて歩き出す。後ろから立ち上がり歩き出す理香の音が聞こえる。やがてその音は僕の横に並び、歩調を合わせていく。晩夏の空気に安らぎと確かな温かみを感じながら、理香の家へと向かっていく。僕と理香は予定が合う日はこうして理香の家に集まって一つの物語を作っていた。
理香の家に靴を脱いで上がる。これで何度目だろうとふと考えてみたが、すでに何度も上がっているので数えるのはやめた。相変わらず掃除が隅々まで行き届いていて木目調の床にはほこり一つも見当たらない。それと相反するようにデスクには作品の資料や書き殴ったメモが散乱していて、物語に対する熱意が見てとれる。
理香はデスクに僕を向かわせ、デスクトップ画面に表示された作品の添削・推敲を促す。あれから僕は理香の作品を見ては、文章の表現や設定の矛盾の添削・推敲を任されている。彼女いわく「私1人では気付けないものや思いつかないものがあるからそれを補ってほしい」、とのことだった。もちろん僕の添削・推敲が彼女の意図するものと違っていることもあるので、僕が作品を一通り添削・推敲をした後に再度、彼女も作品を見るようにしている。
その作業が終わると、僕はベットのすぐそばにあるテーブルに追いやられ、理香は作品の続きに取り掛かる。そのあいだ僕は大抵、大学での課題をやっていて、2人のあいだにはキーボードをリズミカルに叩く音と時計の針の音だけが漂っている。
そうして作業を始めてから5時間ほど。外はすでに夜の帳が下りていて、立ち上がって窓の外を眺めて見れば立ち並ぶマンションと電柱とビルの向こう、上弦の月と微かな星明かりが雲一つない空に輝いていた。振り返ると、理香はチェアに座ったまま伸びをしていて、今日1日の作業が終わったことを言葉なく伝えている。
「ふぅ……今日はここまでね。いつものことながら、智樹くんありがとう」
「いいよ。書いてたやつを見るのは、また今度で良い?」
「ええ。それと……」
僕が荷物をまとめている中そう理香は言いよどむと、口を閉ざす。意図せず沈黙が走り、いつもなら気にならない空気感に緊張が走る。いつもとは違う、なにか別の会話。理香はそれを口にしようとしているのだと感じてしまう。妙にくすぐったい心地がして、ついこちらから口を出す。
「どうした?まだなにかある?」
「あ……いえ、なんでも。それじゃあ、また」
「あ、うん……また」
釈然としないまま理香に背を向けていつものように家を後にする。パタリと閉まる扉の向こうで今も理香がこちらを見ているような気がして、少し心苦しくなってしまう。階段を降りている最中、やけに靴音が耳に反響して残る。スマホを確認しても、メッセージはない。
1人駅周辺の道を歩く。昼に比べて低くなった気温は過ごしやすく、1日を終えた身体をゆっくりと眠りに誘う。自然と瞼は重くなり、くあぁっとあくびまで出てきてしまう。道行く人々も目には見えない疲労感を漂わせており、スーツや鞄から仕事との闘いぶりを感じさせる。
家に着くころには僕の身体にも、先ほどのサラリーマンのように疲労感がドッと重くのしかかった。真っ暗な部屋にあるベットにそのままダイブし、スマホを覗く。すると理香からメッセージが来ていた。
『さっき言おうと思ったのだけど、良かったら今度駅近くの喫茶店に行かない?日頃のお礼も兼ねて』
だんだんと速くなる鼓動音を押し込め、ゆっくりとスマホのキーパッドでフリック入力していく。そして返事を送信する。
『なんだか突然だね』
少しからかってみる。するとすぐに既読が付き、案の定理香は少し起こったようにメッセージを返してきた。
『……からかってるの?ならこの話はなかったことに』
僕は頬を緩めながらフリック入力し、タタンタンと指を踊らせて返事を送信する。
『冗談だよ。近いうちにぜひ』
既読が付くとともに、ポポっと素早く2つメッセージが来る。
『そう、なら今度勤務が被った時にしましょう』
『おやすみなさい』
この時から、作品以外の関係で予定を合わせることも増えた。徐々に知っていく彼女の人となりや癖。それは彼女も同じで、僕の人となりや癖を知っていく。そうして自然と距離は縮まり繋がりは強くなっていった。
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