第24話 告白
太陽が西に傾き始めた昼下がり。外はじりじりと熱を帯びていて、照りつける陽射しとその熱によって温められたアスファルトに挟まれるかたちで、僕と理香は額に汗を滲ませていた。
道の先にはゆらゆらと陽炎がたちのぼり、周囲のビルも目には見えない熱を帯びている。街中を歩くサラリーマンや半袖を着た小学生も、みな一様にこの暑さを呪うように歩いている。横目で理香を見れば、この暑さを恨めしそうに眉をひそめて歩いていた。
僕たちはパン屋での勤務を終え、近くの公園に向かっていた。僕は先にバイトをあがっていたが、先ほど理香が言っていた言葉を覚えていたので彼女が勤務を終えるまで待っていたのだ。幸い理香は昼を過ぎたころに勤務を終え、今はこうして真夏の空の下を並んで歩いている。
「それにしても暑いわね。もう夏は死んだのかしら」
「青森もここまで気温が上がるとは……」
「私が小さいころは、もっと涼しかったわ。最近になって急に暑くなったの」
理香は自前のハンカチで額を拭きながら、どこか遠くを見てそう言う。僕の知らない青森を見て言っているのだろう。その視線は、瀬辺地周辺に向いているのだろうか?
公園に着くや否や、僕たちは木陰の下にあるベンチに座って砂場や滑り台ではしゃぐ子どもたちを眺めていた。話があるはずの理香も、この暑さに堪えたのだろう。凛々しい表情のままボーッとしている。時折飲み水を取り出して飲んでは、ハンカチで首筋や頬の汗を拭っている。
青く澄み切った空には白く雄大な雲が浮かんでおり、空を低く錯覚させる。吹く風は酷く湿っぽく、しかし子どもや周囲の生活音を含んでいて、どこか爽やかに僕らを包み込む。青々と茂る木々は、そんな風に揺らされてザアザアと音を立てていた。しばらく沈黙していた理香が、こちらを向いて口を開く。
「ずいぶん楽になったわ。智樹くんはどう?」
「なんとか。やっと汗が引いてきた」
「そう、ならそろそろ本題に入りましょ」
近くの木でセミが鳴いている。そのけたたましい鳴き声にかき消されそうな中、理香は咳払いをしてからハッキリと、しかしどこか躊躇いがあるような顔で目を伏せながら言った。
「わたし、小説家になりたいの」
「……へぇ」
何をどう反応したら良いかわからないその唐突な告白に、僕は周囲の音を忘れて呆然とした。言っていることはわかる。しかしなぜ僕に言ったのかが分からなかった。理香は普段の様子から全く見せない、どこか恥ずかしそうで子供っぽい表情をして、頬を赤らめ口元を歪ませていた。一際強く吹いた風が和らいでいく頃に、理香が再び口を開く。
「へぇって、他にもっと言うこととか聞くことあるでしょ?」
「いや……なんとなく、それっぽいなぁって」
「はあ。もっと驚かれるものだと思っていたのだけど、つまらないわね」
「つまらないって……ウワーオドロイタナー」
「やめて」
「はい……」
理香はまたも沈黙する。公園で遊んでいた子どもたちがどこかへ行ってしまったからか、風とセミの音が周囲を包む。木陰の涼しさが肌にようやっとなじみ、服の下にかいていた汗が冷えて肌寒く感じさせる。それとは対照的にどこか照れた様子の理香は、こちらを横目で見ながら、どうも僕の言葉を待っているようだった。
夏の自然音に小さなため息を紛れ込ませ、一呼吸おく。身近に小説家を志す人はいなかったので、どう反応して良いか、なにか質問をすれば良いのか、分からなかった。しかし彼女には聞きたいこともあったので、一つずつ聞いていくことにした。
「その、キッカケはやっぱり理香のお父さん?」
「……そうね、それが1番の理由よ。この本を持ち歩いているのも、お守りみたいなものね」
「お守り?」
「いつか私の創った世界が人気を得て、父さんを越えられますようにって」
「へぇ……それで、今はパン屋で働きながら書いてるんだね」
「そうよ。前にフラフラしてるって言ったのは、それを隠すため」
「隠す?なんのために?」
「それはっ……あまり、小説家なんて夢言えないじゃない。それに私は24よ、社会的に見ればアウトよ」
「あんまり関係ないと思うけどなぁ、パン屋で働いてるわけだし」
そう言うと理香は言葉を詰まらせて、珍しく下を向いて手をモゾモゾとさせている。それがまた子供っぽくてつい笑ってしまった。声が出そうになるのを堪えていると、横から空気が凍てつくほど冷たい睨みが僕を捉えていた。背筋がゾワっとしたが咳払いをして、笑いを誤魔化しながら理香にもう一度聞いてみた。
「えっとそれで、なんで僕にわざわざ言うの?」
「待っていたわ、その言葉。実は――」
そう言って朝から持っていたバッグを開いて、なにやら紙の束を取り出し、こちらに差し出してくる。あらかた予想はついているが、とりあえず受け取って彼女の言葉を待つ。
「智樹くん、私の小説を読んで感想をちょうだい。なんでもいいわ、気になった点でも面白くなかった点でも」
「……僕に批評をしろと?」
「ええ。あなたなら何か言ってくれそうだから」
「ど素人ですけど」
「小説、読んでるのでしょ?なら大丈夫よ」
理香は俺に紙の束と一枚のメモ用紙を渡すと、いきなりベンチから立ち上がって「それじゃまた」と言って公園の出口へと歩き出してしまう。その速度は残像が出来そうなほど滑らかで素早かった。僕が声をかける間もなく立ち去ってしまった彼女の背と、渡された原稿用紙と雲を見る。雲の裏には飛行機雲が二筋、交わるようにして空に伸びている。
心の一部が僕の意思とは別に、ある予感を感じさせた日となった。
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