第22話 駅と昼時

 連絡路を渡っていると、窓から陽の光が通路内部を照らし、宙に舞うほこりがキラキラとしていた。ところどころ壁紙が落ち、鉄格子は錆びていて、駅に通じる道がノスタルジックを感じさせる。僕と理香が歩くたびに空間が音で応え、まるでこの世界に僕らだけが存在しているような錯覚をさせる。パッキリと分かれた陽と影の中を無言で進む。


 灰色の階段を降りて外に出てみれば、連絡路に入る前と同じように時が動き出し、世界の音が僕らを包み込む。電車のリズムに風の旋律が乗って、僕らはその中を歌うように歩く。蟹田駅ホームから駅舎に入ると、木造の温かさを感じられた。窓口にいた駅員に一礼し、駅舎を出る。瀬辺地駅周辺よりは活気あれど、依然として人は少なく、サイクリングをしている人や車を走らせる人が数人いる程度だった。


「久しぶりに来たけど、あまり変わらないわね」


「田舎だね」


 静岡市街地にずっと住んでいた僕からすれば、驚きと困惑に満ちた場所であった。歩く人はほとんどおらず、話し声など聞こえてくるはずもない。機械音もほとんどなく、ただ夏の匂いと自然の音が僕らの世界を作り出している。


 5キロほど歩いたからか、すでに僕らはクタクタだったため、駅舎の近くにあった休憩所で休むことにした。トイレと数席だけがある小さな建物だったが、あちこちに外ヶ浜町のポスターや郷土品が置かれていて、なんだか良い場所だな、と呟いてしまいそうなほど、感じの良い場所だった。空調は効いていなかったので、蒸し暑さはあったが。


「へぇ……ここに本があるとは思ってなかったわ」


「この辺の人たちの、寄贈図書みたいだね。随分と古そうなものまで」


 建物の隅にあった小さな本棚に、ぎっしりとまではいかないが、本が数十冊ほど入れられている。刊行年数を見ずとも随分前に発刊されたのだろうということが分かる。1冊1冊、本を傷めないよう丁寧に眺めていると、横から「あっ」という理香の声がした。


「これって……」


「理香が持ってる本だ」


「しかも初版の……なんだか、嬉しいものね。自分の好きな本が置かれているのは」


 そう言って微笑む理香の表情は、まるでプレゼントを貰った子どものように嬉しそうで、こちらも心が温かくなってしまう。そう思っていたのもつかの間、理香は途端に目尻を下げた。それはどことなく寂しそうで、悔しそうで。それが何を意味するのか、僕には分からなかった。


「そろそろ、帰ろうかしら。午後から予定があるの。智樹くんはどうする?」


「……」


 少し悩んでから、黙って首を振る。


「あら、なにかまだやり残したことでも?」


「それこそ、理香はもういいの?」


「私は……ううん、この変わらない風景が見れればそれで良かったの。だから私は、大丈夫」


「それなら良かった。僕はもう少し散歩したい気分になっちゃってね。だからもう少しこの辺りにいるよ」


「そう……なら、駅まで送ってくれる?」


「もちろん」


 そうして休憩所を後にして、すぐそばの駅舎に再び入る。思いのほか早く電車は到着し、彼女は青森駅行きの電車に乗って行ってしまった。前と同じように「またね」とだけ残して。それからしばらく、僕は駅のホームに立ち尽くしていたが、何かに後ろを押されるようにして、再び駅舎に戻った。そしてしばらく座って休んでから、もう一度立ち上がった。



 

 太陽はどんどんと昇り、駅舎を出る頃には頭上へと来ていた。差し込む陽射しに表情を険しくさせ、下着の内側をベタつかせた。湧き出る汗はどうしようもなく、陽の光を遮る雲さえない。そんな中でもう少し散歩をしたくなったのは、彼女に触発されてぶり返してしまった在りし日の想い出のせいだろう。


 あの時は雪と風が大気を支配し、その背後で夜の闇がジロリと睨みを利かせていた。そんな中でも温かさを忘れなかったのは、彼女のおかげだった。しかし今はもう、いない。


 先ほど通りかかった踏み切りのそばでドサリと座り込み、夏の蒸し暑さに我慢の限界を感じて、ポケットから煙草とライターを取り出す。火をつけ煙を吐き出せば、先ほどより幾分か楽になった。気候変動によって変わってしまった夏。それはどこか自分に似ていて、変わらないものなんてないのだと、自分に言い聞かせる。そうすることでしか、自分を確かなものに出来ないから。


「……今頃、なにしているんだろう」


 考えても仕方のないことだが、つい考えてしまう。僕らが繋がりを失ったあと、僕はこうして生きてこられた。それならば彼女は?確かなものになりたいと思わせてくれた彼女はいったい、どんなふうに生きているのだろう?


 彼女は今も、僕を覚えているのだろうか?


 そう考え、すぐに首を振って思考を閉ざす。いまさらどうこう考えても、彼女との繋がりが戻るわけでもなく、考えれば考えるほど、これまでの自身の否定になりかねない。それに、彼女を想ったところで無意味じゃないか。あの時の純粋さは馬鹿らしいと、青臭いと否定したじゃないか。どうしてここまで……。


「……帰ろう」


 そう呟いて立ち上がり、駅舎に戻ろうとすると、踏切が鳴って赤のランプを点滅させる。やがて電車が横切り、空気を切り裂いていく。夏の風が珍しく、冷たく感じた。

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