第20話 蟹田へ向けて
駅周辺から国道280号へと出て、特に会話もなく海の側まで来たところで、理香は防波堤に座り、海を眺め始めた。僕もその隣に腰かけ、潮の香りと海の青さを感じる。遠くに見える雷雲は風景に溶け込んでおらず、不穏に大間の空を漂っていた。
横に座る彼女は、海を眺めながらこちらに話しかけてきた。
「前に私、ここになんとなく来たって言ったでしょ?あれ、嘘なの」
「嘘?」
「そう。……煙草、持ってる?」
「……どうぞ」
なぜ自分で買ったり持ってきたりしないのか疑問だったが、特に問う必要性を感じなかったので、返事だけして煙草一本とライターを渡した。火をつけて2度吸ってから、彼女は話の続きをした。
「ここ、父親の実家があった辺りなの。毎年夏になるとここへ家族で来て、みんなで海を見たり花火をしたりしていたわ」
そう話す理香はどこか楽しそうで、しかし寂しそうでもあった。
「もうないの?」
「ええ、数年前に取り壊してしまったわ。仕方ないとはいえ、なかなか寂しいものね」
「この前はそれが理由だったのか……それじゃあ今回は、なんで?」
「前回とたいして変わりはないわ。というより、私がこうしてここに来るのは、毎回のことよ」
そう言ってまた煙草を咥えて、紫煙を吐き出す。体勢を変えて海ではなく、先ほどまで背後にあった場所に視点を移し、続ける。
「なにかにいき詰まったとき、悲しいとき辛いとき、そして嬉しいとき。ここに来て、私は自分を見つめ直すの」
「へえ……でも、そういう場所があるのは羨ましいね」
「ん、智樹くんにはないの?」
「地元にも青森にも、そういう場所はないよ」
「そう……でも案外ここが、あなたにとってそういう場所な気もするのだけど、合ってる?」
そう言われたとき、すこしドキッとした。僕のことをほとんど知らない人にそう言われたからというのもあるが、自分でもここがそういう場所になりつつあるのではないか、という考えが僕の知らないところで芽生えていたからだ。
数秒沈黙し、自虐的に笑いながらその問いに答える。
「そうかもね。そういうつもりはなかったんだけど、案外そういう場所になりつつあるのかも」
「智樹くん、最初に会った時からそういう感じはしていたもの」
「そうかな?……まあ、多分あってるけど」
「ねぇ、どうしてこの前は瀬辺地に来たのかしら?」
そう理香から聞かれたとき、どう答えれば良いか迷ったが、素直に答えることにした。自分でもよくわからないが、この地に想い出を抱える人間として信用しても良いと思った。興味深そうにこちらを見つめる彼女に向き直り、僕も体勢を変えて海に背を向け、当時のことを話始める……。
当時の僕といつかの日の彼女、電話での繋がりとやりとり、そしてこの瀬辺地駅での約束。忘れようと努めて終ぞ忘れることのできなかった出逢いと想い。僕の中で彼らは、色褪せることなく僕の帰りを待っていたから、昔の出来事なのについ最近のことみたいにスルスルと話すことができた。……話し終えるころには理香が煙草を防波堤に擦り付けていた。
「そう……なんだか運命的ね。その子はいまどこにいるの?」
「わからない。ここから帰った後、彼女とは連絡が取れなくなった。それからは探しもしなかった」
胸が苦しくなる。それからの中学、高校、大学での5年間を考えればさらに、だ。きっと探し出そうにも探せるものじゃないし、彼女を考えることは、これまで自分がしてきたものを根底から覆してしまうような、そんな恐怖があった。
「彼女がいなくなっても、想い出がある。それを綺麗さっぱり無くすことが出来なかったのが、運の尽きってところだ」
「……別に不運でもないわ。だって、私と会えたじゃない?」
「理香と?」
「そうよ。だから想い出は後悔とか、無くそうとか考える方がよっぽど不幸よ」
「そうだと、良いんだけどね」
なんだか励まされているようで、胸の辺りがくすぐったく感じる。こんな話をされて励まさない人間のほうが珍しいのだが。だからだろう、俺が自身の過去をこれまで誰にも話さなかったのは、過去の俺の否定したい想いを誰かに肯定して欲しくなかったからだ。知らないうちに、自分の過去を嫌っていたからだ。必要であって欲しくなかった。
「でも不思議ね。人は、自分にとって思い入れのある場所に戻ってくる。それが良い想い出でも、悪い想い出でも」
「理香にとって、ここにあった家での想い出は、どうなの?」
「さあ、どっちかしらね?あなたの想い出も、どっちなのかしら?」
どちら、か……決して、二分できてしまうようなものではないが、どちら側にあるのか、自分以外に問われるとその答えに困ってしまう。黙考していると、横にいた理香は立ち上がり、右手をスッとこちらに差し出す。恐らく散歩の続きをするのだろう。
「とりあえずどちらかは置いておきましょ。それより、少し先まで歩かない?この先に外ヶ浜町の蟹田って駅があるの」
「理香は行きたいの?」
「もちろん。あそこも、私にとって想い出の場所だもの」
「そうなんだ、なら付き合うよ」
そう言って彼女が差し出してきた右手をとって、僕も堤防から立ち上がる。時間が経って少し暖かくなった風が、僕らの横を、潮の香りを連れて通り過ぎていった。
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