もしもしお時間いいですか?
ベアりんぐ
第1話 ある秋の日
静岡駅へと通じる地下連絡通路に入るため、階段を降りる。地上とは違った湿っぽいひんやりとした空気に、思わず二の腕をさする。階段を降り切った先に広がるのは、くぐもった蛍光灯が照らす寂しげな白いタイルの道。しかしその寂しさを置き去りにして人々は黙々と、スマホを見たり友人や同僚と話したりしながら歩いていく。それにつづく形で僕も、蔓延る寂しさを無視して歩く。
細い通路の脇では地下水が漏れ出ており、雑踏の音に紛れてコロコロと音を立てている。……あれを飲んだら僕の寂しさを、別の寂しさで紛らわせてくれるだろうか?そう一瞬考えて、すぐに小さく首をふって目線を前に向ける。
しばらく歩いていけば、昔とは随分と変わってしまった(何度見てもやはりしっくりこない)連絡路の集合空間が広がっている。そこには葵タワーの地下に続く道やバスターミナルへと続くエスカレーター。そして駅ビルへ続く道など、大小さまざまな道が同じ模様と色で続いている。そして先ほどまで聴こえていた地下水の音を完全にかき消してしまうほどの、雑踏。加えてガヤガヤとした話し声や噴水のようなガラス張りモニュメントの水の音。
ここを歩くたび、社会から僕は切り離されてしまっているような感覚がして……正直なところ、あまり長居はしたくない。その考えからか、先ほどより大きな歩幅で、脚の回転速度を上げて歩いた。きっと誰も見ていない、気づかない僕の変化。でもそれは誰にでも言えることなのだろう。他人のことなんて、対して見てやしない。
「ふぅ……」とため息をつき、ゆっくり静かに息を吸う。鼻から伝わるのは、くぐもった人間の集合臭。その臭いに思わず顔をしかめるが、歩みは止めない。そうして集合空間から駅ビルへと続く道を進み、地上に上がるため階段を登る。上がりきった先にも、人。当たらないよう改札口に向かって歩き、スマホをかざして奥へと進む。駅内に併設されたコンビニにはクリスマスの飾り付けがなされている。まだ11月だというのに……世間はせっかちなのだ。それを横目に東海道本線のホームへと続く階段を登る。……なんだか懐かしい。電車と新幹線という違いこそあれど、あの日の僕は同じようにゆっくりと、一段ずつ登っていた。
知らない場所へ行く不安と期待。
……思えばあれから数年。こんなふうに来るはずもない再会を希って同じ場所に立ち尽くしていただけなのかもしれない。身体はいろんな場所に動いた。その中で新しい出会いも、別れもあった。それでも心は同じ場所にいたのだ。こうしてポケットに手を突っ込んだり、同じ電車に乗るであろう人をちらりと見ていたりするのも、どこかで彼女の断片を探しているにすぎない。これまでもそんなことを繰り返しては、いつからか僕を忘れたくて、捨て去ってしまいたくて、下手な言い訳や代わりとなる人を手にとって見たり、眺めてみたりしていた。でもその全てにやっぱり彼女がいて、どうしようもなかったのだ。
だから今から向かう場所も、その一端に過ぎないのだ。……こんなふうに問答を繰り返すのも、これでいったい何度目か?そう思いバカらしくなって、昼下がりの秋空を見る。雲は夏の時よりいくらか小さくなり、空が高くなり始めている。冬になるのも時間の問題だろう。もっともそんな時間はあって無いようなものなのだけれど。
ぼんやり空を眺めていると、心を撫でるような風が吹く。強くも無く、弱くも無い。冷たくも無く、暖かくも無い。言ってしまえば中途半端な、風。けれどそんな風に後押しをされてか、またも彼女を思い出す。……きっと誰かに似た風を、受けたことを覚えているのだ。そうして感傷に浸っていると、目的の電車が到着する。銀色が禿げて使い古された雰囲気を醸し出す電車からは、これまた乗り慣れた人々がぞろぞろと降りていき、そして新たに乗っていく。……今日は日曜日なのに、やけに人が多いな。という至極どうでも良いことを考えながら、歩幅を合わせて電車に乗る。
座席にポツリと座り、電車の発車とともに身体がぐらりと揺れる。そんな時にまた、彼女を思い出す。……今日はどうも酷い。こんなにも彼女を思い出す日は初めてだ。忘れようと、隠そうと努めた彼女とその想い。発端があって、経過があって、終わりがあって。その全てを忘れられなくて、自身が決めた人を傷つけて。そんな僕の数年間は、やっぱり同じ場所から動き出せていない。そう強く思う。
走り出した電車が加速し、一定のリズムでガタリゴトリとリズムを持って揺れる。影や風景が流れていくのを見ながら、ゆっくりと瞼を閉じる……これで最後になれば良いな。そんなことを思いながら、願いながら。こうなった時にする一連の戒めにも似た回顧をし始める……。
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