第3話

「ここの公園、ショッピングセンターの隣なので、いろんな人が集まるんですよ」


 喉のどこを鍛えたら、そんなに柔らかな声を出すことができるのか。

 話すときの口調は落ち着いていて、聞く人の心を穏やかにしてしまう彼女の声が苦手。

 でも、あなたのことが苦手ですと面と向かって話す人間なんて社会人失格。

 職場の雰囲気を悪くしないために、心に浮かんだあれこれは静かに心の奥底へとしまい込んだ。


「学生時代、懐かしくなっちゃうんですよ」

「……若芽わかめさんは、つい最近まで学生さんだったでしょ」

「それでも懐かしくなっちゃいますよ。もう、学生時代には戻れないんだなって」


 アイドルの人たちはグループを卒業しても、ずっと可愛いが続く。

 でも、一般人の可愛いは、ずっと続かないってことを思い知らされる。

 三十歳手前の私に必要なのはという言葉ではなく、という言葉だから。


「……だね。あー、学生時代に戻りたいかも」

「あ、森永さんも同じこと考えてくれましたね」

「……うん」


 歳を重ねるにつれて求められなくなったに嘆きの声を向けると、私は若芽さんと距離をとるためにショッピングセンターの中へと戻ることを選んだ。


「また、あとで」

「森永さん」


 若芽さんが私のことを引き留めるために声をかけ、何かと思って振り返ったとき。

 彼女の膝上の色とりどりの食材が美しく敷き詰められたお弁当箱に、目を奪われた。


「すごっ……」

「え、あ、お弁当箱ですか?」

「あ、ごめん、じろじろみちゃって……」


 白ご飯に梅干しを乗っけるというド定番ではなく、ご飯の中には混ぜご飯のように混ぜ込まれた梅干しの赤。

 黄色のたまご焼きは見ただけで、ふんわりとした食感だってことが伝わってくる。

 ブロッコリーの緑に、カリフラワーの白。何かの竜田揚げのような茶色も揃っていて、学校の教科書に出てくるようなお手本通りのお弁当に言葉を失う。


「若芽さんも一緒に……」

「あー……私は大丈夫……」


 何が、大丈夫なのか。

 可愛かった頃の私は『ありがとう』と言って、人の厚意は遠慮なく受け取ってきたはず。

 可愛さを失った社会人の私は『ありがとう』の言葉も返せないくらい、性格も醜くなったらしい。

 作り笑顔もできない私は適当な日本語を、若芽さんに投げつけてしまった。


「あの、森永さん」


 早く若芽さんの元から去りたいのに、彼女は私を簡単に逃がしてくれない。

 同じ職場で働く同士ってだけで、たいして仲良くもない彼女は、どうしてこんなにも私のことを気にかけてくるのか。


「若芽さん、私は……」


 汚い言葉が出てくるのを止めてくれたのは、優しい優しい若芽さんだった。


「森永さん、体調が悪いんですか」


 彼女の視線が、突き刺さる。

 彼女は私の表情を見ているのではなく、彼女の視線は私の右手。

 市販されているサプリメントの袋を、ごっそりと抱えている私の右手に彼女は注目していた。


「あ……」


 生きていくためには、食べなければいけない。

 そんなのは理解しているつもりだけど、一人暮らしの時間が長くなるにつれて食事の時間が疎かになっている自覚はあった。


「違う、違う……これ、薬じゃなくて……サプリメント」


 忙しさを理由に食事の時間を確保するのも面倒になった私は、栄養の摂取をサプリメントに頼る生活を始めた。


「え、そんなに飲んで大丈夫ですか」

「大丈夫、大丈夫、楽できて助かってるくらい……」


 心臓が、止まりそう。

 若芽さんの視線を逸らしながら言葉を返すってことは、このサプリメント生活に私は少なからず罪悪感を抱いているということ。

 サプリメントを服用することは違法でもなんでもないのに、こんなにも後ろめたくなるのはなぜなのか。


「じゃあ、またあとで……」


 自分の心が再び黒に染まるのが分かったから、私は若芽さんを傷つける言葉を発する前に逃げ出した。


「っ」

「森永さん……?」


 いい子の模範解答のような人生を歩む彼女、顔しか取り柄のなかった学生時代の自分。

 どちらと友達になりたい?

 どちらと結婚したい?

 そんなの、誰に尋ねるまでもなく決まっている。

 自分の人生を投げ捨てるかのように、彼女の前から走り去ろうとしたタイミングで、私はその場へと屈みこんでしまった。


「っ、ぁ……」

「森永さん! 森永さんっ!」


 今までだって何も問題なく生活できていたのだから、今後もサプリメントに依存していくんだろうなと漠然に考えていた。

 でも、人はサプリメントだけでは生きられないということを自身の体で実験してしまった。

 私はビタミンCを過剰摂取し、職場に大きな混乱をもたらした。

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