20 お花の話です
私とシオンが手を繋ぎながら学園内を歩いていると、途中にあるベンチで寝ていた黒髪の男子生徒がムクリと起き上がった。
驚く私にシオンは「大丈夫、私の護衛だよ。今日の護衛は、ゼダではなくギアムなんだ」と教えてくれる。
ギアムと呼ばれた大柄な男子生徒は、眠そうに大きな欠伸(あくび)をした。ベンチで眠っていたせいか、肩まで伸びた髪は寝癖がついている。
この人……確か、前にローレル殿下と一緒にいた護衛の人だわ。
今日もネクタイをしていないので、ギアム様の学年は分からない。私の視線に気がついたのか一瞬こちらを見たけど、特に気にする様子はなく、ギアム様はシオンに話しかけた。
「殿下、帰りますか?」
「ああ」
ギアム様は「よっこらしょ」と言いながらベンチから立ち上がると、シオンと私のあとを付いてくる。
ギアム様はローレル殿下の味方なのかしら? ということは、シオンの敵?
そんなことを考えていると、シオンが繋いでいる手にギュッと力を込めた。
「リナリアは、ギアムが気になるの?」
「えっと、はい。前にローレル殿下と一緒にいたような?」
「うん、ギアムとゼダは、私とローレルの護衛でね。ときどき入れ替わって護衛につくんだ」
私もゼダ様がずっとシオンの護衛をしているわけではないと知っていたけど、他の護衛がこんなにやる気のなさそうな人とは思っていなかった。
「ギアムはゼダの兄でね」
「そうなんですね……えっ⁉ そうなんですか⁉」
私は、慌てて後ろを振り返った。礼儀正しく真面目そうなゼダ様とは違い、ギアム様はどちらかというと素行が悪そうな雰囲気が漂っている。
シオンが「驚くリナリアも可愛いね」とクスクスと笑っているうちに、王家の馬車までたどり着いた。
シオンにエスコートされながら馬車に乗り込んだあとで、私は向かいの席に座ったシオンに尋ねる。
「シオン。ギアム様は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫って?」
「その、なんだか怖そうですし、ローレル殿下の味方なのかなって……」
「ああ、そういうこと?」
シオンは馬車の扉の向こう側で、馬車に向かって頭を下げているギアム様に手を振る。すると、ギアム様はこれで仕事は終わったとばかりにまた欠伸をした。
「ギアムのことは、心配しなくていいよ。彼は誰の味方でもないから。ゼダとギアムは、子どものころから天才剣士と言われるくらい強くてね。あそこまで強いと、性格も個性的だよね」
「ゼダ様もですか?」
「うん。ギアムは強すぎて周りが少しも気にならないんだ。たぶん、私やローレルを含めて誰にも興味がないんじゃないかな? 逆に、ゼダは強すぎて普通の人なら気がつかないようないろんな部分が見えてしまうみたい」
ものすごく大雑把なギアム様と、ものすごく繊細なゼダ様って感じかしら?
ギアム様がシオンの敵じゃなくて良かった。でも味方でもないということなのね。
「今日のリナリアは、考え事が多いね」
いつの間にかシオンが私の隣に移動している。
「申し訳ありません!」
「いいんだよ。でも……」
シオンは人差し指を、私の唇につけた。
「ギアムの話はこれでおしまい。これ以上、私以外の男に興味を持たれると妬いてしまうから」
美しい笑みを浮かべるシオンを見て、今朝、馬車内で、彼の唇を奪ってしまいそうになったことを思い出し、私は少しだけ距離をとった。
「えっと、シオン。馬車の中は、誰も見ていないので恋人のふりをする必要はないのでは?」
「ダメだよ、リナリア。誰も見ていないところだからこそ、ちゃんと演じないと。大事なときにボロが出てしまう」
「そっか……そうですね! さすがシオン」
私が尊敬の瞳を向けると、シオンはニッコリと微笑んだ。
その後は、恋人繋ぎをしたまま互いの好きなものについて話した。好きな食べ物、得意な教科、好きな色。自分の好きなものを伝えてシオンの好きを知るたびに、私は胸の中に温かい何かが積み重なっていくような気がした。
「私の大好きな花はね」と言ったシオンは、私の耳元で囁く。
「リナリア」
私の鼓動が大きく跳ねた。顔が赤くなってしまったけど、これは名前ではなく花の名前だと慌てて自分に言い聞かせる。
リナリアの花は、上部分に花びらが二枚あり、下部分の花びらがベルのようになっている。優しい色合いのものが多く、小ぶりな花が集まって咲く可愛らしい花だ。
それは私の母も好きな花だった。
「私の母もリナリアの花が好きなんですよ。結婚前、父が母に会うたびにいつもリナリアの花を贈ってくれて、それでその花を好きになったって言っていました」
「そうなんだ。素敵なご夫婦だね。憧れてしまう」
「私の名前もリナリアの花からもらったんですよ。シオンは、どうしてリナリアの花が好きなんですか?」
そう尋ねると、シオンは照れるように頬を赤く染めた。
「リナリアはね、すごく可愛いんだ。見ているだけでとても幸せな気分になれる。知れば知るほどもっと知りたくなるし、そのすべてがほしくなってしまう。側にいると、信じられないくらい温かくて幸せな気持ちになるんだ。本当なら今すぐに手折って私の部屋に閉じ込めて、もう二度と他の誰にも見せたくないくらい愛おしい」
こちらを見つめるシオンの瞳の奥に暗い灯りがゆらゆらと揺れている。シオンは、まるで壊れやすいものに触れるようにそっと私の頬をなでた。
「でも、そんなことはしないよ。嫌われたくないからね」
「嫌われたくない……? えっと、シオン。それってお花の話ですよね?」
シオンは「もちろん、花の話だよ」と爽やかに微笑んだ。その美しい笑顔に思わず見惚れてしまう。
綺麗……。
ニコニコと優しい笑みを浮かべるシオンも大好きだけど、魅入られてしまいそうな危うい雰囲気が漂うシオンも素敵だった。
私、シオンのことがこんなに大好きで大丈夫かな? いつか他の人と結婚して伯爵家を継がないといけないのに。もし、学園を卒業しても、私がシオンのことを忘れられなかったらどうしよう? それって、私の夫になってくれる人にものすごく失礼だよね……。私みたいに可愛くもない妻をもらうだけでも可哀想なのに……。
サジェスの『モブ女』という言葉がチクチクと胸に刺さる。
私がもっと可愛かったら、恋人のふりじゃなくて、本当にシオンと付き合えたのかな? もし、私が伯爵家の後継ぎじゃなかったら……。
そんなことを考えても仕方がないと私は小さくため息をついた。シオンへの恋心は、いつか必ずあきらめないといけない。
急に黙り込んだ私を、シオンは「どうしたの?」と心配してくれた。
「いえ、何もありません。大丈夫です」
なぜかシオンの顔が悲しそうに見える。シオンはそれ以上何も言わなかったけど、繋いだ手にギュッと力がこもった。
もう少しだけ……。シオンの悪いウワサがなくなるまでは、この幸せな夢をみていてもいいよね?
シオンと繋いだ手を私もそっと握り返した。
そうしているうちに、私たちを乗せた馬車が私の家にたどり着いた。シオンは当たり前のように私をエスコートして馬車から降ろしてくれる。
「また明日ね」
「はい、また明日」
シオンを見送ろうとその場に残っていると、シオンは「私がリナリアを見送りたいから」と言って先に家に入るように言われた。
愛し合っている婚約者同士って、こんな感じなのかしら?
演技だと分かっていても、シオンに大切にされると嬉しくなってしまう。家に入ると、メイドが「おかえりなさいませ、お嬢様」と笑顔で出迎えてくれた。
「ただいま」
「お嬢様、学園はどうでしたか?」
私は、「とっても楽しかったわ」と微笑んだ。
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