04 夢から覚めました

 罰ゲームが始まってから一週間が経った。


 未だに『ウソで口説いていました』というネタバレはなく、シオン殿下との密会が続いている。


 まさかこんなに長い間、罰ゲームが続くなんて思っていなかった。いつも迎えに来てくれるゼダ様に申し訳ない気持ちが湧きおこる。


 いつものように、案内役のため前を歩くゼダ様の背中を見ながら、私はこっそりとため息をついた。


 今のところ誰にも見つかっていないから良いけど、こうしてゼダ様と二人で歩いているところを他の生徒に見つかったら、ケイトが勘違いしたように私達が恋仲だと勘違いされてしまうよね?


 シオン殿下とは毎回場所を変えて慎重に会っているし、会っている間は、ゼダ様が人が来ないように見張ってくれているので問題はないと思う。


 でも、迎えに来てくれるゼダ様と一緒に歩く姿を、他の生徒に見られることは避けられない。今までは不思議と他の生徒と出会わなかったけど、いつかは誰かに見られてしまう。そうなると、ゼダ様に迷惑がかかるわ。


 いい加減、この罰ゲームを終わらせないと……。


 私がそんなことを考えながら歩いていると、何度か訪れたことのあるサロンに案内された。


 私がサロンに入るとシオン殿下は、いつもわざわざソファーから立ち上がり私を出迎えてくれる。その光景は、いつまでたっても夢のようで現実感が伴わない。


「あの、シオン殿下」


 シオンは『ん?』というように首を少し傾げる。


 なんて、美しくかわいいの……じゃなくて!


 すぐにシオン殿下の美しさに見惚れて頭がボーッとしてしまうので、殿下と会話をするときは気をしっかり持たないといけない。


「実はゼダ様のことなのですが」

「ゼダがどうかしましたか?」

「毎回ゼダ様に案内していただくと、ご迷惑がかかるような気がして……」


 私が不安に思っていることをなんとか説明すると、シオン殿下は柔らかい笑みを浮かべた。


「大丈夫ですよ。ゼダは、近づく人の気配を察して、他の生徒に会わないようにあなたを私の元まで連れて来てくれるので」


 そんなことが可能なの⁉ と思ったけど、シオン殿下が言うなら可能なのねとすぐに納得してしまう。


「そうなのですね。ゼダ様はすごいお方なのですね」


 私がゼダ様を褒めると、シオン殿下はニコニコと笑みを浮かべながら近づいて来た。


「あの、殿下?」


 声をかけてもシオン殿下は立ち止まらず笑顔のままどんどんとこちらに来る。私は後ずさるしかなく、気がつけば部屋の隅まで追い詰められていた。


 シオン殿下がゆっくりと右手を壁につけたので、私は壁と殿下に挟まれるような格好になってしまった。私が慌てて左から逃げ出そうとすると、殿下は左腕も壁につけて逃げ道を塞ぐ。


 こ、これは、もしかして、あの有名な壁ドンでは⁉


 これを『ドン』というには、シオン殿下の追い詰め方は優しすぎるけど。物語の中で、ヒーローがヒロインにしているのを読んだことがある。


 壁ドンは、知らない男性や興味のない男性にやられると怖すぎる。でも、気になる相手や好きな相手にされるとときめかずにはいられない。


 ただの罰ゲームなのに、ここまでしてくださるなんて⁉


 もうそろそろ私は、シオン殿下に謝礼金を払ったほうが良いのかもしれないわ。それくらい、シオン殿下の罰ゲームには世の全ての乙女の夢が詰まっている。


 ありがとうございます! ありがとうございます!


 私が心の中でシオン殿下へのお礼を連呼していると、殿下の顔がゆっくりと近づいてきた。


「リナリア嬢」


 耳元で優しく名前を呼ばれると、頭に血がのぼってクラクラする。


「私といるのに他の男の話をするなんて、あなたはひどい人だ」

「そんなつもりでは!」

「……ゆっくりあせらずいこうと思っていたけど」

「で、殿下?」


 私が必死にシオン殿下から顔を背けていると、フゥと首筋に息を吹きかけられた。背筋がゾクッとして声にならない悲鳴が上がる。少しでも距離を取ろうと身をよじるとシオン殿下はさらに距離をつめてくる。


「ねぇ、リナリアって呼んでもいいかな?」


 あれ? シオン殿下の口調がいつもと違うような?


「ダメ?」

「い、いえ。どうぞ」


 混乱しながらそう答えると、シオン殿下は「嬉しいな。私のことはシオンって呼んで」と甘えるような声を出す。


「シ、シオン殿下?」


 名を呼ぶと、シオンはクスッと微笑んだ。


「それじゃあ、今までと同じだよ。殿下はいらない。シオンって呼んで?」

「でも、そんなっ」


 私がためらっていると、シオン殿下は切なげな表情を浮かべる。


「リナリア。君にだけはシオンって呼んでほしいんだ」


 シオン殿下を呼び捨てにするなんて、そんな無礼なことはできないわ。というか、何、この良い香りは⁉


 香りの元はシオン殿下のようで、爽やかさの中に甘さが混じったような不思議な香りだった。状況も忘れて私が「良い香り」と呟くと、殿下に「私の香りが好き?」と聞かれた。


 うっとりしながら頷くと、シオン殿下は私の髪を少しだけ指ですくい自身の口元へと持っていく。


「リナリアも、すごく良い香りがするよ」


 シオン殿下の仕草や表情はとにかく色っぽい。遠くから見る分には問題ないけど、至近距離でこの色気を放たれると膝が震えてしまう。


 膝にくる! 殿下の色気は膝にくるわ!


 こちらは立っているのもやっとなのに、シオン殿下はまだ私から離れてくれない。


「シオンって呼んで?」


 からかわれているだけと分かっていても、シオン殿下にお願いされて断れる女性なんているのかしら?


 私は勇気を振り絞って名前を呼んだ。


「……シオン」


 それなのに、シオン殿下に「聞こえないよ」と言われてしまう。


「シ、シオン!」


 言葉につまりながらなんとか呼ぶと、シオンは嬉しそうに私の髪にキスをした。


 も、無理……。


 膝が震えているだけではなく腰の力も抜けてしまい。ガクッとその場に座り込みそうになる。そんな私をシオン殿下は優しく抱きとめた。


「愛しているよ。私のリナリア」


 シオン殿下に愛の言葉を囁かれて、私は冷水を浴びせさせられたように急に我に返った。


 今までは罰ゲームでシオン殿下に口説かれても『美味しいわ』『ご褒美だわ』としか思っていなかった。でも、全てウソなのにはっきりと『愛している』と言ってしまうのは、いくらなんでもやり過ぎだわ。


 もし、私が何も知らなかったら、この言葉に舞い上がっていた。そして、その様子をバカにされてサジェスたちに笑われるのね。


 そっか……。今の私は『王子様にもてあそばれている、みじめで可哀想なモブ女』なのね。


 ようやく夢から覚めて、私は現実を見ることができた。


 私を支えてくれているシオン殿下の腕をやんわりと押し返す。


「殿下、もうやめましょう」

「リナリア?」


 あくまで演技を続けるシオン殿下を見て、私は泣きたくなった。


「殿下。私、全部、知っています」


 シオン殿下の美しい瞳が大きく見開かれる。


「全部って?」

「言葉の通り、これまでのこと全てです」

「知って、いたの?」

「はい。だからもう、こんなことはやめてください」


 私は「失礼します」と言いサロンから飛び出した。扉の横でゼダ様が驚いている。


「リナリア!」


 シオン殿下に名前を呼ばれたけど、私は振り返らなかった。


 例えウソでも優しい言葉をたくさんくれたシオン殿下の口から真実を聞くのが怖い。


 罰ゲームでもいい! 騙されてもバカにされてもいいって思っていたのに!


 シオン殿下に会って、共に過ごす時間が増えれば増えるほど、殿下をもっと好きになってしまった。

 だからこそ、これ以上騙されるのはつらい。


 ボロボロとこぼれる涙を手の甲でぬぐいながら、私は学園内の庭園を歩いていた。こんな顔で馬車の待合室に行くと他の生徒に驚かれてしまう。


 生徒がいないほうへ歩き続けていると、「おい」と後ろから声をかけられた。


 私がビクッと身体を震わせながら振り返ると、見たくもない赤髪が見えた。


 この罰ゲームを考えた最低のサジェスが、偉そうにこちらを見下ろしている。


「お前、いっつもどこにいるんだよ⁉ ずっと探して……」


 サジェスはハッとなって「泣いてるのか?」と聞いてきた。その言葉がおかしくて、私は涙を流したまま鼻で笑う。


「そう、泣いているの。あなたのせいでね」

「俺のせい? なんの話だよ⁉」

「カードゲームで負けたらモブ女を口説く、だったっけ?」


 サジェスは、その言葉で目に見えて狼狽えた。


「確か、ウソで口説いて私が惚れたらふって恥をかかせるのよね? ひどい罰ゲームだわ」

「あれはっ!」

 反論しようとしたサジェスを、私は睨みつけた。

「あなたのお望み通り、私は騙されて恥をかいて泣いているわ。これで満足?」

「なんだよ、それ……。お前、誰かに騙されたのか⁉」


 サジェスがこちらに右手を伸ばしたので、私はその手を叩き落した。


「さわらないで。あなたなんか大っ嫌い! 二度と私の前に現れないで!」


 ぼうぜんと立ち尽くすサジェスに背を向けて私は歩き出した。一人になりたいのに、なぜかサジェスが一定の距離を空けてついてくる。


「何?」


 睨みつけるとサジェスは気まずそうに視線を逸らした。


「その、悪い。罰ゲームのこと。まさか聞かれているとは思っていなくて」

「本人に聞かれていなかったら、何を言ってもいいと思っているの?」

「そうじゃなくてっ!」


 サジェスは赤い髪を乱暴にかき乱した。


「その、こっちにもいろいろ事情があるんだよ!」

「あなたの事情なんて興味ないわ。ついて来ないで」


 サジェスにムカつきすぎて、気がつけば涙が止まっていた。この時間なら、お迎えの馬車がもう来ているはずだ。


 馬車が来るほうへ歩き出した私のあとを、サジェスが何かを言いたそうについてくる。


「これ以上つきまとったら、罰ゲームのことをケイトに言うわよ」


 そう言うと、ようやくついてくるのを止めた。

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