第33夜

「無理しなくていいのよ、レイニア」

「いえいえ、こうしてお嬢様の傍にいることがあたしにとって最高の良薬っすよ」

「あなたがいいなら、あたしも構わないけど」


 ヴェルディが失意に沈み、数刻――

 夕方、帰宅したウルスカーナの傍にレイニアはいた。戦闘で骨は折れていない。痣は残ったがそれは時間が治してくれる。縄張りを主張するように主人の下へ舞い戻ったメイドを、令嬢は気にかけていた。

 それと同じくらいの想いが、地下へ。


「ヴェルディ、大丈夫かしら。同じ場所にいるのにまったく会えないのって変な感じ」

「……大丈夫っすよ。あの人が挫ける姿とか見たことないっすもん」

「でも、あの人。ユリアリスは……」

「……あたしたちが考えてもしょうがないっすよ、お嬢様。アレックス様たちが解決策を見つけてくれるのを待ちましょう」

「でも、もう時間もないんでしょう?」


 アレックスは忙しそうに駆けずり回り、すれ違ってもろくな会話すらできていない。これはある意味で異常事態だった。

 着替えを手伝うレイニアの動作は淀みない。しかし返事の方は、いつもの気楽さが抜けていた。まるで事態を直視するのを避けているかのように。


「お嬢様、いいんすよ。あいつは……あなたを殺そうとしたんすよ」

「…………」

「罰が当たったんすよ。そうに決まってます」


 耳元のささやきは、恨んでいるというより不貞腐れていた。


「レイニア……」


 忘れられない一瞬だった。

 ウルスカーナは、瞼を閉じるだけであの瞬間をありありと思い出すことができる。

 倒れるレイニア。硝煙の匂い。握りしめる銃身の向こうに、あの人の顔。

 美しい顔だった。ヴェルディの隣に立てば、きっと嫉妬と納得が両立するだろう。

 その美貌が、美貌のままに、自分を睨みつけていた。

 ウルスカーナはあの時、恐怖ではなく疑問を抱いたのだ。

 だってあの睨み方は、殺意というよりも……。


「でもテムから守ろうとしてくれたのも事実よ。結果的にはあなたに助けてもらったけど」

「お嬢様を疑ってるわけじゃないんすけど、ちょっと信じらんないんすよね~……」

「それ、疑ってるってことじゃない?」

「あっ、いえいえ、そうじゃなくて。いやまあそうともいえるかもなんすけど、ちがうっていうか」

「もうっ、なに言ってるのかわからないわ」


 テムに銃口を向けられた時のユリアリスの言葉。


 ――「でも安心しなさい。あなたには利用価値がある。だからあの男からは守ってあげるわ。……よかったわね、あなたはその身に流れる血のおかげで色んな人に愛されて」


 自分には買えない玩具を持っている誰かを見ているような、羨望。


「ねえ、レイニア。きっと私の人生って、これからも思い通りにはいかないと思うの。私はウィズダムの人間だから、それに沿った行動をするように求められる。あなたはどう? 私のメイドになったこと、今はどう感じてる?」

「最高っすよ」

「…………」


 間髪入れず断言したレイニアは手を止めて、主を見つめていた。

 いつも通りのドレス姿に戻ったウルスカーナを、鏡越しに。


「親も、あの地獄も、ここに来るまでは散々でしたけど。お嬢様と会えたんでもうどうでもいいくらいっすよ」

「……でも、あたしは弱いわ」

「弱くないっすよ」

「弱いわ。あたしはいつもあなたに守られてきた。あの時あたしはあなたを助けてあげられなかった。ヴェルディが来るのが遅かったらって考えるだけで……今も震えが止まらないのよ……」


 鳥肌をさするように腕を組む。その寒さは骨より深い場所から迫る。

 レイニアを守るために立ち塞がったことを後悔はしていない。しかし、人間は痛みに正直だ。その痛みを受け止めきれたかと考えると、ウルスカーナは背筋に冷たい風が走る。


「お嬢様。失礼を承知で言うっすけど、あたしはお嬢様よりベッドメイキングが上手いっす」

「……? えぇ、そうね。いつもやってもらっているし」

「あとは……まあ、銃の使い方にメンテナンスの知識、あとバイクの乗り方とかも」


 それはすべて、レイニアにできてウルスカーナにはできないことだ。そしてその総数が思いのほか少ないことに気づいたレイニアは鏡の中で大袈裟に咳ばらいをした。


「えっと、とにかくっすよ? あたしはそういうことが得意っす。でもお嬢様みたいに勉強はできないし、ダンスもピアノもできないし、パーティーで世間話もできないっす」

「それは、そうよ。あたしはそういう場所で正しく振舞わなきゃいけないから」

「それっすよ。お嬢様とあたしじゃ踊る場所が違うんすよ。だから、戦場で踊れないからって悲しそうな顔しないでください」

「…………」

「それに、メイドが主に助けられたらそれこそメイドの名折れっすよ」


 適材適所という言葉があるが、そんなお利口な考え方で片づけられるものでもないとウルスカーナは考えていた。自分はこの子の人生を変えた責任がある。だから、もっと完璧な振る舞いをしなければならない、と。

 踊る場所が違う。

 レイニアはそう言ってくれた。自分一人で抱えていた黒い靄は、信頼できる相手の一言で晴れていった。

 もし得意な場所で踊ることがあるのなら、その時は躓かないようにしよう。


「ねえ、レイニア」

「はい?」

「あなた、やりたいことは見つかった?」

「はい。ですんで、ここにいるっすよ」

「……そう」


 迷いなき意志を確かめてから、ウルスカーナは両手で頬を思い切り叩いた。


「……あぁもう駄目ね! もっとしゃんとしないとッ!」

「ぅわっ!? ちょ、なにしてんすか!? 痣になっちゃいますよ!」

「だって、これからもこういうことが起きても不思議じゃないでしょう? 一回死にかけたくらいでへこたれちゃこの先続かないわ。お父様は表と裏で仕事をしてるし、お母様もパーティーに顔を出して人脈を築いてる。私も頑張らないと」

「でも執行人は兄(ギルガルド)様が継ぐんすよね? デグァリ家との関係は白紙になったんで、新しい嫁ぎ先を探すのに邁進するってことっすか?」

「そ、それは……やっぱり、結婚しなきゃダメ、かしら?」

「安心してくださいお嬢様。例え火の中水の中、あたしは一生お嬢様についていくんで。ああでも、次はもう少しマシな男を見つけてほしいっすね」

「あたしだって好きであんな男と一緒にいたわけじゃないわよっ」


 嬉しいやら悲しいやら。ウルスカーナは純粋無垢な頼もしい言葉に苦笑いで応えた。

 ウルスカーナの立場は複雑だ。

 許嫁のテム=デグァリは一家もろとも姿を消した。もちろんその理由は公になっていない。ウルスカーナはとつぜん独り身になってしまったようなもので、ウィズダム家とお近づきになりたい貴族は目立たないように『ぜひとも自分の息子を』と話を持ちかけている。


「現実って、小説みたいな美しさがないわよねぇ……」


 白馬の王子様と出会いたい、などというロマンチストではない。

 しかしウルスカーナの網膜に焼き付いた菫色が、あらゆる男たちを凌駕してしまっている。

 その紫の眼差しが別の女性に向いていることを認めることが、最初の一歩なのかもしれない。


  ◇


 まもなく夕焼けが潰え、闇夜が訪れる頃。

 地下牢の景色は時間が止まったように変わらず、二人の姿勢も凍ったように不変。

 進捗報告はまったくない。


「……薬が切れたら、君はどうなる? その苦しさを私が背負うことはできないのか?」


 ヴェルディは寂しさを、悲しさを紛らわせるように問いかけた。

 返事はこないとわかっていながら。

 このままなにもできず、破滅してしまうのであれば。

 時間よ、止まってしまえ。ずっと。ずっと。



「ヴェルディ」



 幽寂の洞窟で水滴の跳音がはっきりと響きわたるように。

 ヴェルディは反射的に瞼を開けた。それよりわずかに早く、毛布の中が動いた。


「ゆり、あ……ユリア? ……ユリアリス!?」

「水……」

「目が覚めたのか!?」

「喉、が……」

「あ、あぁ! 待ってろ!」


 手つかずの瓶を慌てて、しかし落とさないようにしっかりと掴み、蓋を開ける。

 差し出した途端、ユリアリスは飲まず食わずで砂漠を練り歩いたかのように瓶を奪い取って中身を飲み干した。もっと水を。それに食事も。立ち上がろうとしたヴェルディを「まって」とユリアリスが呼び止める。


「ヴェル、まって。聞いて。私がまともでいられるのはせいぜい数分程度なの。だから、私から伝えられることを全部あなたに伝えるわ」

「どういうことだ」

「時間がないの。お願い、黙って聞いて」


 地下牢は入り口を固く閉ざされている。ヴェルディは鼓膜の内側から鳴りやまない激しい鼓動に包まれながらユリアリスの赤い眼差しを受け止めた。


「まず、彼らの能力と弱点について」


 頭の中にノートがあるかのように滔々と、ユリアリスはザルファルクたちの能力について明かし始めた。ヴェルディはそれを肌という肌に書き記すように聞き入った。しかし頭の中ではユリアリスの覚醒が数分しか維持しないことへの不安で一杯だった。


「それとね、ヴェル。お願いがあるの」

「なんだ、なんでも言ってくれ。君の為なら私は」

「私は、たぶんもうダメ。終わるわ」

「……ユリア?」


 終わる。

 その一言がヴェルディの鳩尾を確かに貫いた。椅子に座っている感覚が薄れる。


「そんな、いやだ。ウソだ、嘘だと言ってくれ」

「えぇ。結局私を殺さなかったあなたならそう言うと思ったわ。だからヴェル、よく聞いて」


 今にも幼い子供のように泣き出しそうなヴェルディの頬をユリアリスの手が包み込む。

 その手はなにかに耐えるようにぶるぶるわなないている。


「魔女はイメージをすることで現実に干渉する。ズインが言ってたの。そして私たちの能力の根幹は魔女と同じ。だから、私たちは……イメージでなんでもできるの。私が、物を、壊すだけじゃなくて、飛べたように」ユリアリスは捲し立てた。

「私たちは最初、言われた通りにしか能力を使えなかった。そうするように、誘導されてたの、よ。だからヴェル、諦めたくないならイメージ、して。私の体を、蝕む病巣を取り除く、みたいに」

「そんなの無理だ。私は殺すことしかできない無能なんだ」

「無能じゃないわ。諦めかけてた私を引っ張ってくれたのはあなたよ。責任を取って、ヴェル。私に……また生きたいと、思わせたのはあなたよ。あなたは……私と一緒に太陽を見たいんでしょう?」


 そこまで言って――ユリアリスは、ヴェルディの肩に顔をうずめた。


「イメージよ、ヴェル。想像して。あなたは……私の、たった、ひとり……」

「……ユリア? おい、ユリア! ユリア!」


 ヴェルディはユリアリスの体を揺さぶった。されるがままのユリアリスは彫刻のように口を閉ざしたまま。

 しかし彼女は、再び目を見開いた。

 生気を取り戻したように爛々と。


「ああ、ヴェル! ただいま! やっと帰ってこれたわ!」

「……ユリア?」

「もう疲れちゃったわ。ねえ、今日の晩御飯はなに?」


 今しがたの真剣な話し方が嘘のような、咲き誇る花のような笑顔。

 けれどもその視線はなにもない壁を見つめている。


「えー、また外食? いつになったらあなたの手作りを……ヴェル?」


 花は枯れる。


「ヴェル、どこ。暗い。ねえ、どこに行ったの? 


 ……………………ああ、そっか」


 枯れた花が立ち直ることはない。


「ヴェルはいないのよね」


 人形のような抑揚で呟き、人形のような美貌が、歪む。

 おもむろに両手が髪の毛を鷲掴み、引きちぎるように掻き毟る。


「いない。いない。  いない   いない  いないいないいないいないイナイ」



「 あ ああ ァ    ああああ     ァアアアアアアア


    あ あ あ あ あ       あ あ あ あ

 あ あ あ あ  あァァアア   アアア    」


 獣の叫び声が地下牢を埋め尽くす。

 ユリアリスは見えないなにかから逃れるように立ち上がり、抵抗するように暴れ出した。自分の体が傷つくことも躊躇わず。頭を壁に打ち付けようとしたところで、ヴェルディが必死に押さえつける。

 一瞬でも気を抜けば投げ飛ばされてしまいそうだった。


「ユリア、しっかりしてくれ! ユリア!」


 想いは届かない。絶叫がすべてを拒み、暴走は止まらない。

 精神の崩壊。これが、薬の効果が切れた末路なのか。衰弱しきっていた様子が嘘のように藻掻き足掻くユリアリスのつんざく悲鳴を聞きながら、ヴェルディは困惑した。

 今こうしている間にも、この子の心は痛んでいる。傷ついている。壊れている。

 だから殺されたがっていたのか。


 ――「私たちは最初、言われた通りにしか能力を使えなかった。そうするように、誘導されてたの、よ。だからヴェル、諦めたくないならイメージ、して。私の体を、蝕む病巣を取り除く、みたいに」


 では、先ほどの、まさに本来の彼女らしい振る舞い、激励はなんだったのか。


 ――「無能じゃないわ。諦めかけてた私を引っ張ってくれたのはあなたよ。責任を取って、ヴェル。私に……また生きたいと、思わせたのはあなたよ。あなたは……私と一緒に太陽を見たいんでしょう?」


 そうだ。あれこそがユリアリスの本当の望み。暗示の殻の奥に眠っていた、本当の。


「……私は、君と同じ朝を迎えたい」


 けれど、どうやって?

 ヴェルディに医学の心得などない。病巣を取り除くことイメージなどできやしない。


「私にできることは人を殺すこと。それに……死体を、埋めること……」


 殺人の証拠を消すために、死体を消滅させる。

 肉体にある血液の一部を利用して、残りはすべて自分のものにする。

 ヴェルディはそこで気づいた。

 自分は常々、何を思いながらそうしてきたのか。

 無意識的に行っていた隠蔽処理の原理など最初から理解していないことを。


 求めていた結果が形となっていたことに。


「君の体の中にある、汚らわしい薬だけを……いや、だめだ。もしユリアを傷つけてしまったら」


 ついユリアリスの体が蒸発する光景を思い起こしてしまう。或いは虫食いのように穴だらけになってしまう未来を。

 考えろ。

 考えろ。

 イメージしろ。

 ユリアリスが助かる結果を。

 今にも自分を自分で吹き飛ばしてしまいそうな迷い人を。


「この子の体の中にある薬を取り除けばいい。だから……ああ、くそっ」


 死体を消滅させる際、そのような細かいことを考える必要はない。

 目に映るモノを消すだけだから。


「いっそその辺にマフィアの死体でも残ってれば――」


 残っていれば、どうする?

 直感めいた閃きが背筋をびりびりと焼く。ヴェルディはその続きを冷静に辿った。


「……肉体があれば、その中にユリアの血を移して、まるごと消せる。いやだが、ユリアが死んでしまう。血がなくなって……」


 代わりの血。


 ヴェルディは自分の体を見下ろした。


「私の血」


 死体の埋葬方法。血抜き。輸血。代わりの死体――

 一つの結論に至ったヴェルディは、ユリアリスの首筋を見た。

 迷っている暇はない。逡巡している間にもユリアリスは苦しんでいる。

 生きるべき友人が、惑わされ、死にたがっている。


「……魔女の力だっていうなら、この子を生かしてみろよッ……!」


 自分に言い聞かせ、鎖を生み、ユリアリスの両手足を固定させる。

 頭を押さえつけ、ヴェルディは躊躇うことなく歯を突き立てた。

 吸血鬼のように。可憐な乙女の、首筋に。

 ヴェルディの頭の中に論理的な道筋はない。

 ユリアリスの血液を飲み込みながら、自分の血液を彼女の体内に送る。

 その結果が実現することだけを、強く強く願った。

 傷口から垂れる血液すらもヴェルディの咥内へ吸収され――

 ヴェルディのすぐ真横でがなり立てていた叫び声は、鳴り止んだ。


「……終わった……?」


 果たして自分と彼女の血液は完全に交換されたのか。それを確かめようがない。

 だが、不快感。血管の中を蟲が這いずるような。

 全身を掻き毟りたくなる衝動のまま、ヴェルディは自分自身を壁で覆った。

 もしも返り血が跳ねたら大変だから。


「……ふぅ」


 ため息一つ。そして――


 


  ◇


「時間だ」とザルファルクが言った。


 ウィズダム邸の屋根の上に四つの人影が立っている。

 影によって移動した彼らの音が察知されることはついぞなく、屋敷の中はいつも通りの日常が繰り広げられている。


「おっしゃ、壊せるだけ壊すぜぇ。こんだけ無駄に広いんだ、半分くらい粉々にしても困らねえだろ」

「失敗するんじゃないわよ。あの女を連れだすまでの時間、ちゃんと稼ぎなさいよ」

「では行きましょうか」


〈ラ・コトン〉

 その組織に属する四人の依媒キャタリスが晩餐をかき乱すように君臨する。

 安息が崩れてゆく。

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