第26夜
血が舞い乱れ、音が咲き崩れる。
一つ、二つ、四つ、八つ、霧散――次から次へと血染めの剣が空中で生成され、投擲され、爆発する。血は死なない。床に飛び散った血飛沫は一瞬で主の体内へと還り、元の形を取り戻して牙を剥く。ヴェルディの命を補う場合のみ、彼女が喰らってきた血の貯蔵庫は漸減するのだ。
今日一日で在庫は大きく減った。そしてまだまだ減るという確信がヴェルディの鼓膜を破きそうな勢いで騒いでいる。
ユリアリスの生み出す殺意の音色が血の剣を薙ぎ払い、その脅威はヴェルディの身に及んだ。奏者の呼吸が、心拍が、指弾が、足音が、体内で生まれる『音』が狂気を織りなして、空間を透明に彩る。
「ずるいじゃない! そっちは壁に隠れっぱなしなんて!」
初めて会った夜、レイニアのためにそうしたように次々と壁を生み出しては身を隠す。それも次々と破壊されていった。走り抜ける先々に壁を生み出し、剣を投擲する。すべて破壊されて、それでも繰り返す。ヴェルディの脳みそは今にも焼き切れそうであった。
「余分に命があるのだからもっと前に出てもいいんじゃない!」
「……言ってくれる!」
長時間戦い抜いたレイニアはどんな立ち回りをしていたのか。
しかしレイニアがこの場にいればこうぼやくだろう――野郎、あたしには加減してたな。
「恥ずかしがる必要はないの、よッ!」
体を捻ったような息遣い。
一拍置いて、ヴェルディの壁はすべて粉砕された。一枚ずつ壊すことにユリアリスも痺れを切らしたのだろう。無防備をさらけ出すヴェルディを見て破顔する。
「見つけたッ!」
次への行動より先に衝撃が胸を貫く。心臓をえぐり取られたように穴ができ、空気の通りが良くなる。吹き飛ばされながらに体を修復しつつ、ヴェルディは見た。
深呼吸するように両腕を広げ、勢いよく手の平を叩くユリアリスを。威力の底上げがお手軽だ。
「
一撃の威力が倍増した代わりに手数は減った。
ヴェルディはその場にしゃがみ、壁を生み出す。壁五枚分の血液を一つにまとめた、壁というよりブロック状の遮蔽物だ。
ドン、ドンと物騒なノックが繰り返されるも、狙い通り遮蔽物は攻撃に耐えている。
「もうッ! またかくれんぼ?」
「見えない攻撃に晒され続けるのはストレスが溜まるからな!」
「命がたくさんあるあなたはそんなストレスと縁がないと思っていたのだけど!」
ここからどうすべきか。ヴェルディは考えあぐねていた。守っているだけでは駄目だ。命の残機がどれほどあるのかは彼女自身でさえ把握していない。これまで殺してきた数を考えれば少なくはないだろう。けれど無限でもない。
決め手が欲しい。ユリアリスの攻撃に邪魔されず、守りを貫く一手だ。
トラファルガー大公園であの巨人に放ったドリルを思いだす。今は真下に多数の人間がいる。だからもっと範囲を限定したもの。それでいて
「手数で押すんじゃない。血を集約するんだ。この遮蔽物みたいに……」
ブロック状の堅牢な防壁は思わぬ収穫をヴェルディにもたらした。一点集中の効力を。
「……そうだな、私にはこれがあったか」
手元に一振りの剣を生み出して、ヴェルディは呟いた。奇をてらう必要はない。やり方を工夫すればいいのだ。ユリアリスのように。この防壁のように。
「……キオ、聞こえているだろう。アレックスに伝えろ。今すぐ時計塔から離れろと」
この場の音を捉えているであろう男に向けて、一方的に話しかける。
同時に、右腕と頭上の二ヵ所に赤黒い液体をかき集める。
「いくぞ、ユリアリス!」
「させないわ!」
ヴェルディの狙いを見抜いたユリアリスは、すかさず頭上を漂う片方の赤黒い集合体を撃ち砕いた。見抜いてやったと、思い込んでしまった。
囮だと知らずに。
ヴェルディはすかさず右腕を天へ掲げた。その手が握るは一振りの大剣。それは限界という言葉を知らないように伸びる。飛散する鮮血すらも吸収しながら、さらに。長大という表現ではとても収まりきらない剣身が、時計塔の天井を貫き、天空へ聳える。
それはどれだけ破壊されようとも瞬時に修復する、変幻自在の剛の具現。
「死ね――」
ただ右腕を振り下ろした。
ヴェルディがやったのはただそれだけで。
時計塔が、橙色に染まり始めた空に口を開いた。
◇
「時計塔が真っ二つに割れただと?」
「えぇ。滅多に見られない光景でした。あんな堅牢な建物が、ナイフを差し込んだトマトのように綺麗に両断されたんですよ」
時計塔の頂上で苛烈な戦闘が繰り広げられている頃――
〈ラ・コトン〉一同は密室で顔を突き合わせていた。
「え、じゃあなに。あの女、ほんとにあの化け物と戦いたくてアタシたちのこと裏切ったわけ!?」
喫茶店で自爆したはずのランターニールの怒気に満ちた声が木霊する。
「ちぇー。オーベックがちょっとだけ遅れてくれりゃあ、あのデカいドリルみたいなのと張り合えたのによ」
「アレを食らったらお前でも無傷では済まなかっただろうな。むしろオーベックに感謝するべきだぞ」
「構いませんよザルファルク。私は当然のことをしたまでです」
いつも通りの紳士ぶった喋り方に戻ったオーベックは包帯を巻いた右腕を抱えている。
「なーに偉そうに言ってんのよ。それなら戦いが始まる前にあの裏切り者がいるところにアタシたちを運べばよかったじゃない!」
「いえ、それは――」とオーベックが言い淀んだところ、「それは私の指示だよ。ランターニール」とズインが口を開いた。
ランターニールは「どうしてよ、ボス」と興味深そうに尋ねた。
「もしあの時、ユリアリスを処罰しようとすれば……奴はオーベックの弱点を晒したように、他の皆の能力についても話すと思ったんだ。それに、場合によってはウィズダム家が一時的に共闘する場合も考えられた。そのリスクを負ってまで処分する必要はないと判断したんだ」
「まあ……たしかに?」
「それに」とズインは紡ぐ。「デグァリ家がこちら側であることが露呈し、新聞社を抑えられてしまった時点で我々の敗北さ。それなら、勝手に戦ってもらって――運よく相打ちでもしてくれれば御の字さ」
「それならよ、いっそ屋敷を攻めちまえばよくねえか? 今なら余裕じゃね?」
ダヴィエンツが肉を頬張りながら訊くも、ズインは首を横に振った。
「いいや、それじゃ駄目なんだ。ただ潰すだけなら確かに簡単だがね。……潰してしまったら、証拠がなくなってしまう。ウィズダム家が影に隠れて殺人を繰り返していたという証拠が。その罪を暴いた上で奴らを断罪しなければ意味がないんだ」
「まあボスがそうしたいならアタシは従うわ。恨みを晴らすのって大事よね。アタシもこの能力で家族を屋敷ごと綺麗に掃除した時は清々したもの」
「魔女の統治が始まれば下等な人種はいなくなりますからね。できる内にやらねば心残りというものです」
〈レヴォルト〉が壊滅する直前、ズインは部下数名とユリアリスを連れて隣国グラスシアへ逃亡した。かの国で潜伏しつつ、ゆっくりと貧困層を勧誘し、実験し、そうして〈ラ・コトン〉を築きあげた。
この場にいる
「残念ながら作戦は失敗した。でも物資はまだある。この拠点も敵には知られていない。音が漏れる心配もない。ユリアリスにも教えていないから安心だ」
それでも、とズインは訝しむ。ユリアリスはどうやって暗示を潜り抜けたのかと。
「はてさて、奴はどうやって私の暗示を克服したのか。今はそれが気になってしょうがない」
「それですがボス、あの女の言い回しが少し気になりまして」
「と言うと?」
「えぇ。奴はあの時、『組織の敵であるヴェルを倒すために』と言いました。そうやって自分に言い聞かせることで、自分の行動を正当化したのではないかと」
「……暗示に穴があったということか。私もまだまだ詰めが甘いね。先代ボスならこんな失敗はしなかっただろうに……やはり、あの時私が残って、先代様を逃がすべきだったかな」
「そんなこと言わないでよボス! アタシたちはボスに出会えたから救われたんだよ!」
ランターニールが涙ぐみながらに訴える。
他の者たちも神妙に頷くばかり。ズインと出会うまでに負った各々の傷痕がわずかに垣間見え、空気が冷える。
「……すまないね、今のは軽率だった。撤回しよう。私も君たちと出会えたことを嬉しく思っているよ」
「ほんとよ。二度と言わないでよね。……それに! あの裏切り者を魔女の贄にしちゃえばこんなことにもならなかったとは思わない!? いっそ、今からでも捕まえに行けば――」
「さっきのボスの言葉を聞いてなかったのか。危険だぞ」とザルファルクが窘める。
「わ、わかってるわよ!」
キオとガルガラを仕留め損ねた自分を棚に上げるランターニールに対し、オーベックは肩をすくめるだけだった。
このようなやり取りはいつものことである。
そのやり取りを微笑ましそうに眺めていたズインがわずかに目を見開いた。
「贄……。ああ、そうか。だからユリアリスは今になって裏切ったのか」と一人納得したように呟いた。
「どういうことだ?」とザルファルクが訊く。
「奴は死にたいんだ。暗示の一つに自死の禁止があるからね。さぞ辛かっただろうね、ここでの生活は。私たちから永遠の開放を得るために、奴は私たちを裏切った。そして今、殺し合いをしている」
計画を台無しにされた挙句、利用された。
それでもズインは嗤っていた。
計画から逸脱した状況を楽しんでいるかのように。
ウィズダム家を壊滅させる目的が成就することを疑わぬように。
「間もなく、
「贄は、あちら側の誰かにすればいいさ」
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