第16夜

 雨が降る夜だった。

 ガルガラは一人の男を殺した。

 店に忍び込んだ強盗だった。

 ガルガラはその時知ったのだ。

 挽肉をこねるのと、人肉を握り潰すことに変わりがないことを。

 野菜を切ることと、人骨をへし折ることに変わりがないことを。


「こんな時間にごめんね、ヴェルディ」

「お前が謝る必要はない。悪いのは店を襲ったこの男だ」


 ガルガラは距離を問わず物に触れられる。棚にある瓶を掴んで手繰り寄せたり、爆薬を握り潰して処理したり――誰かを殴り飛ばしたり。

 見えない『腕』を具現化させているのだ。それは時に人間で、時に巨人となる。

 不満があるとすれば、『腕』は二本しかないことだ。


「にしても……意外とえげつねえな、ガッツ」

「大丈夫、キオ? なんだか顔色悪いけど」

「いや、お前はどうだよ。なんつーか、グロくね?」

「僕は別に……。ヴェルディは? 大丈夫?」

「死体なら見慣れてるよ」

「そっか」

「そういう問題かぁ……?」


 首なし騎士デュラハンのような遺体を見ても吐き気がこみ上げることはなく、ガルガラはただ、ある種の仕事を終えたような感覚に包まれていた。

 材料の下ごしらえを終えたような。

 そうこうしている内にヴェルディは死体の処理を終えていた。

 キオに周囲を探知してもらったが、仲間がいる気配はない。持ち物の懐中時計などはディルファイアへ提出し、念のため男の素性を探ってもらうこととなった。


「さっすが『埋葬屋』。血痕一つ残っちゃいねえ。ただ錆び臭さは消えねえんだな」

「それは自分で換気してくれ」

「ねえ、ヴェルディ」とガルガラは訊く。

「殺人は後味が悪いものだと思ってたけど、特にそういう感じはしないんだ。これって、変かな?」

「……私はお前のことをあまり知らないからなんとも言えないが、私もそうだ。悪人を殺しても特に胸は痛まない。お前が料理をするのが仕事のように、私は人殺しが仕事だからな」

「つーか、俺たちはあのくそったれの牢屋で長いこと過ごしてきたから頭のネジ緩んでんじゃねえの? まあ俺は死体みるだけで吐きそうだから人なんざ殺せねえけど」

「お前は仕事中の無駄話をやめてくれ」

「だってしょうがねえだろー、暇なんだぜこっちは」

「こっちは命がけだ」


 ガルガラは考え込んだ。やはり自分はどこかおかしいのだろうか。誘拐される前の、普通に学校に行き、生きがいもなく暮らしていた頃の自分だったら、どうだったのだろうか。

 そもそもあの頃の自分は、咄嗟に、かつ冷静に、人を殺められただろうか。


「まあいいじゃねえかガッツ。こまけえことは気にすんなよ」と助けられた側のキオがいけしゃあしゃあと述べる。寝起きの赤髪はぺしゃんこだ。

「お前のおかげで俺は助かった。喫茶店だって無事だ。それにその様子なら明日も普通に営業できんだろ。ここは執行人お抱えの喫茶店だ。これからもこういうことはあるだろうし、そんくらい気が強い料理人がいてくれりゃあ俺も心強い」

「それでいいのかな?」

「いいだろ。ナイフで襲ってきた奴と平和的話し合いができりゃぁ、国なんて一つで充分だろ」

「言っておくが、不必要な殺しはご法度だからな。ディルファイアに殺されるぞ」


 気が強いという表現を耳にした時、ガルガラは違うと言った。心の中で。

 足を忍ばせる気配を感じ取った時、ガルガラの頭の中に火が付いたのだ。

 縄張りに侵入された獣のように。それは警戒などではなく、侵入者の命を刈り取ると鎮火した。


「もういいか? ディルファイアのところに行ってくる」

「おう、頼むぜ」

「ヴェルディ」

「なんだ?」


 これでいいなら、ひとまずいいか。ガルガラはそう納得した。


「また明日」

「……味が落ちたら金は払わないからな」

「大丈夫だよ。むしろ今日より美味しいさ」


 ガルガラにとって大切な居場所は、喫茶店ここだ。料理はまだまだ奥深く、作れど作れど満ち足りない。自分はどこか異常だが、それを前向きに受け入れてくれる仲間が身近にいる。


「ねえ、キオ」

「んお?」

「キオは僕のこと怖くないの?」


 ヴェルディが帰り、さぁ寝直そうというところでガルガラは訊いた。

 キオは困ったように笑っている。


「おいおい今更だな。つーか、俺を抱き込んだのはお前だろ?」

「あれ、そうだっけ?」

「そうだぞー。自由にメシ作りてえから接客してくれって言ってきたのはお前だろうが。まあ、俺がお前のホットケーキをつまみ食いしてべた褒めしたのがきっかけではあったか」

「つまり僕は君の胃袋をその時点で掴んでいたと」

「掴まれるなら美人な姉ちゃんのほうがよかったけどな。ははは」


 ガルガラはその時初めて自覚したのだ。

 この異質な能力は大切なものを守るときだけに使おうと。使うべきなのだと。


  ◇


「死んで?」


 おねだりするような気安さで水の処女がキオを圧し潰さんとして――

 それは突然、見えない何かに止められ、一瞬で粉々に霧散した。


「なに――」


 なにが起きたのか。ランターニールが状況を分析するより先に、彼女の体は思い切り殴り飛ばされた。まるでドアが飛んできたかのように。

 ブチブチブチと音を立てながらガルガラは自分を拘束する水を引きちぎっていく。


「もう少し君の組織のことについて教えてほしかったんだけどね。キオに手を出すなら容赦はしないよ」

「ガッツ! おめっ、おせえよ! 死ぬかと思ったぜ!」

「ごめんねキオ。でもほら、あの人気になること言ってたでしょ。薬漬けとか」


 解放されたキオは即座にガルガラの背中へ回った。もっとも安全な場所へ。


「……舐めた真似してくれたじゃない。あんたら、もうどっちも生かしてやらないわよ」

「僕は君に負けるつもりなんてないよ」


 テーブルや椅子を巻き込んで壁に激突したランターニールが立ち上がる。

 女の体は節々が欠損している。頭や肩、腕に足。しかし痛みを感じるようには見えない。瞳に宿す怒りで痛覚がなくなっている……わけではないとガルガラは思った。


「その体も分身かな? となると拘束しても意味なさそうだね」

「余裕ぶってんじゃないわよ!」


 ランターニールが液体化した両腕をしならせる。蛇のように襲い掛かるそれは先端が無数に枝分かれし、棘で造った花束となって二人を覆いつくそうとした。

 狭い室内に逃げ場はない。カウンターに隠れたところで意味もない。ガルガラはそもそも逃げも隠れもせず、その場に立っていた。


「余裕なんかじゃないさ。これ以上お店の物を壊されたくないしね」


 スッと手のひらを相手に向ける。

 それだけだった。

 それだけでガルガラたちを刺し貫こうとした棘の束は動きを止めた。


「店を直すのにどれだけの時間がかかるのか考えただけで頭が痛いんだよ!」


 ガルガラが手を握り締めると、針は一つ残らず粉々になって砕けた。構成していた水という水がぼたぼた床に垂れてゆく。


「知ったこっちゃないわよ!」


 ランターニールが雄叫びを上げながら壊れた腕を修復し、壁に手を突く。彼女の腕は壁に同化したように張り付き、壁という壁に透明な線が走り出す。まるで血管のように、無数に繁殖する。


「あんたの能力、ちょっと進歩してるみたいね! でもどれだけパワーがあったって、そこのお荷物を守りながら戦うのは難しいでしょ!」


 水の線から水の槍が無数に芽生え、射出する。膨大な数のピラニアが束になって大きな獲物を食らいつくすように、一直線に。

 それでもガルガラが怯むことはない。むしろ――苛立ちが勝っている。


「これ以上壊すのはやめてもらおうかッ!」


 その一喝で槍はすべて霧散した。奇妙なことに、一切の音が鳴り止んだ。代わりに小さな軋みが壁から木霊する。ランターニールは遅れて知る。見えない蓋をされたように壁が押さえつけられていることを。。


「アンタ、なんで――ぐッ!?」


 ランターニールはそれ以上一歩も動けなくなった。

 巨人に鷲掴みにされたような感触に慄く。掴まれた拍子に両腕がへし折れ、肋骨が内側にのめり込む。


「僕たちだって呑気に時間を過ごしてきたわけじゃない。自分なりに、力の使い方を学んできた。甘く見ないでほしいね」

「へえ、そう。わざわざ、どうもッ」

「次は君の本体を叩く」


 ガルガラはそのまま女の体を握り潰そうと力をこめた。


「なら、最期に一ついいこと教えてあげる」


 ガルガラは興味を示さない。それでもランターニールの口は止まらなかった。


「水ってね、爆弾にもなれるのよ!」


 ランターニールはカラカラと笑っている。ただただ笑っていた。

 それは命乞いなどでは決してなく、むしろ相手を挑発するかのよう。ゴポンと、水の中で空気が弾けるような音がしたのをガルガラは聞いた。

 全身が透明になり不自然な膨張を始めたランターニールが、溶けたガラスのような光を放つ――


 かの神話で語られる炎の巨人スルトを彷彿とさせる熱波が、二人の目の前で実演された。


  ◇


「急いでくれ、嫌な予感がする」

「わかってるよディル、そう急かすな。事故っちまうぜ」

「さしもの君でも歳には勝てないか、執事長イデアル

「お互い様だ」


 共に内乱を生き抜いた同僚であり、今では執事長として雇用する男とともにディルファイアは喫茶店に向かっていた。まもなく目的地にたどり着こうかとしたその時、大きな爆発音が街中を駆け抜ける。


「……喫茶店の方角だ」


 目的地にたどり着いた彼らを待ち受けていたのは、崩落し、原形を一切留めていない喫茶店――

 その瓦礫の隙間から、血の色に似た液体があちこちに流れ落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る