第14夜

 ウィズダム家の始まりは小さな製菓会社だった。内乱を乗り越え、好景気に乗じて一気に会社の規模を拡大。妻メアリーとの間に息子が生まれ、ディルファイアの人生は順風満帆だった。

 内乱ではライフルを担いで数えきれない命を撃ち落としたディルファイアは、もう銃を握ることはなかった。

 業績が右肩上がりのウィズダム製菓を妬んだライバル企業が派遣したマフィアが自宅を襲撃してくるまでは。


 あの日の光景を、ディルファイアは昨日のように覚えている。

 当時は屋敷ではなく一軒家で暮らしていた。玄関前で急停止する車。車内からはスーツの男たち。向けられる銃器の口。発砲音。悲鳴、悲鳴、悲鳴。笑い声――

 気が付けば、壁にかけておいたライフルを握る自分の足元に、スーツを纏う男たちが倒れていた。

 地面を埋め尽くす赤い海に合流する、一筋の潮流。


 臥したまま動かぬ妻の体が源泉だった。


  ◇


「親父。……親父? どうした、大丈夫か?」

「……ああ、大丈夫だアレク。少し考え事をな」


 息子のアレックス、義娘のイッシュラーナが心配そうな視線を向けている。どれだけ時間を無駄にしたのか。机上にある電信を確認すると、新しい連絡はまだ来ていない。


「今のところ、問題はないようだな」


 ウィズダム家が抱える使用人は例外なく戦闘経験者である。ある者は元軍人、ある者は元傭兵、ある者は。それはディルファイアが執行人という業を背負うと決めてから時間をかけてスカウトしてきた熟練者ばかり。

 内乱を生き抜いたディルファイアには、その筋の伝手があったのだ。

 平穏に暮らそうと決意し、一度は手放したのに。


「はぁ。こんな時だってのに呑気にデートなんかして」

「あなた。テム君に嫉妬なんかしないで。みっともないわよ。それに向こうは敵の存在を知らないんだもの。休みの日に出かけるのは普通よ」

「嫉妬なんかじゃないよラナ。……いや、ごめん。正直すごく羨ましい」


 太腿に肘をつき、組んだ両手の上に顎を置くアレックスは、目を閉じながら唇を尖らせた。

 普段であれば愛娘への溺愛っぷりを茶化すイッシュラーナと言えど、彼女も似た心境なのか、溜息を忍ばせる。ディルファイアは先日の大怪我からおおむね回復しており、そんな三人の傍にハンナが佇んでいた。


「アレク。こんなことを言うべきではないだろうが――常に最悪の事態を想定しておいた方がいい。もし事態がいい方向に転がれば、その時は取り越し苦労だったと笑えるからな」

「その最悪のパターンってのは何種類あるんだ?」

「単なるマフィア相手であれば数通りで済むが……今回は依媒キャタリスが敵だ。何百通り数えても足らないだろう」

「……そうだな。いや、わかってるんだ。すまない」

「お水、飲む?」

「いや、大丈夫だよルナ。ありがとう。今は胃がコンクリみたいに固まっててね」


 コップへ水を注ごうとしたハンナを、アレックスは首を振って止めた。


「アレク、それにラナ。何度も言っているが、私に気遣って無理をする必要はない。執行人という仕事も……思えば、衝動的に始めたようなものだ」

「なら、俺からも同じことを言わせてもらうよ。後悔はしてない。まだこういう状況に慣れてないってだけだよ」

「そうですよお義父さん。私たちは覚悟の上です。ただ……はぁ。どうしてルナは屋敷に残るって言いだしたのかしら。ギルガルドみたいに留学させるつもりだったのに」

「あの子は一度決めたらダイヤモンドよりも硬いからな。ヴェルディと会わせてほしいと私に頼んできたとき、拒否するなら窓から飛び降りると脅迫してきたくらいだ」

「ほんと、誰に似たんだか」と、アレックスが笑った。

「なによ。私があなたを脅したのは一回きりでしょう」

「結婚してくれないなら身投げするって、デート中にいきなり言われた時は驚いたよ。あぁ、ほんと。あの時に比べれば、今はまだマシかな」


 昔話が少しだけ花を咲かせ、空気が緩んだ。

 四人に囲われる電信から「異常なし」との定時連絡が入る。

 キオからの呼びかけもない。

 このまま凪のように落ち着いた重苦しい気まずさを耐えるだけで済めば、どれほどよいか。


『マスター、大変だ!』


 ささやかな願望は四人の脳内に届いたキオの焦燥によって切り裂かれる。

 普段は頼りにしている万能の情報伝達者を、今日だけは誰もが遠ざけたかった。


『お嬢が攫われた。それと――二人! 新しい依媒キャタリスが二人だ! ヴェルディとレイニアが足止めされて、お嬢を追いかけられねえ!』


 そしてその想いを今になって神様が汲んだのか。

 キオの声は、それきり誰にも届かなくなった。


  ◇


 一方、トラファルガー大公園にて。


 ボートの上にとつぜん現れた謎の人影は真っ白なローブで身を包み、フードから垂れる金の絹糸が陽光をはねのけるように照り輝いている。

 ユリアリスだ。

 空から降ってきたのではなく、湖の底から這いあがったかのような登場の仕方。どこから現れた。反射的に全身を血液のスーツで固めながら思案していると、ユリアリスが二人に手をかざす――


 少年少女は気を失い、ユリアリスにかかえられ空へ連れ去られてしまった。


「お嬢様ッ!」


 レイニアが叫び、バイクに飛び乗る。一気にアクセルを吹かせて追跡しようとしたバイクの前方に、突然丸い影が地面に映った。上空には何もないのに。それは蠢き、泡のように弾けながら浮かび上がり、中から小柄な男が現れたのだ。


「おーっと、お前らだよな。厄介な連中ってのは」

「なんだてめぇは! どけ!」

「そうはいかねえ。お前らを足止めしろって言われててよ」


 摩訶不思議な方法で姿を現したことへの驚きを吹き飛ばすように、銃を引き抜いたレイニア。まだ育ち盛りの子供だろうか。背は低く、手足も細い。一般人を撃ち殺す要領で撃鉄を鳴らす。

 しかしレイニアは視た。

 銃弾が男を貫けない未来を。



「ははっ、どうした。そんな豆鉄砲効かねえぜ」

「…………なんッ、なんだよてめぇは……!」


 不可解、困惑、苛立ち――

 男の額が鉛玉を弾き返したのだ。現実が告げる。男は只者ではないと。

 そうしている今も、ウルスカーナたちの姿はどんどん小さくなっていく。


「…………」


 ヴェルディはまだ答えを見いだせていない。ユリアリスを殺したくないという想いがぬかるんだ炎のように滞留している。

 身内を誘拐されたというのに。

 確かめなければならない。

 あの子は自ら敵対しているのか、或いは――


「あの子を追え! 見失うなよ!」と叫びながら血の鎖を呼び出し、男を拘束する。男は回避すらせず、不敵に笑いながら雁字搦めにされた。

「了解っす!」とレイニア。爆走するバイクを阻む者はいない。

「キオ! ウルスカーナが攫われた! 敵の足取りを追ってくれ!」


 ヴェルディは空に向かって声を上げた。いつもならあるはずの返事は、ない。

 この時、キオはディルファイア達に異常を報せた途端、連絡を途絶えていた。


「……キオ? おい、キオ! 返事をしろ!」

「おいおいまじかよ。こんな上手くいくことあるか?」

「……なにがいいたい」

「いや? 一人で慌てふためいておもしれーな、あんた」

「きさま――」


 マスクの奥から苛立ちを迸らせながら、ヴェルディは鎖に力をこめる。このまま締め上げてやる。けれども男の顔に苦痛の色が浮かぶことはなく、むしろ……鎖は緩んでいった。いいや、男の体がどんどん膨れ上がっていく。


「なんだ……?」


 男の両腕が風船のように膨れてゆく。細かった腕が、何十倍にも。

 耐えきれなくなった鎖が弾け飛ぶ。腕だけが異様に肥大化した姿は人間とゴリラの合成獣のよう。


「遊ぼうぜ! 公園ってのは体動かす場所だもんな!」


 男はその場で力を込めてジャンプした。たった一度の跳躍で剛腕がヴェルディを捉える。


「お前みたいなデカブツは対象外だろうがな!」


 一瞬反応に遅れるも、血の壁がヴェルディを守る。ユリアリスの猛攻すらも防ぎきった経験がヴェルディに慢心をもたらしていた。

 ゴウと低い音がした。それに気づいたころには、壁を粉砕しながら迫りくる野太い拳に顔面を殴り潰されていた。


「おいおい、そんなぺらっぺらなモンで俺の攻撃を防げると思ってんのか? もっと硬いの用意してくれよ。壊し甲斐がねえだろ」

「――――」


 脳みそがひしゃげ、背骨のあたりが感覚を失ったような浮遊感に陥る。圧倒的な重量の衝突によってヴェルディの頭部はされた。まるで屋上から飛び降り自殺したかのような痛み……。大量に流れ込む、悲鳴を上げたくなるような情報量を浴びながら、顔を蘇生する。


「おーすげえ。ほんとに殺しても死なねえんだな」

「……その口ぶりからしてお前、〈ラ・コトン〉か」

「おう。……って、あ。自分のことぺらぺら喋んなってオーベックに言われてたっけな……。まあいいか」


 この男は危険だ。

 そう直感したヴェルディの耳が異音を聞いたのはその時だった。装飾じみた剣を模倣する彼女に時代が合わせたかのような音――トス、という弓矢の飛来。ついでバイクの急停止。

 どうした。その呼びかけは風の唸りに上書きされた。


「止まれ、小娘。俺たちの計画を邪魔してくれるな」

「……そっちの組織は化け物ばっかかよ、くそったれ」


 レイニアの悪態が虚しく響く。鋭い視線は上空へ向いていた。ヴェルディも巨腕の男越しに空を見る。夜を切り取ったかのような闇が太陽を阻んでいる。バサリと繰り返しながら滞空するソレが巨大な翼であり、一対の黒翼の間に人間がいることを視認した辺りで、ヴェルディは大きく後退した。


「よそ見してんなよ! てめぇの相手は俺だぜ!」

「っ!」


 壁で受けるのは分が悪い。いや、もっと厚みを増せば受けきれるか。

 髑髏の仮面を被り直しながら考えるヴェルディ。離れた場所では鋭いなにかが地面に突き刺さり続けている。上空に突如現れた謎の翼。それが放つ無数の暗い羽根がレイニアを襲っている。大公園の道路はしっかりと舗装されている。それに突き刺さる時点で単なるではないことは明白だった。

 レイニアはバイクで器用に回避しつつ反撃しているが、逆光のせいで戦いづらいだろう。


「おい、デカブツ」

「あ?」

「パワーはあるがスピードは大したことないな。もうお前の攻撃は当たらないぞ」

「はっ! なめてんじゃねえよヘンテコ仮面女がよぉッ!」


 ヴェルディの挑発に対しお手本のような直情的反応をした男が渾身の一撃を浴びせようととびかかる。ヴェルディはその腕に鎖を巻き付けた。


「あぁ? そんなのまた引きちぎって――」


 しっかりと絡まった鎖。男の助走。ヴェルディは腰を踏ん張り、その場で大きく一回転して鎖を手放した。男はすんなりと投げ飛ばされた。闇夜の翼が舞う空へ。


「ザルファルクぅぅぅ!」

「間抜けが」


 有翼の人間は自分に向かってくる味方を認めるや、あっさりと旋回して避けた。

 重力に従って男は地面に真っ逆さまに落ち――瞬時に足を巨大化して着地した。

 簡単にはくたばらないか。


「レイニア、無事か」とヴェルディが駆け寄ると、ゴーグルを掛けたレイニアは泣きそうな顔をしていた。

「ヴェルディさん、お嬢様が……!」

「わかってる、だがキオと連絡が取れなかった」

「え、なんで」


 キオの呼びかけは、聞き手が冷静状態であってこそ成り立つ。ヴェルディがウルスカーナの足取りを尋ねた時はまだ臨戦態勢ではなかった。

 しかし、ここまで目の前の脅威に注意を向けてしまっている以上、キオの声が彼女たちに届くことはない。


「……あいつらなら、何か知っているかもな」


 ヴェルディたちは改めて襲撃者を睨んだ。

 体を巨大化させた方は男というより少年という呼称が相応しい、白の半そでに白のパンツ。短く刈り上げた髪は野原のような緑色。息切れ一つしていない。

 もう一方は神父のような黒衣を纏っている。ガルガラと同等の背丈か。こげ茶の髪をオールバックに固め、いかめしい顔も相まって厳格な信徒に見える。

 一般人は消え失せ、道は荒れ果て、木々は無数に倒壊した。

 たった数分ので。


「そろそろ自己紹介したらどうだ。それとも口より手を動かす方が得意なのか?」

「その必要はないだろうね」


 第三の声がした。

 その声は、再び地面から湧き立った泥の闇から木霊した。

 闇の中からぬるりと姿を現したのは、車いすに乗る初老の男性と、車いすを押すスーツ姿の男。


「久しぶりだね、ヴェルディ、レイニア」

「……お前は……!」


 二人は知っている。

 その老人を。押せば倒れてしまいそうな人間の恐ろしさを。

 二年前の忌々しい記憶がフラッシュバックする二人に、老人は子守歌を聞かせるように語り掛けるのだった。


「キオとガルガラは間もなく退場してもらうよ。君たちウィズダム家は、今日を以て壊滅するんだ」

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