#18−①「嫌いじゃない」
残業終わり、絢斗はまどかを自宅まで送ってくれた。
送られるつもりは全くなかったのに、上手く言いくるめられてしまったのだ。
今週末はやはり泊まるようには言わないのだなと、寂しく思っていたら、翌日、デートしようと絢斗から連絡が来た。
スマホの画面を見たまま固まっていると、追加のメッセージが送られてきた。
“実はもう近くにいる”
「……は?」
“電話していい?”
「嘘でしょ?」
連続して届いたメッセージに対して、思わず声を上げて反応を示してしまった。
既読が分かった時点で、許可は取れたものと思ったのだろうか。
さほど時間を置かず、絢斗から電話の着信があった。
「……もしもし」
『まどか、家にいる? 今、まどかのマンション前にいるんだけど』
「……あたしが家にいなかったらどうするつもりだったの?」
『いるんだね。じゃあ、とりあえず開けてよ』
「は?」
インターホンのチャイムが鳴る。
慌てて、インターホンのディスプレイの前に走った。
「えぇ……」
絢斗の姿を確認できて、まどかは頭を抱えた。
「事前に連絡できないの?」
『断れなかったのは、俺のせいにしていいから』
インターホンとスマホから二重で声が聞こえた。
また返しにくいことを言い出す。
返しにくいと思った時点で、まどかの負けだ。
「……今開けるから」
ニヤニヤとしている絢斗の顔からは、すぐに目を逸らした。
落ち込んでいるように見えた昨日の絢斗の姿はどこにもない。心配した自分が馬鹿と思える。
ロックを解除したはいいが、家の中は招くような状態ではない。
部屋を見渡して、飲んでそのままのグラスをキッチンのシンクへと持っていき、外に干している洗濯物のことを思い出す。
ほとんど乾いていそうだが、とりあえず浴室へと運んで、ランドリーパイプにハンガーを引っ掛ける。
再びリビングに戻って、以前のように卒業アルバムが出ていることもないと確認する。
再びチャイムが鳴って、玄関へと急ぐ。
脈が早くなっているのを感じる。
理由はバタバタしていたせいだけではない。
鍵を開けてドアを開けると、綺麗に身なりを整えた絢斗が現れた。
まどかを見るや否や、目を見開いて、ふいっと目を逸らして、まどかとすれ違い、中へと入っていく。
「ちょっとっ……」
「……とりあえず、上、着てくれる?」
「え?」
「襲わない自信がないから」
スニーカーを脱いだ絢斗に背中越しに言われて、どぎまぎして、「なっ、何言ってんの」と絢斗の背中に言い捨てる。
絢斗は反応なく、奥へと進んでいくから、暖簾に腕押しだった。
ふと、さっき浴室に運んだ中にカーディガンがあったことを思い出す。
浴室に入り、鏡で客観的に全身を見たら、ノースリーブにショートパンツという気の抜けた格好は、露出度も高く、急に恥ずかしくなってきた。
目的のカーディガンを羽織り、急いで浴室を出る。
リビングに着くと、絢斗はソファーに座っていた。
「何してたの?」
まどかが来る気配を察知した絢斗は、まどかと顔をが合わせる前に問う。
「先に何しに来たか教えてくれる?」
絢斗の前に立ち、絢斗を見下ろす。
「まどかに会うためだよ」
「そういうんじゃなくて……」
「それも本当なんだから、否定しないでよ」
真っ直ぐに見つめ返されて言われると、うろたえてしまう。
絢斗に挙動に不審な点はない。いつも通りだ。
むしろ今は、まどかの方が挙動不審に見えるだろう。
「今日、夏祭りがあるでしょ? 一緒に行こう」
「夏祭り?」
「うん」
純粋な眼差しに、くらくらさせられる。
この顔を見て、断ることができる人がどれだけいるだろうか。
「……出かける準備もあるから先に言ってよ」
「行く気があって嬉しい」
絢斗がにこにこしていうから、言われた通りであるきまりの悪さや喜んでもらえて嬉しさがない混ぜになって、胸がざわつく。
付き合う前と付き合った後では、心の乱され方が違う。
基本は腹が立つようなマイナスの気持ちだったのに、それに加えて、プラスである喜びの感情も生まれるようになって、落差が大きくなっている。
準備を終えて、ともに家を出、電車に乗って、夏祭り会場の最寄り駅に降り立った。
夕方だが、日はまだ明るい。強い西日が眩しいくらいだった。
「浴衣着てほしかったのに……」
「動きづらいから嫌よ」
実は、絢斗が浴衣をレンタルして一緒に着ていこうと言い出して、一悶着あった。再び持ち出すことはやめてほしかった。
もちろん、動きづらいと言うのは一番に思ったことだった。浴衣を着るなら、髪もメイクも合わせたいと思ったら、時間と手間がかかる。
それに、絢斗が浴衣なんて着たら、今の比ではないくらいに注目を浴びてしまう。
何とか拒否して、普段着のまま、夏祭りへと赴いたのだ。
唇を尖らせている絢斗は、完全には納得していないようだったが、人の多い場所を通りながら、まどかは全力拒否して正解だったと実感していた。
すれ違う人は若い人が多く、絢斗は当然のように視線を集め、背中越しに興奮した甲高い声をよく聞いた。
屋台が並ぶ道は、駅の近くより混雑していた。
ずらりと並ぶ屋台から漂うおいしそうな匂いや、駆け回る子どもたちのにぎやかな声に、気持ちが上がる。
「何か食べる?」
「あー……結構並んでるね」
何か食べようと思って屋台を見れば、並んでいる人が多く、躊躇する。
「じゃあ、別々に買う? まどかが好きそうなもの買ってくるから、まどかは俺が好きそうなの買ってきてよ」
絢斗の提案に、まどかは首を縦に振れなかった。
「別々は嫌? 一緒に行きたいの?」
「そうじゃなくてね……」
まどかはため息混じりに言った。
説明するのはためらわれた。
説明してもしなくても、嬉々とした反応をしそうだったからだ。
絢斗が独りになれば、自ずと人が寄ってくるわけで、その後、近寄りがたくなるのが嫌なのだ。
「……この人混みで暗くなったら、会えなくなるかもよ?」
「まぁ、そうだよねぇ。迷って合流できないのも嫌だし、一緒に並ぼうか」
とりあえず、本心は言わないでいたが、絢斗は心なしか嬉しそうに見えた。
よく考えれば、離ればなれになりたくないなんて、彼氏を溺愛する彼女みたいで恥ずかしいことを言ってしまったと気づく。
そんな言い方はしていないし、と自分に言い聞かせながら、以前の自分なら別々に行動したがったと思い、離ればなれになりたくない気持ちに、あながち嘘はないようにも思えて、絢斗の顔を見られなくなった。
落ち着かないのは、チラチラと向けられる視線の存在も大きかった。
以前、絢斗はそういう視線には敏感だと言っていた。
周りの人は案外他人を気にしていない。そう思うこともあるが、絢斗が周囲から視線を集める力というのは、それを超えている。
「人混み、嫌じゃないの?」
「好きではないけど、まどかとくっつけるから嫌じゃないよ」
まどかは思わずぽかんとしてしまった。
――そうだった。こういうことを言う人だった。
自分でトスを上げて、上手く決められてしまった。
全く構えられていなくて、真正面から受け止めて、胸が苦しい。
「俺に集中できない?」
「え?」
前を向いたまま言う絢斗の横顔を見上げた。
「ずっと周りばっかり気にしてる」
横顔が寂しそうだった。
絢斗の言う通り、まどかは周囲の視線ばかり気にしていて、絢斗のことがなおざりになっていた。デートなのによくなかった。
「……ごめん」
浴衣を着るのを断った手前、さすがに気もそぞろだったことは反省だ。まどかは肩を丸めた。
「――じゃあ、手、繋いで?」
絢斗の声は、思いの外明るかった。
思わずバッと顔を上げて、絢斗の顔を見上げた。
足も自然と止まる。
――自分から手を繋げと言っているのか。
絢斗の顔から視線を落とし、差し出された手をまじまじと見つめる。
「人混みなら、恥ずかしくないんじゃない?」
まどかの心境を読んだように、言葉を続けた。
絢斗の手をこれほどしっかりと見たことはない。
大きくて厚みがあって、長く伸びた指は骨ばっている。
女の自分とは明らかに違う手のひらに、色めき立っている自分がいた。
すでに何度も繋いでいる手だ。
この手に触れれば温かいことも知っている。
まどかは何も言わずに手を重ねた。
絢斗の手はやはり温かい。
絢斗は嬉しそうにまどかの手を握り返す。
あんなにも周りが気になっていたのに、繋がった手に意識が集中して、周りは気にならなくなった。
焼き鳥やベビーカステラを買い、分け合って食べた。
回りをコーティングするチョコレートの種類が違う、カラフルなチョコバナナを見つけた。チョコとバニラ、ストロベリー、抹茶らしい。
その中から、チョコとストロベリーを1本ずつ買った。
「ライターの下条さんとは連絡取ってるの?」
「電話で話したくらい」
「え……?」
絢斗は自分で話を振ったくせに、嫌そうな顔をする。
「仕事でだからね?」
どうしてまどかが弁明するようなことを言わなければならないのか。
「同窓会のあの人は? 山本だっけ?」
「連絡取るわけないじゃん」
ことの顛末を知っているのだから、答えなんて分かり切っているはずなのに、どうしてそんなことを訊いたのか。
その理由はすぐに分かった。
絢斗の視線をたどって斜め前の方を向けば、こちらを見る男性を見つけた。
「あ……」
気まずそうに目を逸らしたのは、今まさに名前の出た山本だった。
絢斗はまどかよりも背が高いので、人混みの中でも先に目に入ったらしい。
夏祭りに独りで来る人もいるだろうが、一般的には誰かと来るものだろう。
近づいてくるうちに、一緒に来ている人の顔がしっかりと見えてくる。
「マジでヤバいやつだな」
ぽつりと呟いた絢斗の声色は、怒りを通り越して呆れていた。
「誰? 知り合い?」
山本の腕を組んでいた隣の女性が、まどかと絢斗の存在に気づいて、山本に問いかける。
髪は明るく、露出度の高い服を着ていて、若そうだった。
本来はこういう女の子が山本のタイプらしい。
彼女は絢斗を見て、「めっちゃイケメン」と言いながら、キャッキャしている。
彼女の質問にも答えない山本とは、話にならなさそうだったので、彼女に照準を合わせた。
「山本くんとは高校の同級生なんですよ」
「そうなんですね」
「お2人は付き合ってるんですか?」
「はい」
山本を見上げる彼女が不憫に思えてくる。
何も反応がない彼氏を、彼女はどう思っているのだろう。
「いつから付き合ってるんですか?」
絢斗が隣から質問をすると、目を輝かせて絢斗を無遠慮に見つめながら、「1ヶ月くらい前からです」と答えた。
「……最っ低」
まどかは軽蔑の眼差しを山本に向け、吐き捨てた。
「君、付き合う人はちゃんと選んだ方がいいよ。彼女いるのに、彼氏いる人を口説くようなやつみたいだから」
「え?」
まさか見とれていた絢斗から、そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。到底言葉全てを理解できたとは思えない、ぽかんとした顔をしていた。
「あー、口説くよりもたち悪いかも? それでもいいならこの後も楽しんで」
浮気も褒められたものではないが、一夜限りの関係をぽんぽんと持ってしまうのはたちが悪いと言えるだろう。納得しながら、まどかは絢斗の言葉を聞いていた。
「……どういうこと?」
さすがの彼女も聞き捨てならないと思ったらしい。
ドスの利いた声で山本に詰め寄り始めた。
それを確認してから、絢斗の「行こう」という言葉で、その場を後にした。
あの2人のこれからの時間は、楽しいものには決してならないだろう。
ただし、長い目で見れば、彼女にとって山本という男を知る機会になって、よかったはずだ。
「……なんか、気分悪い」
とりあえず、手に持っていたチョコバナナにかぶりつく。溶け始めているチョコとバナナのねっとりとした甘さが、口の中に広がる。
せっかくおいしいものを食べているのに、もやもやとする。
「パーッと飲みにいくか」
絢斗がまどかの空いた手を繋ぐのを、まどかは当たり前のように受け入れていた。
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