#7「恋愛ごっこするつもりはないの」
地元情報誌で半年連載を行ってもらっていたが、それも今回の取材で終わりとなる。
ライターである下条を会社に迎え、最後の取材を終えた後、エントランスまで見送るためにともにエレベーターで降りてきた。
自動ドアの開かない距離で足を止め、改めて向き直る。
「いつもありがとうございます。三戸さんのおかげで、連載も上手くいきました」
「私なんか……」
恐縮しながら、手を面前で横に振る。
「三戸さんは清楚で控えめでおしとやかで、素敵です。“私なんか”なんて言わないでください」
褒められたはずなのに、ちくりと胸が痛む。
――本当に上辺だけしか見ていないのだな。
自分の本質を知った上で好意を寄せているわけではないのだ。
まどかは、思っていたよりショックを受けた。
「下条さんのおかげです。ご無理をお願いしてばかりだったのに、快く引き受けてくださって、本当に助かりました。ありがとうございます」
改めて頭を下げる。
下条の好意を利用して、下条の望む自分であることで、仕事に活かそうとしていたのかもしれない。
ふとよぎった自分の下心に、また胸が痛む。
本質を見られていないことで傷つくなんて間違っている。自分から素を隠していたくせに。
「連載は一旦終わりですが、またよろしくお願いします」
「それはこちらのセリフです。また載せていただけたらありがたいです」
「もちろんです」
下条の背中を見送る。
下条は人がいいと思う。
多分、まどかのことを疑いもせず、純粋に接してくれている。
いい人だとは思うが、それだけだ。
付き合ったところで、別れは目に見えている。
思った人と違ったと言われるに違いない。
下条の後ろ姿が見えなくなって、くるりと振り向いて足を踏み出したら、目の前に人が立っていて、ぶつかりそうになった。
「ごめんなさい!」
とっさに謝ったが、相手の反応がないことを不審に思った瞬間、至近距離で端正な顔が目に入る。
「なっ、何であんたがここにっ……」
「外出ようと思ったら、話してるみたいだったから、出るに出られなくてねぇ」
絢斗の唇が綺麗な弧を描いた。
「まさか……聞いてた?」
恐る恐る訊けば、絢斗は笑みを濃くした。
「全部真逆だったな」
今にも声を上げて笑い出しそうなのをこらえているつもりだろうが、こらえきれていない。
たまにクックッと声が漏れ出ている。
――最悪だ。格好のネタを与えてしまった。
「全然分かってないねぇ、三戸のこと。そりゃあ、仕事だもん。素なんて見せるはずもないしねぇ」
絢斗は自動ドアの向こう側を見つめて言う。
絢斗には一体何が見えているのだろう。
「……何であんたに聞かれるかな、よりによって」
絢斗から逃げるように横を通り過ぎようとしたら、強めの口調で、「ショックなの?」と問われた。
思わず、足を止める。
「いいの。別に上手くいくとも、いかせようともしてなかったから」
「ショックなのは否定しないんだ」
絢斗から顔を背けて下唇を噛む。
絢斗には隠し事ができない。
いや、むしろ、ほんの少しの本音がこぼれ出てしまう。
これではまるで、絢斗に慰めてもらいたいみたいだ。
「“清楚で控えめでおしとやか”。そうあるべきって、思ってない?」
まどかは絢斗に顔を向けた。
「何でそんなに受け身なの? 自信がないわけ?」
絢斗の顔にはさっきまでのからかうような笑みは全くなかった。
目を奪われて離せない。身動きも取れない。
そのうち、絢斗の手が伸びてきて、まどかの頬を人差し指がなぞる。
「――そのままで十分魅力的なのに」
ハッとして、絢斗の手を振り払う。
そのタイミングで絢斗からも目を逸らした。
「……あんたは随分自信があるのね」
「あるよ」
絢斗は即答した。
もう見るつもりなどなかったのに、また絢斗の顔を見返してしまう。
「そんなに好きでもない人の言葉にショック受けるくらいなら、振り回されないようにしたら?」
「……どうやって?」
「同窓会まで行って相手探すくらいなら、身近にいるイケメンの俺にしとけばいい」
「……は?」
口を中途半端に開けた、間抜けな顔で、絢斗を見返した。
「――俺ら、付き合ってみない?」
面前に立った端正な顔がじっと見つめてくる。
まるで人形と向き合っているようで、現実味がない。
「え……?」
「ん?」
変なこと言ったかなと言わんばかりの顔が、ますますまどかを惑わせる。
どう考えても、突飛すぎる提案である。
「えっと……何でそうなるか、意味分かんないんだけど……?」
「付き合ってる人がいたら、好きでもない他人の言葉なんて気にならないじゃん」
「あー、なるほど……」
理論は分かったような気がする。
納得しかけて、ハッとする。
「――いやいや! そういうことじゃなくて、何でそれであんたと付き合うことになるのよ?」
「だって、すぐに付き合える相手、いる?」
言葉に詰まる。
相手がいないのは事実であるのだから。
言い負かさなければ、と余計に意地になる自分がいる。
「あたしはいずれ結婚したいのよ? あんたと恋愛ごっこするつもりはないの」
「“恋愛ごっこ”? 結婚の前にはそれも必要じゃん」
「まねごとだったら、結婚に繋がらないでしょうが」
「分かんないよ? 始まりはどうであれ、何が結婚に結びつくか分かんないじゃん」
何を言ってもすぐに返事がある。
絢斗を言い負かすなんて、無理があったのだ。
「……だから、ふらふらしてるの?」
「……あー、俺のこと?」
絢斗は首の辺りをポリポリと掻く。
居心地が悪そうで、言ったらいけないことを言ったのかもしれないと、後悔がにじみ出す。
言い負かせないからと言って、傷つけるのは正解ではない。
「周りに言われてるって?」
「えっと……」
目が泳ぐ。絢斗と目が合わせられない。
「言わせとけばいい。それを選んでるんだから」
絢斗は吐き捨てるように言った。
ポケットに手を突っ込んで、そっぽ向いている。
いつも軽薄さで覆われている、絢斗の芯の部分が見え隠れしている気がした。
「……何で?」
気づいたら、そう訊いていた。
絢斗の横顔を見つめていたら、絢斗がおもむろにまどかの方を向いた。
「――本当に結婚したい人と付き合えないからだよ」
――あ。 もしかして、触れたらいけないところに触れようとしているのかもしれない。
急に喉が渇いてくる。
唾を飲み込もうとするが、カラカラで飲み込めない。
「付き合ったこと、誰にも言わなきゃいいじゃん。駄目なら駄目で、別れたらいい」
萎縮した隙に、絢斗はいつもの軽い調子に戻ってしまう。
絢斗の“本当に結婚したい人”って誰なの。
そこまで好きな人がいるの。
そんなことが訊けるような空気ではなかった。
「恋愛ごっこじゃなきゃいいんでしょ? 結婚を前提に、付き合おうよ。暇つぶしとでも思ってよ」
すぐに諦めると思ったのに、食い下がってくる。
それであんたはいいの。
あんたの好きな人の代わりになんて、なれないよ。
絢斗を見つめても見つめても、真意は見えない。
近い距離にいると思っていた同期は、思っていたよりも遠い距離にいたらしい。
「俺が三戸と付き合ってみたいと思ったんだ」
絢斗はいつもこうやって告白するのだろうか。
……いや、絶対に違う。この状況は特殊すぎる。
「……分かった。乗る」
自分で提案したくせに、目を見開いて驚く絢斗の顔がおかしかった。
「確かに、いい人いないかって過ごしてるのも疲れたし、言い寄られても彼氏いるって言えるのは強いし、それもありかなって思ってきた」
久しぶりに直感を信じてみたくなった。
今、絢斗と付き合ってみたら、何かが変わる気がした。
何より、絢斗のことを知りたくなっていた。
「じゃあ、決まり。やっぱりなしとか、なしだからね」
「……望むところよ」
絢斗は「喧嘩じゃないんだから」とクックッと笑った。
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