41 夜の会社へ

 タケルとライトは、まだ明かりが点いているネコタコーポレーションのエントランスを潜った。


 エントランスホールを取り囲む店舗は全て閉店している。中央以外の照明は落とされており、エントランスホール全体が暗く物悲しさを覚えた。


 タケルのすぐ後ろを不安げな様子で背中を丸めながらついてきているライトを、横目で見る。威風堂々からは程遠い印象だ。これがあの『雷神』かと思うと、なんともスッキリしない心境だった。


 スマホがなければ腕時計も壊れてしまっている今、心配しているだろう『キャット』の二人にできるだけ早く自分の安否を知らせたい。ヴィラン連合本部に行けば連絡を取ることは可能だが、ヒーローであるライトに場所を教える訳にはいかない。


 考えた末、唯一思いついた方法が、会社に行って電話をするというものだった。


 だがここにきて、財布すらないことに気付く。財布はスマホと一緒にバンの中にあった。


「しまった……社員証、財布の中だったんだよな」


 せめて『キャット』の二人の電話番号くらい暗記しておくべきだった。後悔先立たずを実践中のタケルは、忌々しげに溜息を吐く。タケルに寄り添うようにして歩くライトが、「あ」と呟くといそいそと自分の社員証を取り出した。


「俺のがあるよ」

「お、ナイス」


 夜の社屋は殆ど人がいない。お陰で、スーツ姿ではないタケルとライトでも目立たずに済んだ。システムエンジニア系の社員だと男でもラフな格好をしている者も多いが、目立たない訳ではないからだ。


 受付は暗く、当然受付嬢たちはとっくにいない。理子にタケルの今の姿を見られないのは、何よりもの救いだった。


 ライトは黒のパーカーにカーキ色のカーゴパンツで、タケルはどう見てもサイズの合っていない白のパーカーにジーンズをたくし上げている姿だ。しかも化粧をしたままで、どう見ても彼氏の服を借りた彼女にしか見えないからだ。かつてこれほどまで、自分の身体の華奢さが憎かったことはなかった。


 認証ゲートの前までくると、ライトがタケルを振り返る。


「タケル、ぴったりくっついて」

「ううう……」


 一緒に通らねば、引っかかってしまう。タケルはライトに抱き抱えられるようにして認証ゲートを通り過ぎた。幸いカードで通るだけのシステムだ。問題なく通過でき、タケルはそっと息を吐く。すぐさまライトから距離を取ると、一階にいたエレベーターに乗り込み、真っ直ぐ二十五階へ向かった。


 エレベーター内が、しんと静まり返る。居心地悪いことこの上ない。操作パネルの前に立つライトの視線は時折感じるものの、何を言う訳でもない。


 耐え切れずに沈黙を破ったのは、タケルだった。


「……何で出社しなかったんだよ」


 探す手間暇をかけさせられたのは、こいつが一向に出社してこなかったせいもある。不満のひとつくらい言わせてもらいたかった。


 ライトがシュンとして身体を縮こまらせる。


「だって……人、怖いし」

「はあ?」


 天下の『雷神』が聞いて呆れた。ライトの丸まった広い背中を眺めながら、タケルは鼻で息を吹く。


「なんでそんなに人が怖いんだよ」


 タケルの知る限り、ライトの雷の能力は最強に分類される。圧倒的な強さがあるのに、何故当の本人が人を怖がるのか。タケルの問いに、ライトはモジモジと暫く躊躇いを見せた後、いじけた子供のように唇を尖らせつつ答えた。


「……壊しちゃうから」


 言いたくなさそうな口調だった。聞かなければ、絶対自分からは言わない。そんな雰囲気を醸し出され、タケルは次の言葉に詰まった。


 壊しちゃうとは、何をか。タケルの脳裏に、これまで中継された『雷神』の数々のバトルの様子が過る。――まさか、物ではなく人を、なのか。


 信頼する父の息子だからこそ、答えたのかもしれない。それほどに、大きい筈のライトの背中は、あまりにも小さく目に映った。


「……ライト、あの」


 何を言えばいいのかも分からず、ただライトのその様があまりにも弱々しく、タケルが遠慮がちに声を掛けたその時。エレベーターが機械的な鐘の音を鳴らして、二十五階に到着した。内心、ほっとする。


 何を言うつもりだったのかもはっきりしないまま言葉に出した日の出来事は、今もタケルの中に深い傷跡として残っている。恐らくは、一生消えることのない傷だろう。言葉は怖い、特に意図せずに発した言葉は。


 そう考えた瞬間、ライトは力が強大である故に、もしかしたらタケル以上に深い傷を持っているのかもしれないと初めて思い至った。


「タケル?」


 開くのボタンを押したまま、ライトがタケルの目の奥に何かないかと探しているかのようにタケルを見つめる。


「なんでもない、行こう」


 明らかに何かに怯えている様子のライトに、これ以上言う気は失せた。何を言っても、自分が虐めている気になってしまう。


 足早に新規事業開発統括本部の部屋へと向かう。硝子扉の奥は、暗い。沢渡がいたら何を言われるか分かったものではなかったので、またまたほっとした。


「もう一度社員証貸して」

「はい」


 ライトは何の抵抗もなく社員証をタケルに手渡す。社員証には、佐藤雷人と書いてあった。確かに嘘は言っていない。市役所がどうのと言っていたが、それはおいおい聞けばいいだろう。


 タケルが社員証を翳すと、扉の電子ロックが解除された。中へ入り電気を点ける。自分に用意されているデスクに向かった。引き出しには日村と原田の連絡先を残してあるのだ。デスクに置かれた電話に日村の番号を入力すると、暫くして呼び出し音が聞こえ始めた。三コール目で音が途切れる。


 切羽詰まった声色の日村の声が聞こえてきた。


『――ヒバリちゃん! 無事か!』

「フォックス、心配かけてごめん」


 ほ、と優しい息を吐く音が受話器越しに耳に届く。と同時に、タケル自身からもドッと力が抜けていくのが分かった。


 日村が訝しげな口調で尋ねる。


『お前これ、会社からかけてるのか?』

「うん、そう。ごめんね、時計は壊れるしスマホは車の中だったし、番号も分からなくて」


 遠くから、原田が喜んでいる声が聞こえた。相当心配をかけてしまったのだと、タケルは申し訳なさで一杯になる。


『……どうやってそこに入った? お前の財布はここにあるぞ』


 きた。どう切り出すべきか、タケルは逡巡する。これまで散々『雷神』のことを悪様に罵っていたのはタケルだ。それなのに『雷神』のライトと共にいると聞いたら、日村はひっくり返ってしまうのではないか。


「それも含め、会社に来てくれたら説明したいんだ。来られる?」


 電話越しで説明するよりも、実物の『雷神』を見た方が早い。そう判断したタケルは、所在なさげに突っ立っているライトに声を出さずに「ここにいろ」と言った。コクコクと頷いた『雷神』が、その場でしゃがみ込む。そういう意味じゃないと頭を抱えたくなったが、これも慣れかもしれないとタケルは集中を電話に戻した。


「見てもらいたいものがあるんだ」

『分かった、すぐ向かう』


 通話を切ると、さてどう説明しようか、としゃがみ込んだままのライトを見て、長い溜息を吐いた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

年内の投稿はここまでとなります。

年明けは1月6日投稿を予定しております。

皆様よいお年をお過ごし下さいませ!

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