おにぎり一つ、猫のマスコット二つ、笑顔は三つ

ゴオルド

あの日、コンビニで

 私は賢い。うちの高校の誰よりも。

 だから、私は全生徒の中で一番偉いんだ。

 模試では偏差値が73を下回ったことなど一度もない。

 といっても、大人に褒められるために知識を頭に詰め込んでいるわけじゃない。

 私はメディカルレビュー社の医学雑誌『精神科臨床Legato』を定期購買するぐらい精神医学に興味を持っており、将来その道に進むために必要な勉強をしているだけだ。

 そう、私はちゃんとした将来のビジョンを持っている。私は精神科医になるのだ。賢くて偉い私にふさわしい進路だと思う。医者になって、愚かな人々を救ってあげるつもりだ。甘えきった人々を厳しく導いてやるんだ。お母さんだって、私を応援してくれている。

 それにひきかえクラスメートは馬鹿ばかりだ。大学受験が間近に迫って、慌てて勉強を始める始末。日ごろから勉強していれば何も焦らなくていいのに、そんな簡単なこともわからないなんて、本当に頭が悪い。

 今は高校三年の秋だ。これまでずっと遊んできた子たちが今から頑張ったところでたかが知れている。あなたたちがカラオケに行ったり恋愛にうつつを抜かしたりしている間も、私はまじめにこつこつ勉強していたの。あなたたちが今さら頑張ったところで、私と同じレベルまで追いつけるわけがない。

 彼らは愚かすぎて、とても対等には付き合えない。

 あるとき担任教師から言われた。

「あなたって本当に可愛くない女子よね。人を見下して、自分だけが正しいって顔をして。そんなんじゃ社会に出た後、職場で嫌われて苦労しますよ」

 鼻で笑ってやった。二流大学しか出ていない教師の言うことなんてまともに聞く価値なんかない。私は東大合格圏内にいる。先生とは違うの。


 教室では、私はいつもひとり。

 休み時間も、自習のときも、誰ともしゃべらない。だってクラスメートが話すことといったら誰が誰と付き合ったとか、親が勝手に部屋に入ってきて腹が立ったとか、そういうくだらない内容ばかりで、ちっとも聞く気になれないから。そんなことで時間を無駄にするから、あなたたちは馬鹿なのよ。

 お昼ごはんだって、もちろんひとりで食べることにしている。別に、一緒に食べる相手がいないわけじゃない。自分から拒否してるだけ。誘われたことなんて一度もないけど……。でも、一緒にお昼を食べる人なんていなくても、別にいいし。


 その日の昼休みも、騒がしい教室でひとり自席について、いつものようにスクールバッグからおにぎりと本を取り出した。食事しながら読書がしやすいようにと、お母さんがお弁当ではなくおにぎりにしてくれているのだ。

 お母さんのおにぎりは大きくて、しっかりと握ってあるから、ずしりと重い。具は鮭、昆布、梅干しにツナマヨ等々、いろいろなおかずがたっぷり詰まっているから飽きない。私のお気に入りだ。


 机の上に本を広げ、おにぎりを包むアルミホイルをはがしていたら、近くにいた栗原という茶髪おかっぱ女子が、

「ねえ、あれ」と、周囲の女子にささやいた。すると女子たちは、まるで命令でも受けたかのようにクスクスと笑いだした。

「でかすぎるよね。炭水化物爆弾って感じ」

 栗原が底意地の悪そうな笑みを浮かべる。ただでさえ目が細いのに、醜い表情になったせいで完全に目が閉じたようになっている。昔話に出てくる悪役のキツネみたいな顔だ。

 ふん、何よ。彼女たちは幼児用みたいに小さな弁当箱に、トマトやブロッコリーといった低カロリーの野菜ばかり詰めているのを私は知っている。だから、私のおにぎりが羨ましいのだろう。

 彼女たちに背を向け、気にせず食べようとしたとき、「でかいのもアレだけどさ、アルミホイルってのがまじで何度見てもダサい」という言葉が、私の背中に突き刺さった。

「貧乏なんかな?」

「にしたって、あれはないって」

「昭和かよ」

 いっせいに吹き出す女子たち。茶髪おかっぱ悪役キツネの栗原も、目をとじて笑っている。

 不愉快だった。せっかくお母さんが私のためにつくってくれたおにぎりなのに。むかむかして食欲が失せた。

 おにぎりをバッグにしまって、ユングの『内なる異性』を読むのに集中することにした。

「ねえ、あいつお昼食べるのやめちゃったよ?」

「かわいそうじゃん、陰キャをいじるのやめなよー」

 栗原が嬉しそうに、可哀想、可哀想と繰り返す。茶髪おかっぱ悪役キツネは本当に終わってる、人格が。

「可哀想だから、ばかでかクソダサおにぎりのこといじるのやめなよー」

「あんたが最初に言い出したんでしょ!」

「あ、そうだっけ?」

 げらげらと笑う声。なんて醜い騒音だろうか。私は溜息をついた。本当に耳障りだ。彼女らに比べたら、ゴキブリだってもうちょっと品良く鳴くだろう。もしも鳴くのなら、だけど。

「ていうか、あいつ、この前話しかけたら無視したんだよ、ひどくない?」

「私たちみたいな馬鹿とは話したくないんでしょ。ねえ?」

 そうだよ、そのとおりだよと言い返してやりたい気持ちになったが、でも、言い返したら、きっと面倒なことになるだろう。こういう女子ってのは、先生に告げ口するに決まってる。それで二流大卒の教師から無意味なお説教を受けなきゃいけなくなるのだ。私の貴重な時間が無駄になる。ほんと鬱陶しくて愚かな人たち。だから、聞こえないふりをして、ページだけが視界に入るように背を丸めた。


 本に集中しろ、そう自分に自己暗示をかける。騒音に惑わされるな。今この教室にいるのは私ひとりだ。他者の存在など消してしまえ。そう意識を誘導する。少しずつクラスメートたちの存在が私の中で希薄になり、騒音が遠ざかっていく。そう、これでいい。無音の世界に存在するのは私ひとり。寂しくなんかない。つらくない。これで読書や勉強に集中できるのだから。

 だけど……もし話が合う人がいたのなら……。いや、何でもない。私はひとりが好きなんだ。自分にそう言い聞かせて本に没頭する。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


 教室の窓から差し込む午後の陽光がノートを空より先に夕焼け色に染めた。勉強に適した明かりは白光だ。だから教室の照明をつけてほしいのに、教師は黄ばんだ陽光だけで授業を続ける。なぜ教師というのは光熱費をケチるのだろうかと疑問に思いながら簡単すぎて退屈な授業をやりすごし、やっと放課後になった。

 校舎を出る足取りも軽い。なんせ帰宅途中にコンビニに寄る予定なのだ。

 きょうは、ひそかに集めている猫キャラ「ハナちゃん」の新作お菓子の発売日なのだ。その新作お菓子というのは、チョコレート菓子で、おまけとしてハナちゃんのミニチュアフィギュアがついているらしい。ハナちゃんファンの私としては、なんとしてもこのフィギュアを入手したい。


 ちなみに私のスクールバッグにつけているマスコットもハナちゃんだ。ハナちゃんは金色の猫で、とっても可愛い。そんじょそこらの猫キャラとはひと味違う、金色の輝きを放つ特別な猫なのだ。こんなことを言うと、偉大なる猫キャラの先輩たちを馬鹿にしていると誤解されてしまいそうだが、そういうことではなくて、なんていうか、ハナちゃんは特別ってことが私は言いたいのだ。

 クラスの女子たちはスクールバッグにごちゃごちゃと幾つもマスコットをつけているが、私はハナちゃん一個だけ。ほかのものなんて要らない。


 いつもの帰り道の途中、普段なら通り過ぎるコンビニ前の歩道で軽やかに方向転換し、駐車場を通り、店の自動ドアを抜けて、コンビニに入った。陽気なメロディーとともに、複雑な匂いのする暖かな空気に包まれる。お出汁とか揚げ物とか香水とか、そういうものが混ざった匂いだ。店員がレジ脇のおでんをおたまでつつきながら、ちらちらとコピー機のほうを見ている。

 何だろう。深く考えるより先に、私はそちらに目を向けてしまった。

「……え?」

 まず最初に目に入ったのは、人の下半身だった。コンビニのすみに設置されたコピー機から黒いズボンをはいた下半身が生えている。いや、そうじゃない。人の上半身がコピー機に挟まれているのだ。

「なんで?」

 事故? 事件? まじまじと見ていたら、コピー機に顔を押し付けている女と目が合った。

 何、どういうこと。女の人が、コピー機のカバーを開けて、ガラス面に顔半分を押し付け、目だけ動かして私を凝視している。年齢は、私のお母さんよりは年上だろうけど、おばあちゃんってほどでもないぐらいだ。

 うーん。なんだこれ。

 目が合ったまま、数秒経過。

 うん、きっと不審者だな。無視しよう。そう結論を出した私は、ハナちゃんのお菓子を探すことにした。

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