統失彼女

高見もや

第1話

訪れは唐突だった。

 仕事帰り、俺の部屋の前に女が立っていた。金髪のギャルギャルしい女だった。

 「何か用ですか?」

 細身の女だ。

 そういうと彼女は「マッチングアプリで知り合った唐揚げさんですよね?」といった。

 私はぎょっとした。半年前に、マッチングアプリで何度か遊んだことがあったが、その中の女性のことなどとうに忘れていたからだ。

 「なんで、俺の家のことを知ってるの?」

 「今、支援が必要なんです」

 要領を得ない。そう言って彼女は人の家に上がり込んでしまった。


 統失彼女。


ここは俺の部屋だぞ。

「家出してきたんです。ブルートゥースが家じゅうから私を責めてくるから」

「ブルートゥース?」

「知ってますか?ブルートゥースは人体に害を及ぼして、人に嘘をつかせるんです」

支離滅裂なことを話している。

どういうことだ?

「君はどこから来たの?家族は?何者なの?」

「一度に言わないで。渡辺冬木。冬の木材と書いて冬木です。」

「俺は・・・」

名乗らないほうがいいのだろうか。家に入れないほうが安全だろうか。警察に連絡したほうが安全なんだろうか。様々頭の中を駆け巡る。この女性は、正気ではなく、覚せい剤かなにか犯罪の結果、ここにたどり着いたのではないだろうか。

だとしたら、だいじなのは、警察と病院だ。

「俺は・・・唐揚げだ」

「あの、薬の時間なんです。わたし、病気なんです。この前、病院から出てきたばかりで」

「なんの病院?」

「精神病院」

「薬か何かやって入ってたの?」

「そうじゃないの。仕事のやりすぎで頭がパーンってなって。入院しちゃって」

「統合失調症になってしまったの。それが2年前のこと。」

「それからずっとフラフラしてて、車の運転はできないし、やっと障害厚生年金が通って、生活が安定するなと思って」

障害厚生年金ってたしか13万くらいもらえた気がするな。

「通帳見せてもらっていい?」

障害厚生年金13.5万円。 貯金額 180万円

「中で話聞こうか」

俺は金欲しさに、女を部屋に入れてしまった。

それはとても大きな額だった。それよりもこの不安定そうな視線の定まらない女をなんとかしなければならないという思いが強かった。

この女には見覚えがあった。でもあった当初よりもかなり疲弊しみすぼらしい見かけになっていた。

あまり統合失調症というものに理解のなかった俺は、スマホで軽く調べることにした。

幻覚、幻聴、幻視、幻臭、を伴うドパミンの・・・・脳病であり、定期的な服薬が必要です。重に朝昼夜寝る前に服薬が必要とされています。

「夜の薬は飲んだのか?」

「まだ飲んでないです。私の場合は、朝夜寝る前に飲めばいいみたいです」

「そうか、じゃぁ、夜の薬を飲もう」

夜の薬(食後)と書かれた個梱包された薬を見て、

「そういえば晩御飯は食べたのか?」と聞いた。

「まだ食べてないです。」

「じゃぁ、コンビニで買ってくるから。」

「月が赤い」

どう見ても黄色いけどな。

厄介者を家において、貧乏人は金目当てに女を家において、コンビニ飯を買ってきた。

それから、飯を二人で食って、彼女は薬を飲んだ。

自立支援医療受給者証なる白い紙には、どこそこ病院と書かれていて、訪問看護、など様々なサービスの名前が書かれていた。

そして彼女の自宅の住所も。もしそこからにげてきたのだとしたら、さほど遠くはない。

明日自宅に行ってみようと思った。彼女の持ってる薬の数はまだいくらかあるが、病院の位置はわからないし、統合失調症というものもよくわからない。

俺はビールを飲みながら、統合失調症ユーチューバー、モリノコドクの動画を見ながら、統合失調症の人に対する注意点を学んでいた。非常に疲れやすく、注意力散漫で、陰性症状と、陽性症状があり、服薬を怠ってはいけない。

全然わからない。

俺は高校を卒業してからすぐに東京に来て、貧乏生活を送っているただの中年男である。しかもバツイチだ。マッチングアプリで知り合ったとき、唐揚げと名乗ったけれど、ビルメンという仕事は休みが多く、他の底辺職よりもくいっぱぐれない可能性が高いから、職業訓練校で進められて就いたに過ぎない。今思えば失敗だったと思う。とくに夜勤は寿命の前借だが、介護士よりはましかなとも思わないでもない。社員になれば給与は上がるし、電顕三種を取ればくいっぱぐれはない。電顕を取れば500万は安定して狙える。

まぁ、とれればね。休みが多いからこの女の世話はできるかもしれない。非正規だけど。



家賃7万の1ルームに二人で眠りながら、とりあえず朝を迎えた。

なに、統合失調症の女を襲うほど俺だってヤバイ男じゃない。ちょうど今日は明け休みだった。朝食を二人で食べた後、具合が悪そうな統失女(渡辺冬木というらしい)をつれて、彼女の実家に行くことにした。思いのほか近所だった。電車で二駅ほどの距離だ。俺もマッチングアプリに情報を載せすぎたのは良くなかったと思う。最寄り駅で特定されるとは思わなかった。

渡辺冬木の家に着くと、初老の両親が俺たちを出迎えた。

「冬木、どこ行ってたの?」

「心配してたんだぞ」

どこか気弱そうな人たちだな、という印象を受けた。

「連れてきてくださりありがとうございます。あなたは・・・どなたですか?」

「私は・・・以前、マッチングアプリで知り合った唐揚げというものです。まさか自宅を特定されるとは思わなかったものですから、びっくりしております」

「それはご苦労おかけしました。もしよろしければ、少し自宅によって行きませんか?」

「は?」

「せっかくの機会ですから冬木は美人ですし、まだ子供も産めますし」

「いやいや、自分は低収入ビルメンなんで育てる余地はないですよ」

「障害厚生年金には子の手当てといったものがありまして、子供一人当たり5万円の手当てもつきますので、安心して子供も作れます」

「子供は誰が育てるんですか?」

「私たちが積極的にサポートいたします。」

「冗談じゃないよ。こんなによれよれなのに、そんなこと言ってる状態じゃないでしょ。彼女に必要なのは休養でしょ?子供とか言ってる場合じゃないでしょ」

「失礼しました。とりあえずお茶でも上がっていってください」

東京都心にやけに豪華な屋敷。俺は薄気味悪さを感じながら、この成金両親の話を聞くことにした。

「そもそもなんで、冬木さんは統合失調症に?」

「過労がたたったのだと思います。」

「働けなくなるほどストレスをためてしまい、入院に至ったのだと思います」

「昨日も、何かから逃げるようにこの家を飛び出してしまい、捜索願を出したんです」

「帰ってきてよかった」

そういって母親は冬木さんを抱きしめた。

「唐揚げさん。もしよかったら、たまにでいいですから、顔を出しに来てくれませんか」

「まぁ、かまいませんが」

「地活やデイケアだけでなく実際に稼ぐ力のある彼氏がいるだけで彼女の気持ちも明るくなると思うんです」

「彼氏って・・・俺はバツイチのおじさんですよ」

「かまいません。彼女が安心すればそれで十分なんですから」

そういうとご両親は笑った。


それから俺は、仕事の合間を縫って、地活、障害厚生年金、理解のある彼君、統合失調症、自立支援医療など様々なワードを調べに調べた。その結果、わかったのは、厄介事が持ち込まれたということだった。

でも妻と別れたときも厄介だったし、新しい女ができたと思えば、厄介度には差はないということに大した違いはないということだ。

統合失調症は、一度かかると寛解することはあれど、未来永劫死ぬまで治ることはない。不治の病だ。寛解とは病気が治った状態ではなく、発病していない状態を指す。概念が難しいが、病気が出ていない状態を指すらしい。統合失調症ではない俺にはちょっとわからない概念だが、どうやら聞こえないものが聞こえたり、見えないものが見えたりする状態から解放されたら、寛解と呼んでいいということになるそうだ。

不憫だなと思った。俺にはわからない世界にいる。その世界の苦しみの中で、彼女はもがいているのだ。この世界はいつも弱いものを助けない。そうやって世界は回っている。

力になってやりたい。そんな気がした。さいわい、ビルメンという仕事は、宿直の後は明け休み、休みと二連休が続く休みの多い仕事なので、会いに行くのは容易だった。そういう意味では、会いやすい仕事だといえるとは思う。

おかげで無職と勘違いされやすい。平日真昼間から歩いてるし、平日昼間から独身男性が酒飲んでるしな。妻がいたころはそうじゃなかった。昼間から酒なんか飲まなかったし、タバコも吸ってなかった。

男は弱い。女がいなければ、65歳で死んじまうらしいしな。でも女だって子供を産まなければ、80歳までの永遠に近い余暇をどうやって埋めるつもりだ?そんな中、興味深いトピックを見つけた。統合失調症患者60歳死亡説。統合失調症患者は平均して60歳で死亡してしまうというトピックを見つけた。生活習慣病や心疾患など、自殺などで平均して20年早く死亡してしまうというまとめが書かれていたのだ。未婚男性は65歳で死ぬ。統合失調症は60歳で死ぬ。お互い早く死ぬなら帳尻があっていいんじゃないか。

彼女に少し興味がわいてきた。


俺には友達らしい友達がいない。地元から遠く離れた東京に上京してきた俺は、東京でさっそく氷河期世代の洗礼を受けた。親からは地元の友達は結婚して子供もいるのよ、戻ってきなさい、という連絡がきたこともあったが、俺には夢があった。漫画家になるという夢だった。でも結局、漫画家になることはできず、バイト生活では徐々に生活するのは苦しい年になり、結局ビルメンテナンス業に従事することになった。いいところまではいった。真里という女とつきあい、結婚した。アシスタント仲間だった。子供が作れるほどの金はなかったが、8年間結婚生活は続いた。そうして39歳という年を迎えた。すっかりいい歳のおっさんだ。結局、ビルメンと真里の結婚生活も8年で終わり、真里は漫画家になれず地元に帰り、独りでここで生活しているってわけだ。真里の残り香の残ったこの部屋に。

自分で言っていて気持ち悪くなる言い方だな。

でも男の恋愛ってのはだいたい終わってから始まるものなんだと俺は思う。女は終わったらスパッと終わる。そういうものだ。


男の「普通」はもう十分やりきったように思う。子供は残せなかったかもしれないが、家は買わなかったかもしれないが、結婚して、セックスもいっぱいして俺はもう十分だなと思っている。そんな中、また新たな女の登場というわけだ。でも統合失調症だ。今はネットさえあれば、だいたいどんな人間でもいろんな人間と一応はつながれる。素性は不明だけど。

俺は唐揚げと名乗ったが、学生時代からのペンネームだったのでそのままそれを採用した。Xにも漫画を載せているが反応は薄い。才能はやっぱりないのか。


さて、今日の宿直も終わったし、冬木さんに会いに行ってみるか。

「生きてるだけでえらいか」

モリノコドクちゃんの言う言葉を反芻する。それは統合失調症ではない自分自身にも跳ね返ってくるようでひどく胸に響いた。生きているだけでえらいのだ。

死なない。それだけで人は生きている価値がある。消費活動を行う。生活保護を受けたっていい。働けない人間にだって、一定の価値はあるのだ。彼女にはそれを教えられた気がした。


歩いて数十分の距離に彼女の住む豪邸がある。何をしたらこんな家を建てられるのだろうか?東京の郊外ですらないのに。不思議だなと思いながら、呼び鈴を鳴らす。

すぐに着物を着た奥様が現れて「あら唐揚げさん、きてくださったのね」と言った。

「冬木なら奥の間で寝てるわよ」

そういうと、俺は奥の間に通された。

「着たよ、冬木さん」

「唐揚げさん、今、わたし、陽性症状がひどくて。まだ窓の外から誰かが見ている気がして」

「大丈夫。それは病識があるってことだ。正常に近づいているんだ。わかるってすごいことなんだよ」

「ありがとう、唐揚げさん」

冬木さんは依存的な涙をこぼした。俺みたいな低収入で非正規のバツイチの男にも役割があるのだと思うとなんだか自己肯定感が上がる。そんな気がしてきた。

「でもなんで冬木さんの家は東京のこんな一等地にこんなでかい家を建てることに成功したんだ?」

「それはね、不動産投資と投資、宗教法人の立ち上げに成功したからだよ」

後ろを見上げる。初老の着物姿の父親がニコニコしながら立っていた。

「何なら君も仕事をやめて、うちに婿入りしたらどうだね? 娘専属のおつきの人になってくれてもかまわない」

統合失調症になったのはこれが原因だ。宗教二世が統合失調症になりやすいと何かの記事で読んだが、まさにその通りだった。しかし、創立メンバーでもその通りになるとは。

今、冬木さんは急性期。一番悪い状態だ。うかつに刺激しないほうがいいし、安定した地盤のある家から動かさないほうがいい。俺は顔を出すにとどめておこう。しかし恐ろしい一家だ。ストレスの逃げ道がなかったことは容易に想像がつく。

「お子さんは冬木さんだけですか?」

「いや、後、3人いる」

「冬木には不憫なことをした。東大を出してまで、統合失調症にしてしまった」

「東京大学ですか」

何も言い返せなかった。その努力量も、そしてきっとここから逃げ出したくてしょうがなくて、挫折しただろうことも。

「生きてるだけでえらい」

ふとそんな言葉が漏れてしまった。


それから仕事上がりや休日には足しげく通うようになっていった。

回復のペースは遅く、ほとんど寝ている日が多く、うわごとのようなことを言っている日が続いた。陽性症状はなかなか消えなかった。だが彼女自身には「病気に対する自認」=「病識」はあるようで、それはかいふくのきざしとおもってもいいようではあった。本来ならこの広い家から救い出してやりたかったが、今はこの家が彼女にとっての安全基地なのだ。

「どうだ。少しは気分は良くなったか」

「陽性症状というかブルートゥースで攻撃されたり、YOUTUBEで放送されたりするみたいな妄想はなくなった気がします。なんかバカみたい」

「順調に回復してるじゃないか。ちゃんと薬も飲めてるし、ご飯も食べれてるみたいだしな」

そう、彼女は出会ったころよりも相当太ったのである。薬の作用によるものなのか、薬の体重増加作用と寝たきりがよくなかったのか、ずいぶんとぽっちゃりしてしまったようだった。

「たまには散歩に行かないといけませんね。唐揚げさん。散歩に行ってもらってもいいですか?」

「おっ、いいけど、いきなり大丈夫か?さっきまで寝たきりだったのに。いきなり歩いたりして」

「そろそろ体力をつけたり、歩いたりしないとまずい時期に差し掛かった気がするんです」

「じゃぁ、ちょっと歩きに行ってみようか。」

「着替えてきます」


・・・


「唐揚げさん、散歩は中止にしましょう」

「なんで?」

「ちょっとお洋服がどれも入らなくて」

「そうか・・・」

「ネット通販で揃えたら歩きに行くようにしましょう・・・」

冬木さんはどこかしょげているようだった

「気にしなくて大丈夫だよ。あれだけ寝たきりだったんだ。そういうこともあるよ」

「ありがとうございます」

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