第9話



 「二次会行く人こっち〜」


 道端で仕切っているやつの声が響く。 店先の出口は生徒で溢れている。 そいつらの吐く息が白い。


 俺はイルミネーションがけばけばしい看板に手をついて息を漏らした。

 酔っている。 酒をちゃんぽんにして飲んだせいでかなりきていた。 それでも吐いていない。 まだ真っ直ぐ帰れるだけの自制心はあることにホッとした。


 目の前をスッと通り過ぎた人がいた。


 大倉だ。 薄茶色のコートを着ている。 そのままこっちには目もくれず、二次会に行くメンツの集団の方へ歩いていった。

 そうだよな。 大倉は行くだろう。 誘われないわけがない。


 「俺、帰ります」


 近くにいた教授に声をかけると、「お疲れ、気をつけて帰れよ」としわがれた声でそう告げられた。

 足元がフワフワする。 自分が少しよろけていることを自覚する。 そんな自分を許せなくて、なんとかいつも通り歩こうとした、その時だ。


 「——先輩、みね先輩」


 後ろからの声に振り返った。

 大倉だ。


 「帰るんですか」

 「ああ」

 「二次会は?」

 「行かない。 もう充分、マジで」


 小走りで追いついた大倉ゆうなは、俺のことをじっと心配そうに見つめた。 あれから大倉は大して飲むことはなかった。 酒は勧められたが、あまり飲めないのだと困惑しているところで、俺が代打で飲まされていたのだ。


 「先輩、あの、大丈夫ですか。 ごめんなさい、わたしの代わりにたくさん飲まされちゃって」

 「平気、俺、酒割と強いから」


 笑ってみせる。

 あの男は俺が潰れて、大倉への好意でもゲロったら好都合とでも思ったんだろう。 そんな思惑なんかに乗せられるつもりはなかった。

 酒はきっちり呑み干し、尚且つ醜態を晒すようなことはなかった。 それだけが、今回の飲み会で唯一胸のすく出来事だった。

 大倉はまだ心配そうにしていたが、不意にアッと上空を見上げる。


 「先輩。 あれ、新作のCMです」


 大倉が街中の大型ビジョンを指差した。

 新作ってなに。 天を仰いだが、スクリーンの眩しさが酒に酔った目を射る。 まだ頭が回らない。 それでも焦点を合わせ続けていると、以前大倉が言ってた新作チョコのCMだとわかった。

 あたたかな室内で恋人同士が白いセーターを着ている。 濃いピンク色の背景で、チョコを宝石のようにつまんで、うっとりとした表情で口に含んでいる。 ふと、恋人同士の視線も絡み合った。 吸い寄せられるように近づく唇。


 『好きになってはいけないと、思ってからでは遅い』


 溶け合うチョコがスクリーンいっぱいに広がり、妖艶に微笑む恋人たちがこちらに視線を向ける。 チョコ会社のロゴが最後に浮かび上がった。


 「みんな……」


 俺は思わず呟く。


 「誰も彼も、恋だの愛だの、くだらない」


 隣に大倉がいる。 それなのにお酒でショートした俺の口は止まらなかった。


 「なんで、くだらないんですか」


 大倉の静かな声に、俺はせきを切ったように胸のうちを吐き捨てた。


 「今から恋に落ちたって、将来がどうなるかなんてわからない」

 「え」

 「俺らはなんなんだ。 ただの一介の学生だろ。 そんなんで恋に落ちることってあんのか? 将来、その女を幸せにできる保障なんてまだどこにもないのに? 金を稼げるかもわからないのに? 愛欲にうつつを抜かしたって現実問題、一生なんて誓えないだろ。 いや、そう言える人がいたとしても、そんな都合のいい人を見つけようとすること自体が傲慢ごうまんなんじゃないのか?」


 支離しり滅裂めつれつな言葉があふれ、何を言ってるのか自分でもわからない。 息が途切れ、俺は黙った。

 さあ、これで大倉ゆうなは俺のことを嫌っただろう。 恋人なんざ作れない、そんな俺に期待をかけるのはもうやめにした方がいい。 大倉のためにならない。 さっさと二次会でもなんでも言って、新しい彼氏でも作るといい。


 終わりの足音が聞こえる気がして、俺は目をつむった。 怖がっているのではない、先ほどのシーンが眩しくて目が辛くなっただけだ。


 だけど、足音は聞こえなかった。 代わりに大倉の笑い声が柔らかく耳に届いた。


 「嫌だなあ先輩」


 大倉はくすくす笑って口元に手を当てていた。


 「そんなこと考えてたんですか」

 「そんなことって。 俺はすげえ真剣に考えてたんだ。 恋に落ちたってその先の保障なんてない。 人がいつまでも愛情を持ち続けることができるかどうかなんて大倉はわかんのかよ」


 軽くあしらわれて、かっと血がのぼる。 思わず悪態をついた。 ずっと考え続けていたことだった。 頭の中を鉛のように重く占めていた。 お前もこれを『つまらない』というのだろうか。 お前には、大倉だけには、この考えを軽んじて欲しくなかった。


 冷静さを失う俺のことを、大倉ゆうなはどこか達観したかのような目で見つめた。 そして、ゆっくりと言った。


 「先輩、難しく考えすぎ」

 「……」

 「恋に落ちるのに、理屈なんていらないですよ」


 そうしてふわりと笑った。

 その時に湧き上がった感情を、俺は名付けられなかった。 強いて言葉に出すのなら、目の前を眩しい、星屑が散ったようだった。 ちらちらとひかるそれを間違って吸い込んだらしい。 喉が詰まって言葉も出ない。 おまけに肺まで痛い。 違う、胸だ。 胸の内が絞られる。 湧き上がる感情の鮮烈さに眩暈がした。


 「ゆうな〜! 行くよ〜!」


 大倉がすみませんだの、気をつけて帰ってくださいだの言うのを、どこか遠くの国で起きている出来事のように見ていた。

 俺はそのまま、五月蝿うるさい交差点のそばで立ち尽くしていた。



 

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