第16話
「威力が落ちてきたと思っていたが、ちょっとずつまた調子を取り戻して来たな...さすがは我が天使。基本に忠実というか、しっかりと魔術の根底を理解している。...未来機関のランキングから外されないわけだ。それでも僕自身、意外と戦えるのも驚きだがね。)
殺生院は数度星ヶ宮の魔術をその身で受け、唇と舐める。彼の下に血がにじむと同時に、切れた口内に湧く不快な血の塊をぺっと吐き出せば、幾分かましになる。
殺生院自体は、かつてはこのような殺傷能力を誇る魔術ではなかった。もっと一般的な、ありていに言えば自家発電機のようなものであるはずであった。未来都市ではそこまで珍しくもない。まして、ランカーに勝負を挑もうとすれば、数秒と持たずに命のかかわる傷を負うことになっていたであろう。魔術にとって、魔術は鉾であり盾。身を守るにも相応の想像力を使用する。
彼自身、それはよくわかっていた。つまり、攻守ともに出力はランカーに比べて圧倒的に足りていなかった。しかし、現在、彼はランキング上位の星ヶ宮並びに七海から才能のお墨付きをもらっている来栖シュカと対峙してもまだ命を散らしてはいない。それはなぜか。
想像力の基本は記憶と、それに付随する発想力。体験したり、記憶に残る思い出というものが実に重要になってくるのだ。彼の場合、それが星ヶ宮のパンチラによる衝撃で、彼の魔術の輪郭が変わってしまった。それこそ、魔術ランキングに名を連ねる星ヶ宮の力にも及びそうになっている様を見れば、その衝撃がうかがい知れるというものだ。
さて、魔術のランキングとは、使用する魔術のタイプごとに区分されている未来機関発祥の順位付けである。例えば、星ヶ宮であれば炎羅≪イグニス≫のアニマの分類に帰属する。そしてその中で順位が細分化されているというものだ。ちなみに彼女は第5位。全国の学生人口を鑑みれば、その順位の圧倒的異質さがわかるだろう。例えば、数学の記述模試で5位ともなれば、その名は勉学を志するものには自然とその名前が入ってくる。そしてこの未来都市に至っては、その魔術が絶対的な順位とする傾向が強い魔術至上主義者たちの巣窟。その影響力は計り知れない。すこぶる名誉のある称号と言って差し支えない。
そして魔術のランキングに乗るようなトップ層は、所謂ランカーと呼ばれる。未来都市の魔術などを扱う能力者を様々な観点から精査、審査し、称号を未来機関が順位ともに授けるというものである。
未来機関とランキングトップ層は、基本的に相互関係が成立している。各地に存在する、未来と自由溢れる学生を統括するような、圧倒的能力者たち。彼らにはその地域の学生たちを納める、1つの風紀委員的な役割を与えられている。能力という圧倒的な自由を持つ学生たちの土地において、それらを諫める存在を設立することは非常に重要なことである。未来機関からの通達や大人たちからの圧力だけでは、未来ある学生たちはその反骨精神をあれよあれよと花を咲かせ、無法の都市となることもそう遠くない未来であっただろう。其れゆえのランカーである。力というわかりやすい序列、それを示すのがランキング、といった具合に。
その称号に付随するものが、未来機関からの様々な特権である。未来機関発行の株券とでも想像してもらえるとまとまりがつくだろうか。ランカーたちは、年に数度の集会において、様々な問題をそれぞれ提起する。与えられた風紀委員のような存在として、学生たちの治安維持を保つためである。そこでは全国の未来都市でどのような問題が発生していたのか、またその対策や防止案に始まり、近況の情勢や、学校区分でのイベントなどの協力要請についてなど、その議題は多岐にわたる。これらを未来機関に報告、提出することで、特権という株券を頂戴しているといったことだ。
その特権の内容は多岐にわたる。買い物などの際に一定金額の割引が発生したり、寮生活から一軒家を支給してもらったりと生活の面で助かるもの。市街で能力を使用できたり(ただし、主に事件の鎮圧時ややむを得ない場合を条件として)、魔術模擬戦における管理権の獲得など魔術の面に関するもの。そして何より、一度だけ申請できる絶対特権≪リベリタス≫が存在する。
ランキングに入っている限り一度だけ、未来機関に申請ができる絶対特権。その内容は、人によってさまざまである。自分の魔術の向上のためにある種の条件などを各所に連名させるのか、はたまた自分の欲望の解消のための条文を組み込ませるのか。その人間の内面が酷く醜く表面化させられる、歪なシステムである。
それら包括した様々な恩恵を求めて、ランキングに抜擢されようとランカーに戦いを挑むものは数知れず。ランカーたちが模擬戦の管理権を持っていることも相まって、血の気の多いランカーはそんな烏合たちをまとめて返り討ちにすることに楽しみを見出すやつがいるとかいないとか。
彼女はそんなランカーとしての責務に飽き飽きしているようで、死ぬほど退屈を感じていたのであろう。それは強者としての圧倒的自己による高慢にも思えるが、当事者の彼女にとって、切実な問題であったのだ。彼女自身、自分の美貌に絶対の自信のイメージを持ってはいるが、戦闘力に関してそこまで興味がない。曰く、「美しくない」と。そんな心とは裏腹に彼女の操る魔術、壊血壊血竈≪エチエチカミノ≫は、今日までランキングに名を連ねている。
閑話休題。殺生院はランカーという圧倒的強者と対峙する中で、自分の分岐点に思いを馳せる。記憶に新しい星ヶ宮のそれは、彼に能力を変えるほどの何かを授けていたのだ。
(でも、我が天使と渡り合える魔術は、あなたがいたからこそ、なんですよ。あの風景が僕の脳裏に焼き付いているから。我が天使と刃を交えているという高揚感がさらに魔術の輪郭を強めて、起爆剤としての役割を果たしているんだ。そうだ、あの日――)
命すら届きうる魔術の抗争の最中だというのに、彼は記憶のリバイバルを始める。彼の魔術が始まったその日のことを鮮明にスクリーンに映し出せば、あの日の自分がまたもや死んでいた。
3週間と少し前。秋はまだ遠く、燦燦と照らす日差しが身も心も焼き尽くさんとする最中、殺生院は目を細め背中を曲げながら歩いていた。恨めしそうに陽炎を睨みつける視線には、諦観の色が混じっている。その風体は、いいことも悪いことも特にない、延々と細々と続いていく人生を俯瞰しているかのようにも思える。
そんな視野狭窄な若人たちの、誰もが持つありていな不満に悶々としながら、右手に持ったハンドファンを全力で回す。その動力源は勿論自分である。これも未来都市の住人なら大体可能な、ありふれたものであるがゆえに、興味はおろか意味も見いだせない。彼はどちらかと言えば魔術なぞどうでもいいと感じていた。ランキングなどもってのほかであり、それを絶対たる基準としている人を馬鹿にしている。
その日もその日とて、殺生院は旧名古屋駅周辺の土地を早歩きで通り過ぎる。この場所は学生たちで騒がしくなる。彼の通う高校の寮の帰り道にあるという点、超大型のショッピングモール、遊技場など学生の話題に事欠かさないこの場所は、活気の分だけ争いも絶えない。そんな中で、自分のような魔術があったとて、できることなぞないと考えていた。
(くだらないな...魔術とかそんなちんけなことに弄ばれるこの街も。それを絶対としている未来機関も。なんだって言うんだ。)
道を滑走するように優雅に泳ぐ人の影、物理的に浮かぶ人の影、ショッピングモールに映る学生たちの影。そんなありふれた影の隙間では、頭になんとも形容しがたい不安の影がよぎってしまうのも無理なからん事であろう。人には太陽が必要であると、彼はそんな生活の中で悟った。
(じゃあ、僕の太陽は...?)
そんなことを考えながら足を動かす。旧名古屋駅を東に進んで抜けて、そのまま綺麗に右折を決めれば、人通りが少ない歩道に出る。未来都市では、地下に張り巡らされている地下通路を使えば、魔術を用いて手っ取り早く移動することもできる。
彼のようにバッテリーのような魔術しか持ち合わせていなくても、魔術の補助道具であるサポートアイテムなども未来都市では頻繁に更新されている。時々見かけるたびにアップデートを繰り返しているそれは、自分たちが大人になっても延々と繕われて進んでいくのだろう。修繕不可能な自分たちを、時の流れに差し置いて。
そんな早くに帰宅するような気分でもなかったために、その日彼はあえて人通りの少ない道を選んでいた。物思いに更ける自分の脳はもはやイメージを無くしている。あるのは、ただ草臥れた中年のそれと言っても差し支えのない。いくら顔面の偏差値が高いとは言っても、風体が逸れであれば、必ず負の側面に引かれていくのが人の性である。例えば、幾ら美女とは言っても食事の嗜み方や言葉一つで、美人画が崩壊してしまうこともあるだろう。それは比喩ではない。繕っていた美女というイメージを輪郭にしていた魔術が、彼女の所作によって輪郭を保てなくなってしまったがために崩壊する。そんな破綻した魔術がフィードバックし、彼の体にずしりと響く。
(こんな世界で、僕のこんなカスみたいな魔術じゃあ何も出来やしない。...魔術のランキングに乗りたいわけじゃない。だけど、それはそれとして当たり障りのない時間が肌を撫でていくような、そんな感触も不愉快なんだよ、僕は。)
ハンドファンが送風する風は、彼の心の鬱積とともに加圧され、コォと音を立てる。逆巻いた風に髪の毛が乗せられ、セットしたわけでもない前髪が崩れていく。巻き上げられる前髪の感触に感情の吐き出し口を見つけたかのように、右手で乱暴に髪をかき上げれば、ハンドファンの火力は落ち着きを取り戻しつつあった。
「はぁ。」
それでも心に残る、変わらない日常という毒が全て浄化されたわけではない。さらに彼の心から毒素を吐き出すように一息つけば、感情の均衡がもとに戻りつつある。諦観の混じったものに。
手提げタイプのカバンを右肩に背負ったまま、彼は右手をポケットの中にしまって投げ出すようにつぶやく。それは短冊に願いを記すような高尚なものではなく、届かないはがきを投げやりにポストに投函するような、適当な動きで以て。
「...なんか面白いこと起きないかなぁ。神でも仏でも、なんでもいいからこの虚無から僕を救ってくれ。」
かつて読んだ本の中には、やれ神様だの祖先だのと絢爛極まる名声を背負った堂々たる面子の中で、神話とも呼ばれる戦いや言い伝えが無数にあることを彼は知っていた。それを信仰し崇めるような、信仰深い性分ではないために、すべては好奇心や怖いもの見たさのあいまいなままの心であちらこちらと書物の中を彷徨っていただけだ。
ふらふらとした認識の中では、ふらふらとした知見が宿る。屹立した背表紙を持つ厚き信心のそれは、彼の心にはイメージの輪郭にもなりはしなかった。それ故に、ただ彼は傍観者としての道を好むようになる。日常に堕ちている奇跡や偶然を捨ておきながら。
そんな思惑の下、彼は細くなる道を進む。足の赴くままに歩を進めれば、やがてゆっくりと整備された街路樹が自然を取り戻していく。そこまで荒れ果てた姿でもないが、これ以上進めば未知の領域へとたどり着くだろう。
「...戻るか」
ぴたりと足を止めて、彼はそうつぶやくと息を吐き出す。後に大きなため息を一つ。
今日も今日とて変わらない日が続いていた。そう彼は判断し、右手の腕時計に内蔵されたホログラムに問いかける。充電切れを知らないそれは、じゃじゃーんと効果音を奏でながら、ホログラムが元気よく答える。
「こんにちわ!今日はどうされましたか?」
元気よくホログラムが返事をする。それは、腕に巻いて使うタイプの携帯電話である。それは所謂スマートウォッチではないかと突っ込みたくもなるが、それと異なるのはその多機能性である。従来のものであるならば、健康機能としてのヘルスケア、運動のパフォーマンスの管理、スマホと連動しての利便性に拍車をかける程度であっただろう。しかし、未来機関開発の人工知能AIとホログラム機能の充実。これら二つの要素が形態という可能性を大きく変えた。
「ああ、今日は今日とてあまり変わらなかったよ。...Twitterをちょっと見せてくれ」
彼は目の前に現れたかわいらしい女性にそう呟いた。丁寧な手入れが行き届いた長めの金髪と、情熱を爛々とさせた緋色の瞳。長きまつ毛はバチバチという効果音とともに忙しない。浅葱色のロリータ系のシャツから、溌剌元気な方がちょこんと綺麗に覗き、それをコルセット付きのクラシカルなミディアムスカートで以て完成させている。そんな見目麗しの女性が目の前のリアルに突然降って湧いて出てきたというのだろうか。
否、それは現実の女性というわけではない。それは彼好みの女の子の姿を模したAIのホログラムによる映像である。目をキラキラとさせながら、画面から飛び出来てた彼女は、目を溌剌とさせながら答える。
「はい!わかりました、飛鳥様!今日のTwitterはこんな感じです!じゃじゃん!」
オーバーな素振りでホログラム上の画面を動かすと、彼女はTwitterのタイムラインをずずいっと目の前に表示する。ひらりと一回転して手をワキワキと動かしながらホーム画面を表示した後、視線の隅に隠れるように自分の体を隅に追いやる。その素振りは、悪いことをした少年が叱られるのを恐れて誰か強大なものの背後に回るような、そんな動きと酷似している。実際には彼女は要望通りの仕事を果たしたに過ぎないのだが。
ホログラム上に自分の手をカーソルとするように、気になる投稿や話題のそれをクリックすれば、詳細な表示が画面に映し出される。さらに画面をなぞるように下に大きくスクロールすれば、時間が経過したのち多くの情報が氾濫した川に情報が流れてくる。
そんな情報の濁流でも、現代人の象徴たる彼はその中をすいすいと泳ぐかのように表れては消え行く現代ニュースを流していく。その中でも彼の心を動かすようなものは一つとしてなかったようで。
「未来機関、まあ飽きもせず魔術魔術と...いい加減他のことにも注目すればいいのに。...たまにある処刑のやつも見るやつの気が知れないし。どうでもいいことには躍起になるのは頭が変わってもおんなじだな。飽和しているよ。」
彼は親指と人差し指をホログラム上に乗せるとついばむようにその隅間を埋める。
「私たちのパパママは魔術大好きですからね~。そうなりがちなのは仕方ないですよ。あとあと、ここで起きる事件で魔術に関係しないものなんてそうそうないですからね~。」
「まあ、確かに。」
未来都市はいうなれば魔術の都市である。学生たちが日夜魔術で以てどんちゃん騒ぎ――殺生院自身の能力でやいのやいのとはならないため、彼自身はそういう事件とは無縁ではあるのだが――であるため、基本的に事件になるようなものは魔術関連がほとんどである。というか、それ以外はあまり流れない。少なくとも、其のような珍妙な事件は、頻繁にTwitterを覗いている彼でもそうそう見かけないレアなケースである。
「絶対特権があれば、そういう情報規制も可能になるのかな。例えば、魔術関連のニュースを流すときに制約とかを設けたり、逆に自分自身が関わった魔術関係の事件を隠蔽したり...」
「そういうことも全然できると思いますよ。というか、過去にもいました。...でも、せっかくランカーになってまで手に入れた、それも一度しか発動できない絶対特権を、そういうことに使っちゃいますか?もっと面白いことに使いましょうよ?」
彼女はホログラムの空間に、腕をんーっと伸ばしながら呟いた。先ほどまで存在していたTwitter空間によって彼女の存在するスペースが狭められていたことに起因する、生体反応としては至極当然のそれを見ながら、彼は不動の眉毛をピクリと動かす。
「へえ、面白いことか...例えば?」
画面の中のAIは可憐に手を合わせる。それは神に捧げる祈りを彷彿させるものであった。しかし、ゆらりと流れる緋色の瞳は、何か得物を狙おうとするそれであった。
「例えば、誰かの隣に立って愛を誓わせることとか」
可憐に彼女は呟く。それはまるで一人の少女が夢でも語るようで、本物と見まごう完全な命の鳴動であった。
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