第3話 日常

 あくる日の午前10時過ぎ、これより俺にとってのいつも通りの日常が繰り広げられる。




 俺は早起きなど滅多にすることがない。それはひとえに、起きる理由がないからだ。兄姉妹達は3時間近く前に王城を出ており、青春の園であるアレストリア王国立学園へと向かっている。ただ俺は生粋のサボり人だから学園に行こうなんていう高尚な考えは湧いてこない。言っても無駄だしな。


 前世は早起きなんて当たり前の生活を送っていたが、今世での王族としての生活水準を味わってしまったらもう戻れない。おそらく邪神を倒せなんていう命令を出されても、今の腑抜けた俺では一歩を踏み出すどころか後ろへとグングン下がってしまうだろう。




 そして今広いベッドで横になりながら目を瞑っている状態の俺、ここまでは俺の理想とするシナリオ通りなのだ。だがいつもいつも邪魔が入ってくるのはここから。




 バン!




 突如として、自室の両開き戸が勢いよく開かれる。


 俺は扉に背を向けて布団にくるまっているが、意識はバリバリ起きている。だが俺は眠っている振りを性懲りもなく続ける。こちらとしては自由な時間と行動を奪われては、今の俺の存在意義などないに等しい。そのため、目を強く瞑っていたのだが、




「起きてください!主様、もうとっくに早朝を過ぎていますよ!」




 俺の体をまだ小さな掌で揺さぶりながら、必死に呼びかける。その声はまだ幼いが、口調は立派な大人のようにしっかりとしている。


 強く、長く揺さぶられ続けた俺は観念して目を開けてその声の方を振り向くと、




「遅いです主様!また遅くまで本を読んでいたのですか?主様は既に偉大なのですから頑張る必要なんてないんですよ!」




 怒りっぽかった口調から一変して、諭すように思いの丈を騙る様は年相応だ。その姿は燃えるように紅い髪をしている少女だった。物語のドラゴンが吐く烈火の炎、暗闇の中で静かに、だが確かに頼りにパチパチと音を立てながら燃える焚火、どの例えからも炎という言葉が出てくる、それは彼女の髪がどんなものよりも強烈で、水を被せば、もしくは酸素を無くしてしまえば消えてしまうような繊細さを表している。そんな美しい髪とは対照的に、顔立ちは幼く身長も体躯も俺の元居た世界で言う小学生みたいでララと同い年だが、成長すれば美人になるであろうことが容易に想像できる。瞳はオッドアイで、右目が白色、左目が俺と同じ黒色。どこか親近感を抱くような瞳に、俺は密かに同族意識を抱くこともあったりする。


 そして彼女はメイド服を着ている。何年か前に彼女を王城の使用人の一人として迎え入れた時は幼児趣味でもあるのかと兄と姉に心配されたが、今では彼女の働きぶりに誰も文句が言えない程に有能なことが知られている。クッソ、なんて完璧なのだろう。魔法の腕前はメイドをしている癖して一級品、弓の名手でもあるこの少女―――ソリティア、愛称はソリー―――の戦闘能力は並みの近衛兵を凌駕している。




 あぁ、なんと嘆かわしいことか……こんな完璧な美少女がまだララと同じくらいの年齢だなんて…




 俺は本当に残念に思う。もう何年か早く産まれていればギル兄かロベルト兄との結婚も狙えて玉の輿のチャンスもあったはずなのに……本当に可哀想だと思う。変にませているのも哀れに思う材料の一つだ。




「主様…?もしかして私のことをまたララ王女殿下と同い年だなと想像しましたか?」


「なぜ、わかった…」


「女の勘です!何度も説明しているでしょう、わ・た・し・は!貴方様よりも一つ年上の15歳です!いい加減理解してください!!」


「そうだな、そうだな。可哀想に…」


「主様!!!」




 自分を俺よりも年上だと主張することしかできない可哀想なメイド、本当に哀れだ。


 途端、大人っぽくコホン、と咳払いをすると、ソリーは怒っていた様子から呆れたように俺の手を掴んで引っ張る。思いの外強い力に俺は引きずられる様に彼女に連行されていく。




「主様は本当に揶揄うのがお好きですね。とにかく料理長がお昼を作ってくださっているので早く行きましょう。せっかくの料理が冷めちゃいますよ」


「今日はなにかなぁ」


「パンです」


「それだけ?」


「それだけです」




 王族に提供する食べ物じゃないな、と呆れ笑いをする。まぁそれはさすがに冗談だと思うので、俺は話を切り替えた。




「そういえばギル兄っていつになったら帰ってくるんだろうな。そこら辺父様から聞いてないのか、ソリー」


「いえ、特には。ですがお見送りの際に1か月以内には戻ってくる、とおっしゃっておりました。知ってますか?そんなはずはありませんよね?主様はその場にはいなかったんですから」




 そういえばギル兄が遠征に行く時は家族と側近、そして使用人の何人かで見送りをしているんだっけか。最後に行ったのはいつだったかな……もう何年も前な気がするんだが、、




 俺の心を読んだかのように引き摺っている俺を肩越しに呆れた眼差しで見ると、ソリーは歩くペースを早めた。


 彼女は俺の家族によく懐いている。それこそミリ姉様にはよく業務外で甘えているのを見掛けるし、ギル兄と一緒に体を動かしていることもあったり、ロベルト兄にユリアと魔法の勉強の教えを乞いている時もあった。ララともよく遊んでいるらしい。




 今更ながらに、俺はこのメイドに呆れられている気がする。物理的に助けた奴を騎士団にしたというのが良くなかったのかもしれない。主様、と呼んでくれてはいるが、本来なら俺にそんな敬称をつけたくもないだろう。


 だが無理だ。俺は一応の間接上でのソリーを救った相手だ。それに、この俺を敬う気が一切ない王城の中で、このような美少女に主様と唯一呼ばせることはどんなことよりも優越感に浸れることなのだ。今になってやめれるわけがない。




 まぁ正体を隠しているだけで、彼女を手元に置くちゃんとした理由が俺にはあるのだから、これくらいはいいだろう。




 きっと役立たずな神でさえも納得してくれるさ、と心の中で吐き捨て、いつの間にか俺一人だけの食堂に着いたことに気が付いた。




「やっぱりソリーは足が速いなぁ。いつも気が付けばここに到着してるんだから」


「主様のお足には負担にならないように全速力で向かっていますので」




 どうやら彼女に俺の腕と肩を労わるような良心は存在していないらしい。腕が体から取れそうな痛みがする。




「あれ?」


「どうしましたか?」




 ソリーが、本当に不思議そうな顔をする。




 ソリーから受け取った杖を支えに立ち上がった俺は、食卓に並ぶ――いや、置かれているバケット一つのパンを視認した。思わず声を上げたが、俺がおかしいのかな?




「なんでパン一つ…」


「今日は罰でそれだけです。というかさっき言ったじゃないですか。パンだけだって」




 あれ?やっぱり俺がおかしいのかな。目の前で本当に何を言っているのかわからないと言わんばかりの整った顔立ちに疑問符を浮かばせて、どうやらソリーからしたら何を当たり前のことをと言っているようだ。


 いや、別にいいんだよ?俺としても味を感じるわけでもないから食事を楽しむっていう皮肉的なことをしなくて嬉しいっていうのもあるにはあるよ?でも大丈夫?一応俺王族だよ?君の主、えっ、やっぱり俺の認識がおかしいの?




 頭の中で混乱しまくる俺だったが、ソリーの早く食べろ、というロリ美少女にしか許されないジト目を向けられて、俺は大人しく椅子に座るのだった。








 ~~~








 朝食と昼食―――温情でスープと薄切り肉を贈呈された―――を食した俺は、栄養を体に取り入れ、読書するにはとても良い体内状態となってくれた。


 正午きっかり、栄養補給も歯磨きもすべて終えた俺は、転生してからの日課となっている魔導書の熟読を今日もする。俺は熱意や使命感のないことにはひたすらにできが悪い。そもそもの話、俺は凡人だ。ララのように転生もせずに幼少期から異才を発揮することなんて不可能だし、ユリアのように一度見たことを忘れないなんていう都合の良い能力は持っておらず、ミリ姉様のように大多数の人々から好かれるような人間性と容姿は持っていない。ロベルト兄のこの世界で言う大賢者に匹敵するような将来性と術式の開発能力や論理的思考能力も持っていない。それこそ努力と発想、そして覚悟がフルカンストしているようなギル兄さんの純粋な思いなど、もっての外だ。


 彼らのようにきっかけがなくとも力を発揮できるような才能が俺にもあれば、きっと楽な人生を送ることができただろう。まぁ羨んでもしょうがないんだけどな。




 とにかく、そんなできの悪い俺だから、古代から存在する人類の叡智の象徴、その中でも俺が転生してから貯めに貯めまくっている魔法の知識は9割に届くか、というものだった。曰く、王城にある図書館でも集めきることができていないものもあるらしく、俺の時間はまだまだ魔法に奪われていくことになる。今読んでいる魔導書も集められていなかった魔法の内の一つに値する。


 刷り込み、それを何度も繰り返すことによって魔法というエセ神が人類に創造を任せたであろうものをようやく扱いこなすことができる。




 1歳か2歳の頃は魔導書を持ってくると機嫌が良くなる演技をして持ってこさせていた。5歳くらいになれば俺は今でもいる王城の中庭で魔導書を読む日々を繰り返していた。王族の教育に関してはサボりまくっていた。当然、他の兄弟達が学んでいるであろう礼儀など、俺は視界にすら触れないようにしている。




 そして今日も十年近く続けている中庭での魔導書の熟読を行っている。つい数時間前はソリーが起こしに来た時に起きなかった罰として朝食(昼食)を抜かれかけたが、今は大胆不敵に無防備なお腹を薄く太陽に膜がかかったような天空へと晒しながら魔導書を上に掲げて読んでいる。


 そしてそんな穏やかなひと時を過ごすこと数十分、不意に、その傲慢な右横腹に柔らかくも暖かい布越しに感じる人肌と人間の重みを感じた。




 俺は呆れるように頭だけを起こして下を見れば、俺の右半身を抱き枕にしてくっつく、俺と同い年の見慣れたメイドの少女を視認することができた。瞳は蒼く、少女は白銀色の髪をしている。透き通るように白く、孤高と気高さを主張するかのように輝く白銀、それはこの国では希少で神々しいものとして知られている。その少女の容貌を一文で例えるなら、人々を見下ろすように慈愛を称えたかのような微笑みを浮かべる女神、好戦的で、戦場で美しく輝く血に塗れた鮮烈で激烈な戦乙女、いや、どれも違う。


 彼女は印象には残らない。美しく王国中で目立つような俺の姉妹と同格と言っていいほどに容姿は整っているが、彼女達のように自身を主張するような印象を抱くことはない。どちらかといえば自分を見せず、ひたすらに自分、というものをひた隠しにする、そんな徹底ぶりを見せる少女だ。


 言うなれば無表情、置物の人形のように自然で、だが他のものとは一線を画す雰囲気を漂わせる、そんな評価が彼女に最も似合うだろう。見る人によれば人形のようで冷たいとも言うかもしれないが、人は彼女の魅力に堕とされない程にできたものじゃない。14歳ながらに大人びた体付き、誰もが見とれる顔、そしてこの国では最高の名誉とも称されるほどに希少な色の白銀の髪。誰が彼女を否定できようか。


 ソリーの後にメイドの仲間入りを果たさせようとする俺に、さすがのメイド長も文句を言おうとしたが、その白銀髪の少女――アーシャの姿を見るとすぐさま押し黙ってしまうほどであった。




 そんな彼女の習性として、正午ちょい過ぎ、俺が魔導書を中庭で読んでいる時にかまいに来るということがよくある。いや、ほぼ毎日だ。そして俺が彼女と目を合わせると一言、




「楽しい?」




 ルージュの小さな唇から紡がれるその言葉の声音は、耳を撫でつけるように心地良いものだが、抑揚がなく変化が少ない。言葉に感情を込めない話し方が彼女の流儀みたいなものだ。


 姉妹達やソリーとは別タイプの美少女で、これでも〈旋律の調律師〉とも呼ばれる程のピアノの腕前を持っているのだが、彼女が自分に微塵の自信を抱いていないことが親しい人ならば容易に見破ることができるだろう。




「あぁ、楽しいよ」


「私も楽しい」




 それは何でなんだ、と俺が訊くと、アーシャは無感情の表情のまま、




「主が楽しそうだから」


「…………まったく~アーシャは本当に可愛いことを言ってくれるな~!ララと同じ扱いでもいいんじゃないのかと最近は思ってきてるんだぞ」




 ララと同格クラスの癒し枠として以前から俺のメイン撫で枕となっているアーシャを、魔導書をそっちのけにホワイトブリムで可愛らしく飾られた頭を優しく撫でる。身長は平均女性程度のものだが、口調、そして俺に対する態度があまりにも幼く見えてくる。ソリーの奴とは真逆だな。




 見た目だけ大人に見えるませた小学生、もう片方は大人びた風貌をしているのに中身は俺のことを尊敬してくれるメイドの鏡、ワードとしてもソリーのものとは何線も画していると言ってもいい。




「主、お腹減ってる?ソリー先輩からちゃんとお昼を食べさせてもらった?私は心配」


「安心しろ。俺はあれぐらいの量を食えばお腹いっぱいだからな。そういうアーシャは昼休みにこんなところに居てもいいのか?メイド長のおばちゃんがまた怒らない?」


「ブイブイ」




 アーシャは両手でピースサインを2つ作ると、口でもアルファベットのVを声に出した。これは大丈夫のサインである。会話が苦手なアーシャに、俺が教えた意思疎通の手っ取り早い方法の一つだ。これなら可愛らしさも演出できて、すべての人々がアーシャに堕ちること間違いなしだ。




 ちなみに、この世界の言語は俺の故郷である日本語とはまったく別種の言語なのだ。小さい頃は言語を覚えるのにかなりの時間を要したが、1歳になるまでに乳母やお世話係のメイドが持ってきた絵本などを読み返しているうちに、マスターすることができたのだ。日本語なんてものはないのだから、アルファベットというものもない。だが前の世界の文化と割かし似通った部分がある。


 いただきますにごちそうさまも言うし、本によれば近くの国にお箸もあるらしい。日本のことわざもあるし、不思議としか言えない。映像記録の魔道具もカメラに似た形状をしているが、写真を撮るみたいな機能もある。もちろん、ピースのサインは平和や平穏を意味しているが、俺がアーシャに教えたような使い方も通じるらしい。摩訶不思議。




「メルシさんの書類仕事を肩代わりするようになってからは怒られなくなった」




 アーシャの言うメルシさんというのは、おばちゃんメイド長のことを指す。




「そうか。………前から思ってたんだが、いい加減くっつくのやめない?」


「1時間ちょっとの我慢」


「いや、まぁアーシャの体温あったかいから別にいいけどさぁ……警戒心とかないわけ?」




 俺の言葉にアーシャは「???」という無表情ながらもわかりやすい顔をした。首がコテンとなっているので、余計理解しやすい。




「お前の胸が当たってるんだよ。ぎゅうぎゅう抱き締めるから形が変わるくらいな」


「………変態」


「安心しろ。発情なんかこれっぽちもしないから」




 俺の精神なめんなよ?




「私の胸、それなりに大きい」


「そうだねぇ。将来はミリ姉様に匹敵するくらいにはポテンシャルもある。どっかのメイドと違って」


「ソリー先輩もいつかは成長する……はず」


「お前が希望的観測でどうすんだよ。とにかく、俺が言いたいのはアーシャ、俺がお前を襲うかもしれないっていうことだ」


「……ミリシア殿下に言いつける」




 うん、これで襲うことは不可能になったな。




 真顔で堂々と言うアーシャに苦笑しながら、心の中で「そういうことじゃないんだよな…」とつぶやく。埒が明かないので、右半身に抱きつくアーシャを無視して、魔導書をまた顔前に持ってきた。


 話が通じない時は無視が一番良い選択だと聞いたことがあるので、存在自体をなかったことにする。


「むむむ…」という愛らしい声を上げながら、心なしか、俺に手を回すアーシャの力が強くなった気がするのだった。


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