第13話 豹変
風に乗り流れてくるワルツに、拍手と共に聞こえてくる歓声。煌びやかな世界とは対極の闇に包まれた世界に一人取り残された私は、テーブルに突っ伏し、泣いていた。
もう、ここには誰もいない。
私が声を上げて泣いたところで、それを見咎める者はいない。
今くらい思い切り泣いたって良いじゃないか。子供のように何も取り繕う必要もなく喚き散らしたって良いじゃないか。
美しい音楽を掻き消すように嗚咽がひっきりなしにあがる。ただ、ひとしきり泣けば、涙も枯れる。
「……もう帰ろう」
徐々に平静を取り戻し始めた私は立ち上がり、歩き始める。殿下には、待つように言われたが、これ以上自分の感情に振り回されたくはない。
「今から戻れば、荷物をまとめて明朝には城を出ることができるだろうか」
「どちらへ行かれるのですか?」
突然かけられた声に驚き、顔を上げる。
「ダミアンさん……」
「どちらへ行かれるのですかと、私は聞いたのですが」
この場にダミアンが居ることに思考が追いつかない。彼は、アルフレッド殿下と舞踏会場に行ったのではなかったのか。しかも、タイミング的に、自分が声を上げて泣いていた所も見られていた可能性が高い。
自身の失態を一番見られたくない人物に見られていたなんて、そんな残酷なことあるだろうか。
「貴方には、関係ないでしょう」
「関係ない? よくそんな事言えますね。私の事など、何も覚えていないくせに――」
ダミアンの事を覚えていない? 意味がわからない。
彼に初めて会ったのは、軍医になってからだ。それ以前に、出会っていたなら、こんな美人忘れそうにないが。
「意味のわからない事を言わないでください」
「ふっ……貴方にとって私の存在など、あの狼に比べればその程度なのでしょうね」
こちらへと歩いてくるダミアンの雰囲気が大きく変わっていく。
「えっ……うそ、だろ……」
「驚きましたか? この姿で、ユリアスに会うのは初めてですね」
私の手首を掴み、見下ろす男の姿に息を飲む。
艶やかな黒の毛並みはそのままに、黄色だった瞳は金色へと変わり、耳は大きく変化し、尻尾は太く長くなったダミアンの姿に、猫獣人の面影はない。華奢な体つきは見る影もなく、ボタンを弾き飛ばすほど盛り上がった胸筋が、シャツの隙間から見えている。しかも、信じられないことに、見下ろされるほど背丈が伸びている。圧倒的な存在感を放ち立つ姿は、アルフレッド殿下にも引けを取らない貫禄があった。
「――黒豹……なのか?」
「そうですよ。ユリアスは、私を猫獣人と勘違いしていたようですが、正確には黒豹の獣人です」
目の前にいる男は、猫獣人なんていう生優しい存在ではない。本能的な恐怖が、身を震わせる。
「私が怖いですか? だから、この姿になるのは嫌だったのです。貴方には、黒猫だった時のままの私を覚えていてもらいたかった」
「黒猫のまま? 何を言っている?」
「まだわかりませんか、桜庭宗次郎先生」
「!?」
あまりの衝撃に、めまいがする。
「――なぜ……前世の名前を知っている?」
「やはり、そうでしたか。確信は持てていなかったので、吐露してくださって助かりました」
「えっ!?」
ニッと笑った口元を見て、鎌をかけられていたことに気づくが後の祭りだ。
「ユリアス、貴方を初めて見た時の既視感を信じてよかった。また、こうして出会えるなんて、運命としか言いようがない」
「ちょっと待て。感動に浸っているところ申し訳ないのだが、意味がわからない。なぜ、私の前世の名前を知っている?」
「知っているも何も……。桜庭先生、私の事を覚えていませんか? 診療所にいた猫の……」
その言葉に、過去の記憶が走馬灯のように流れ出す。
「……タマ……なのか?」
急に感じた浮遊感と共に、視界がクルクルと回る。
「やっとだ。やっと……」
「ちょっと、降ろせ。目が回る!」
動きを止めたダミアンは、ゆっくりと私を地面へと下ろすが、腰に回した腕を解くことはなかった。スッポリと、ダミアンの胸に収まっている今の状況に憮然とする。猫獣人の形態の時は、大して体格も私と変わらなかったダミアンが、殿下にも引けを取らない男らしい姿、形になるなど誰が想像出来ただろうか。つくづく、この世界は私に過酷な現実を突きつける。
「そろそろ、離してはくれないだろうか」
昔は、私がタマを抱っこする側であったのに……
今の状況が気に食わず、少々不機嫌そうに言葉を発するが、一向に腕が緩む気配はない。
「ダミアン、離してくれ」
「――離したら、先生はこの場から居なくなるのですよね」
「そうだな、この世界は私には眩しすぎる。ははは、爺さんには、爺さんにふさわしい世界があるんだよ。ここを出る前に、タマに出会えて良かったよ」
「私の前から居なくなると言うのですか?」
「そうだな。黒豹のダミアンと兎獣人の私では、住む世界が違う。肉食獣人と草食獣人が馴れ合う事など許されないのだよ。それに、貴方は、アルフレッド殿下の側近だ。尚更、私とは関わるべきではない」
緋色の狼と黒豹のカップルなど少々絵面が強烈過ぎるが、二人が愛し合っているのであれば問題ないだろう。ダミアンが、タマであるなら尚更、喜ばしい事だ。何の心配もなく、身をひける。
「昔からタマは普通の猫とはどこか違っていたな。こちらの言葉がわかっていたかのように振る舞っていたように思う。よく助けられたものだ。ダミアン、君がタマであるなら安心してアルフレッド殿下を任せられる。いいや、そんな事思う方が図々しいな。どうか二人力を合わせ、この国をより良い方へ導いてくれ。幸せにな――」
若い二人にエールを送るように、背を叩く。何だか、黒く濁って靄がかかっていた心が晴れていくような、そんな清々しい気持ちになっていた。
これで、私の役目は終わった……
「はは……ははは……。そんな事、許せるはずない……」
「――ダミアン?」
「先生が、悪いのですよ。私の気持ちにも気づかない、先生が悪い――」
「えっ!?」
ボフッという音と共に、強烈な痛みが腹部を襲う。薄れゆく意識の中、見上げた先のダミアンの顔は、悲しげな笑みを浮かべていた。
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