第10話
私は無事に大学を卒業し、そのまま東京のメーカーの海外営業部門に就職した。
今日は初の一人での海外出張で、行先はアメリカニューヨークである。
秋も深まり始めた十一月の午前、飛行機はJFK空港に無事着陸した。十時間を越えるフライトのあと、疲労の溜まる身体で入国審査や税関のための長い列に並ぶ。指紋を採られたり荷物を調べられたり、国境をまたぐというのは大変なことだ。
でも、決して嫌いな感覚ではない。この手続きこそが、自分が今から足を踏み入れるのが外の世界であることを教えてくれる。
ターミナルまで出て、空港と都市部を繋ぐエアトレインに乗る。そこから地下鉄を乗り継いで市街地まで出ると、もう昼を大きく回っていた。
機内食の量が多かったし疲れているから、ランチのために店に入るような感じじゃない。でも、全く何も食べないというのも少し不安だ。
何か軽食をと思って見回すと、駅の近くに小さな露店があった。ストリートベンダーというのだろうか、小さなスペースにバナナやらオレンジやらが山盛りにされている。日本人的感覚からすると、高層ビルが立ち並ぶ大都会に八百屋さんがにょっきり生えているような感じで、不思議だった。
私はそれを何だか好ましく思って、ここでフルーツを買おうと思う。さて何にしよう。色とりどりにてかる青果たちに目移りしていると、ふと店員さんの服が視界に入った。ヒスパニック系の移民らしき中年男性がまとうそのパーカーにはでかでかと「I♡NY」の文字がプリントされており、それは林檎のシルエットのロゴに縁どられている。
ああ、そうか。確かニューヨークは別名『ビッグアップル』だったっけ。
私は折角なので林檎を買うことにした。丸々とした林檎はちょうどよく私の胃に収まりそうで、私はちょっといい買い物をした気分になる。その気分のまま、服で適当に林檎を拭い、ニューヨーカーが大都会交響楽を響き渡らせるストリート上でお行儀悪く果実を頬張った。
「……すっぱっ!」
何これ、めちゃくちゃ酸っぱいじゃん!
甘酸っぱい、みたいな生やさしい表現に収まる範囲の酸味じゃない。酸っぱいを通り越してもはや苦いくらいに感じるそれは、素朴な赤色の印象を激しく裏切っていた。
落差に驚いて、でも、その驚きが何だかとても、とても愉快だった。
「ふふ……っ、あはははっ」
込み上げる笑いがニューヨークの青い秋空にほどけていく。
どうして私、アメリカ東海岸の林檎は甘くて優しい味がするって、無条件に思い込んでたんだろう?
私は暴力的に酸っぱい林檎を齧りながら、故郷から遠く離れた異国の地を踏んで前に進んでいく。
数ブロックを渡り終えるころには林檎はすっかり芯だけになってしまった。それを街角のおしゃれなゴミ箱に放り捨てて、私の身体は人混みに紛れていく。
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