アウトランダー

@sudoutsubasa

知らない世界 

「本当に、クソだな……」




主人公は、オフィスのデスクに顔を伏せながらそう呟いた。毎日、終わりの見えないタスクに追われ、上司に謝罪を繰り返す日々。学校を卒業し、平凡にサラリーマンとして働き始めた20代前半。夢や希望はとうに失われ、ただ「生きる」という作業だけが残っていた。




その日も、定時を過ぎてからも終わらない仕事に苛立ちながら、主人公は疲れ切った体で自宅へ向かっていた。虚無感と無力感に苛まれながら、帰る途中に一度コンビニに寄り、エナジードリンクを手に取った。




「これでまた、少しは動けるだろうか」




そう思いつつ、彼は車に乗り込み、エンジンをかけた。しかし、体は限界に達していた。目が重くなり、手足も動かなくなり、ついにはハンドルを握る力すら失った。




そして――激しい衝突音が響き、彼の意識は真っ暗になった。




気がつくと、主人公はどこか無音の世界に漂っていた。目も開けていないのに、周囲が全く見えない。そして、何かが自分に語りかけてくるような感覚に包まれた。




「ここはどこだ!?」




彼は声を出すが、その声は誰にも届かない。しかし、すぐに応答があった。それは冷たく、無機質だが、どこか心地よくもあった。




「お前は、もう死んだ。」




その言葉に、彼は愕然とした。




「死んだ……?俺が?」




世界の声は続ける。




「お前はこの世界での役目を終えた。だが、新しい場所で、新たな役割が待っている。」




「新しい場所……?俺は、そんなもの望んでいない。ただ、もう終わりにしたいんだ……生きる意味なんて、何もない……」




世界の声は一瞬沈黙し、次に冷静な声で語り始めた。




「お前は確かに苦しんでいた。だが、その苦しみは終わる。次に与えられる世界で、再び生きることを選ぶかはお前次第だ。」




「また、同じように生きろってことか?」




「今度の世界では、全ての選択肢が開かれている。お前が自らの意思で望み、力を掴むことができれば、違う人生になるだろう。」




主人公はその言葉に一瞬反応したが、すぐに苛立ちが湧き上がった。




「ふざけるなよ。選べるわけないだろ。結局、また他人に従うだけじゃないか……」




世界の声は再び静かになり、次に言葉を発した時、その声は冷たく切り込むようだった。




「選ばなかったのはお前だ。お前自身が。お前の選択が新しい世界での未来を決める。」




「俺が、選ばなかった……?」




彼は何か言い返そうとしたが、その時、意識が引き裂かれるような感覚に襲われた。そして、次に目を覚ますと、全く違う世界が広がっていた。






目を開けた瞬間、彼は自分がどこにいるのか全く分からなかった。冷たく湿った地面の感触、かすかに感じる木々のざわめき――何もかもが見慣れないものばかりだった。




目の前に広がる景色は、まるで別世界のようだった。彼が横たわっているのは、小高い丘の上。その周囲には緑豊かな森が広がり、遠くには雄大な山脈が連なっていた。清らかな川が音もなく流れ、その水面に太陽の光が反射してまばゆい輝きを放っている。空気は驚くほど澄んでおり、肺に新鮮な息吹が染み込んでいくのが感じられた。




「すごい……」




自然に言葉がこぼれ落ちた。今まで見たこともないような美しい風景――ただその一言しか出てこなかった。風が柔らかく彼の髪を揺らし、耳には鳥のさえずりが遠くから響く。目の前の世界は、まるで一枚の壮大な絵画のようで、彼の心を一瞬で奪い去った。




だが、その感動が次第に冷めると、彼の胸に大きな不安が押し寄せてきた。




「ここは、一体どこなんだ……?」




自分の置かれた状況に、現実感がじわじわと戻ってくる。最後に覚えているのは、過労に疲れ果てて運転していた車での事故の瞬間だった。それがどうして、こんな見知らぬ場所にたどり着いたのか――その理由が全く分からない。もしかして、これは死後の世界か?天国なのか、それとも――異世界なのか?




彼の胸には再び虚無感が広がり始めた。景色の美しさに心を奪われていたが、現実はまだ霧の中だ。この場所がどこで、どうして自分がここにいるのか、その答えは何も見えてこない。




「俺は死んだのか……」




ぼんやりとそう呟いたが、答えは返ってこない。彼はもう一度、目の前に広がる光景に目を向けた。美しい――だが、それは彼の不安を消し去るものではなかった。むしろ、その美しさがこの状況の異様さを強調しているようにすら思える。




「……人はいるのか?……言葉は通じるのか?」




彼の心には次々と疑念が浮かび上がった。もしここが異世界だとしたら、自分が知っている常識は通用しないかもしれない。人がいるかどうかも分からないし、いても言葉が通じる保証はない。この広大な自然の中で、彼は孤立しているような感覚に襲われた。




「いや……まずは動かなければ……」




そう自分に言い聞かせた。今ここで立ち止まっても何も変わらない。遠くに見える街――その存在に彼は希望を見出した。そこに人がいれば、この世界のことが少しでも分かるかもしれない。




彼は視線を遠くに向けた。丘の下方に広がる街並みは、どこか懐かしい雰囲気を感じさせた。遠くの街はまるで、ヨーロッパの観光地を思わせる美しい景観を持っている。レンガ造りの建物が規則正しく並び、道には木々が立ち並んでいた。だが、その街を支配しているのは、一際目を引く巨大な建造物――「塔」だった。




「なんだ、あれは……」




彼の目を奪ったのは、空高くそびえるその塔だった。その存在感は圧倒的で、街全体を見下ろすように立っている。まるで、この世界そのものを象徴しているかのようにそびえる塔は、見たこともないほどの大きさだった。その形状は複雑で、異様な存在感が漂っていた。




塔の謎に目を奪われながらも、彼はまだ街までは距離があることを確認した。時折、吹く風が少し冷たくなってきて、空を見上げると太陽がゆっくりと沈み始めていた。




「日が暮れる前に……街に着かないと……」




自分が今置かれている状況が不明なまま、このまま夜を迎えるのは危険だと感じた。何が待ち受けているのか分からないが、とにかく街にたどり着けば、何か手がかりが得られるはずだ。言葉が通じるのか、そもそも人がいるのかもまだ不明だが、彼に選択肢はなかった。




「とりあえず、行ってみるしかない」




彼は遠くの街を見つめ、ゆっくりと歩き始めた。目指すべき場所が見えていることに少し安心感を覚えながらも、その道中が何を意味するのか――彼にはまだ分からなかった。


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