わくぱちダイヤモンド
桃波灯火
○○の季節、というやつ
ここ数日で急に寒くなってきましたね。
ウチでは朝イチの暖房が解禁され、トイレの台座もヒーターを付ける様になりました。
ベッドの端でたたまれたまま、たまに足で蹴ってぐちゃっとしていた毛布も正式に稼働を始めています。
昼間はまだ暑いので体の感覚が変になりそうですが、何とか机に向かい小説を書いている今日この頃。
○○の季節、という単語をよく耳にします。
この使いまわし、○○の秋と親戚だと私は思っていますが、非常に使い勝手がいい。
テレビのCMや街中はもちろん、ウチでも多用されています。
例えば、"冬は鍋の季節"でしょうか。ウチではここ一週間、既に三回は夕食で鍋を囲んでいます。
他人の家のことなど知りませんから、あまり大きな声では言えません。しかし、約半分が鍋というのは多い気がしてしまいますね。
ではなぜ、ここまで鍋が多いのか。
それはひとえに家長が"冬は鍋の季節"と力説するからです。ちなみに、ここでいう家長は言葉通りの意味ではなく、実質の家長を指します。
毎日毎日夕飯を用意してくれるわけですから、非常に感謝をしているし、それをこの一文で表す自信が小説書きでありながらありません。
しかし、私は家長の言う"冬は鍋の季節"に異を唱えたい。
実は家長、"冬は鍋の季節"を「冬は鍋が美味しいよね、食べたいよね」という意味では使っていないのです。
ではどういう意味かと言うと、「鍋は冬にしか食べないよね」という意味なわけで。
私は一年中、いつ食べても鍋は美味しいと思うし、年がら年中食べたい派です。だが、家長はそうではない。
あと逆バージョンもあって、「冷しゃぶは冷たいから夏にしか食べない」とも言うのですよ。
この主張に私は驚きを隠せないし、飲み下せないです。というか一端咀嚼してみる気も起きないのだから、拒否感は中々のものだと自覚しています。
鍋は美味しい、冬に食べるとなお美味しい。
私は常にそう主張し続け、「今日何食べたい?」と聞かれれば、強い意志を持ち顎を引きながら「鍋がいい」と答え続けます。
ですが今は鍋の季節。ここからは冷しゃぶをウェポンに戦っていく所存です。
――冷しゃぶを食べられた暁にはここでまた書くかもしれません。
それでは、わくぱち。
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