第2話 配達員と煙管の女
「喫茶スカアレツト」は、今日も伽藍洞である。
西方から取り入れた木製のカウンター。奥にはサイフォンが置かれ、いつでもコーヒーを淹れることができる。
カウンター内で白いソーサーを磨いているのは、一人の少年だった。
白いシャツに赤い紐リボン。黒いズボンにサスペンダーを着け、その上から前掛けを着けている。黒い髪に黒い瞳の、まだ少し幼さを残す長身の少年だった。
からんからん、と扉のベルが鳴った。来客かと思い少年が顔を上げると、そこには赤髪の小柄な配達員がいた。
「……この店も閑古鳥が鳴いてる」
「何か言いました?」
顔なじみの配達員。名前は知らないが、赤い髪に鼠色の瞳という姿は少年の記憶に強く残っている。
「先生にお届け物ですよね。どうぞ、こちらに」
「渡すだけだし、ボクはこれで失礼するよ」
「いや。先生があなたにお話しがあるそうです」
彼女が? と、配達員は首を傾げた。
「喫茶スカアレツト」に配達に行ったのだが、なぜか二階の事務所の方へと通された。
二階の外観は東雲造りのものだったが、内装は板張りの床に薄桃色の花が描かれた壁紙という西方様式のものだった。
天井から釣り下がっているのはガラス製の装飾が施された電灯。窓際に置かれた花瓶も西方から取り寄せたものだろう。
案内の少年が扉を開けて、千歳は部屋の中に入った。
両側に背の高い本棚が並び解放的な窓ガラスを背に、一つの人影が立っていた。
「この世は謎で満ちている。だが――恐れることは何もない。それは、これから明かされる真実がそこにあるということだからだ」
窓際で
黒い髪をまとめその上から茶色の帽子を被り、同じ色のケープを纏ってる。
身長は高めで、小柄な千歳より頭一つ半ほど大きい。
「久しいな、千歳。ようこそ私の城へ」
女は両手を広げて千歳に挨拶した。
彼女――四条・シェリー・楓は江都の街で「代行調査」等の仕事をしている。
下の喫茶店にいたのは助手の青坂
楓という名が果たして本名なのかも、嗣好とどこで出会ったのかも、千歳は何も知らない。
「胡乱な外観なのは知ってたけど、入るのは初めてだ」
帽子を脱ぎ、部屋の中を見渡す。応接用のソファとローテーブルに、異国から輸入したと思しき絨毯。楓が立っている窓際には机が置かれている。
「さぁ座り給え。嗣好、お茶の準備をしてやれ」
「はいはい」
助手の嗣好が二つ返事を返して部屋を出た。
楓に促されるままに、千歳は応接用のソファに腰を下ろす。
「何の用かな。ボク仕事中だから、茶飲み話には付き合えないけど」
「君になら答えにたどり着くための手がかりを得られそうだと思ってね」
楓が歩み寄る。千歳は、彼女のその服装に思わず眉をひそめた。
腰から膝上一寸ほどまでの長さの布を履いている。おかげで彼女の素足が丸だしだ。
――合衆国から取り寄せた服さ。今は奇抜に思われるかもしれないが、将来はこのくらいの長さがスタンダードになるはずだ。
初めて楓に会った日、その恰好を見た千歳に楓はそう言った。
足を露出させた格好は往来を歩くにふさわしい服装とは言えない。
しかしまぁ――彼女がそれを着たいというのなら千歳に何か物を言う筋合いはないのであった。
「これを見てほしい」
そう言って楓がテーブルに差し出したのは一枚の写真だ。
西方から流入してきた技術の一つ。中々お目にかかれないこの技術の結晶に、千歳は首を傾げながら視線を落とした。
そこに写っているのは、人の形をした何か。頭のようなものがあって、手足のようなものが四本生えている。だがその形は歪で、腕はおかしな方向へ曲がり、本来正面を向いているべき頭は背中を向いている。着物の腹部は染まり、襟の端から
「なんだこれは。鬼にでも襲われたのか?」
「はてさて、どうだろうな。それを見て何か思ったことがあれば語ってほしい」
千歳は写真に顔を近づけた。
写真の中の人物は恐らく男。それも、若くて恰幅の良い。
「腕がおかしな方向に曲がっている。何か物で殴られた――にしては患部が綺麗だな。殴打されたことによる痣もない。ならば素手で誰かにへし折られた? この相撲取りみたいな恰幅の男が?」
「木の幹みたいに太いこの男の腕を折ったのは誰だと思う? 見回りたちも、何がなんだかといった様子でな」
ソファで足を組み、パイプを吸いながら楓が言う。
「それにこの腹も変だ。出血しているが、服の上から刺された様子もない。腸が零れているくらいだ。相当深い傷だったろう。それなのに、一度腹を裂いてからまた服を着せたのか?」
謎の多い男の死体。楓は一体、自分に何を聞きたいのだろうか。
「……思ったところは以上だ。おかしな死体だという以上、何もわからない」
「ふぅむ」楓が足を組みなおす。「本当にそれ以上のことは何もわからないか?」
「なんだ?」
「私が、君に聞いているんだ。助手でもお回りでもなく、千歳、君に、だ」
パイプを持った手で千歳を指す。楓の言葉の意味を理解した千歳は、「あぁ」と歎息した。
「これはこの世の理から外れた出来事だ、と、そう言いたいんだな」
「ご明察。君はそう言ったものの専門家だろう? なにせ君は――」
「あぁ、言いたいことはわかった」
そう言って、千歳は写真を持ち上げた。
「『桃源郷』というものがある。そこに実ったとある果実を口にすれば、その者は仙族になることができる――が、欲深い者、過去に罪を犯しそれを省みぬ者は、それを口にすると仙族になれない。それどころか腹を内側から食い破られて死ぬ。この男の様に」
「なるほど。この男は桃源郷の果実を口にし、自ら犯した罪のせいで腹を裂かれて死んだ、というのが真相か」
両手を広げて笑いながら朗らかに楓は言った。――が、一方の千歳は苦い顔だ。
「そうだ。だがそれは、江都に桃源郷の実があれば、の話だ」
桃源郷から植物や果実を持ち出すことはできない。一度人界に持って行けば朽ち果ててしまうのだから。
「だから、人の手によってこの男は殺された。それが真相だ」
千歳が淡々とそう告げるのと、助手の嗣好が戻って来るのは同時だった。
盆に布を被せたポットと二人分のティーセット、お茶請けの西方菓子が乗った皿を乗せて部屋に入って来た。
「お待たせしました」
「ふむ、ご苦労だったな助手」
自分の上司からの労いを尻目に、嗣好はポットからカップに茶を注ぐ。
「で、何だ。君はこの死体の真相は、人の手によってもたらされたものだ、と言いたいのだな?」
「そうだ。アンタもそう思わないのか?」
千歳の言葉に、楓は腕を組んで「ふっふっふ……」と笑った。
「私はなぁ、千歳。この事件、やはり人知の及ばぬ力が働いていると思われる」
「なぜだ?」
「簡単なことだ!」楓は勢いよく立ち上がる。「この死体は人の手によって行われたにしては不自然な点が多すぎる! 内側から食い破られた腹、殴打された痕跡のない腕、ねじ曲がった首!」
びしっ、とパイプを写真に突きつけ、楓は高らかに続けた。
「あり得ない事象を取り除き、そこに残ったものこそ真実だ! 例えそれが、人知の及ばぬ事象であったとしても、だ!」
ことん、と、嗣好がソーサーを二人の前に置く音が部屋に響く。
「先生、あんまりはしゃがないでください。埃が立ちます」
「おいこら助手! 私がこの決め台詞を言ったらそばで決めポーズをやれと散々言っているだろう!」
「やるわけないじゃないですか、いい年こいて恥ずかしい」
盆を持ち上げて、嗣好は部屋の隅に控えた。
「むぅ。やる気のない助手だなぁ」
むくれながらソファに座り背もたれに手を回して足を組むと、ティーカップをがしっと掴んで一気に飲んだ。作法も礼儀もあったもんじゃない。
というか熱くないのか。色々と疑問に思いながらも千歳はゆっくりと茶を飲む。
「茶を飲んだらボクは失礼するよ。まだ仕事が残っているからね」
ソーサーにカップを置きながら千歳は呟く。
「というか、何だ君のその理屈は。人の手でやったにしては不可解すぎるから人知の及ばない力が働いた? だったらそれもおかしい。桃源郷の果実は桃源郷の外には持ち出せないんだから」
「なら――果実や植物以外でなら?」
指を組んだ楓が、前のめりに尋ねる。
「桃源郷に住まう仙族なら、人界に下りても朽ちることはない。そうだろう?」
「……それがなんだ」
「この男が口にしたのは、桃源郷の果実ではなく仙族の肉だとしたら?」
突拍子もない一言。だが、千歳は疑うことなく楓の言葉に耳を傾ける。
「君の同僚が一人行方不明になっていることは私も聞き及んでいる。――行方不明になったのは、君と同じ『特殊武装配達員』だろう?」
「……耳が早いな。そうだ。特殊武装配達員――幕府の重要な荷物や書簡を運ぶための特別な力を持った配達員のうち一人が行方不明になってる。アレはボクと同じ、桃源郷から流れてきた仙族の者だ」
真っ直ぐに、楓の目を見て千歳は話した。
「確かに仙族の肉を食った人間は稀にいる。仙族の肉を食えば不老不死になれる、とかのたまう輩がいるものだから、その文句に釣られてやって来た奴らの顔は、幾度となく拝んで来たよ。でも、不老不死を求める時点で落第だ。強欲でしかない。……とは言ったけど、仙族の肉に不老不死の効果なんてないんだけどなぁ」
「じゃ、手頃な仙族を攫って不老不死の秘訣を聞き出す、とかそんなところだろうか?」
「聞き出したところで人間には不可能だよ。欲深い人間が実行したところで肉体が持たない。この男みたいにね」
そう言って千歳は写真に目を落とす。
カップに残った紅茶を飲み干すと、千歳は席を立った。
「ボクの意見は参考になったかな」
「もちろんだとも。いい茶飲み時間だった。感謝するよ」
さ、配達員さんを外まで見送り給え、と楓は嗣好に促し、千歳は部屋を後にした。
四条・シェリー・楓、行方不明の報が届いたのは、その一か月後のことであった。
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