第15話 物語改変と命の選択(1)

「シーザー、シーザー! 私、どうしたらいいの……!」


 聖女アンの嗚咽おえつような呼び声で、シーザーは意識を呼び戻された。あの巨大な図書館の〈物語精霊界〉に居たのは、彼の意識だけ、しかもほんの一瞬の出来事だったようだ。


 状況はあの時から何一つ変わってはいなかった。

 女騎士ジャンヌは戦いの中で受けた傷でアンデッド化しかけていた。最も酷い状態なのはブラウンで、片腕が切り落とされ瀕死、すぐにでもアンデッドになりそうな状態だ。アンは能力をほとんど使いきっており、もし「祝福」の力でジャンヌかブラウンのどちらかを救おうとすれば、アン自身も「呪い」のせいでアンデッドと化してしまうだろう。


 もはや誰かが犠牲になるのは必然のはずだった。

 だがシーザーは仲間に向かって声を上げた。作者や運命にあらがってでも、皆を救うのだと誓う。


「いいかい、今から言うことを黙って聴いてくれ。全員が助かる方法がたった一つだけある」


「本当なの!? それなら早く――」


 解決策が見つかったことに喜びいさむアンをさえぎり、シーザーは絞り出すように先を続ける。


「ただその方法は犠牲をともなう辛いものだ……。

 特にアンとジャンヌには、激しい苦痛がともなう命懸けの行為なんだ。すまない、僕にはそれ以外の方法は見つけられなかったんだ。どうか、僕に命を預けてくれないか」


「わかったわ、はなからあんたに命も何もかも賭けてるわよ!」


 うなずくアンたちに対し、彼は苦しそうに伝える。


「ジャンヌ、アンを斬り倒してくれ……」


「はああああ? あんた頭おかしくなったの?」


 突然のシーザーの発言に、おののくアン。だがシーザーは冗談などではないことを真剣に伝える。

 ジャンヌは倒した相手の「祝福と呪い」を引き継ぐ力を持っている。ジャンヌにアンの「生者と死者」の力を引き継がせるのだと。

 ただし、能力を引き継ぐためには相手を倒す必要がある。かつてジャンヌが父から能力を引き継いだときは、父親を半死半生の目に合わせる必要があったとのことだった。


「今回どこまでやれば能力を引き継げるのかわからない。けれどこれ以外方法がないんだ。アン、君にしかお願いできないことなんだ」


 シーザーは懇願するように彼女の手を強く握りしめた。

 こんな状況だというのに、アンは自分の頬が火照ほてりみるみる赤面していくのがわかった。仮面を被っていなければ、シーザーにもばれてしまっていたかもしれない。アンは骸骨姿の顔を隠すための仮面をつけていて、初めてよかったと思ったのだった。


「わかったわよ、いいわ、やってちょうだい!」


 そう言ってアンは腹を括ると、ジャンヌの剣先を肩に押し当てて彼女に促した。ジャンヌの方は既に覚悟が決まっていたようだ。

 「すまない」と一言謝ると、アンの肩口を剣で切り裂いていく。ずぶずぶと切っ先が肉をえぐるたびに、傷口に激痛が走るが、アンは歯を食いしばり、シーザーの手をぎゅうと握り締めながら耐えた。


 剣先がついに貫通すると、血が噴水のように噴き出し、さすがにアンもうめき声を漏らした。


「これ以上は危険だ」


「大丈夫、大丈夫だから……。私には治す力しかない。その私が逃げたらお終いなのよ……」


 ジャンヌの言葉を振り払うように、アンはさらに決意を伝える。そのアンを信じてジャンヌは再び刃でえぐり始めた。

 絶叫とともにアンの意識が飛びそうになり、吹き出る血がアンの上半身の衣服を真っ赤に染め上げるころ、ようやくジャンヌの身体に『祝福と呪い』の魔力が流れ込んでくるのがわかった。


「もう少しだ、もう少しの辛抱だ」


 剣先が輝き始めると、その光が徐々に伝わり、ジャンヌ自体の身体も大きく輝き始め、バシュンという弾けるような音とともに魔力のオーラがジャンヌに吸収される。


「やったぞ、アンの力を引き継いだ!」


 祈るようにずっとアンの手を握り締めていたシーザーは、横たわる彼女を強く抱きしめた。


「すまない、こんな役を君にさせてしまって……」


「そんな風に思っているなら、今度社交界で淑女レディとしてエスコートしてほしいものね……」


 本当なら失神していてもおかしくない激痛だが、アンはすぐさま「祝福」の力を使ってその傷を治していく。

 その横で、ジャンヌは己の鋼の意思をシーザーに伝えていた。


「今引き継いだアンの力を使えば、ブラウンをアンデッド化から救うことができる。どうせ私はアンデッドになりかけている。死ぬのはひとりで充分だ」


 アンの力は、祝福の治療を使えば使うほど、呪いでアンデッド化してしまうというもの。だとすれば、残りのジャンヌの魔力を使ってブラウンだけを助けることは容易だろう。


 しかし本当ならもう一つの選択肢もある。

 今引き継いだ力を使って、ジャンヌのアンデッド化を治して彼女だけが生き残り、ブラウンを見捨てる方法だってあるはずなのだが――この女騎士にはそんな不名誉な選択肢は初めから存在していないようだった。

 だけれど、彼女一人に自己犠牲の悲しい選択肢を背負わせるわけにはいかない。


「いや、ジャンヌ一人死なせるわけにはいかない。誰も死なずに、ここからさらにブラウンを救う方法があるんだ」


 ここから先は、ハッピーエンダーのロックがくれた「物語改変」の展開だ。その方法は決して楽な選択肢ではない。

 シーザーはかたわらに落ちていた、獄炎姫が使っていた魔剣「祝福殺し」を手にすると、ジャンヌに渡した。


「この魔剣は斬った相手の「祝福か呪い」を一時的に消し去る力を持っている。この剣でジャンヌ自ら斬りつけることによって、引き継いだアンの呪いを消し去るんだ。そうすれば、アンの呪いに邪魔されることなく、ジャンヌとブラウン両方のアンデッド化を防いで治癒することができるはずだ。

 ただしこれは危険な賭けだ。けれどこの賭けに勝つしか全員が助かる道はないんだ」


 口で言うのは容易たやすいが、それがいかに苦痛を伴うものかシーザーにはよくわかっていた。自らに剣を刺し、苦痛の中で自らの強い「呪い」の力を殺していく、極限の精神の戦いなのだ。

 だがジャンヌは魔剣を受け取ると、迷わず自らの腹に切っ先を定めた。


「シーザー、私はあなたに感謝している。全員助かる方法を見つけてくれたことに。その想いに答えさせてくれ」


 彼女は決意を固めると、一気に腹部に魔剣を突き刺す。叫び声を上げそうになるのを必死でこらえつつも、彼女はその手を止めなかった。血反吐を巻き散らしながら、一度、二度、三度と腹部を刺し続けると、ついに彼女の魂の中で呪いの力が消え失せていくのがわかった。

 もはや気力だけで立っているのがやっとの状態で、彼女は呪いが消えたことをシーザーたちに告げると、ブラウンと自らのアンデッド化を治療する。その力を使い果たすころには、前のめりに倒れて意識を失うのだった。

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