第6話 『剣姫』のラスト

 物語世界に戻ったカリヴァスは、折れた魔剣ヴァルキュリアと共に、ある場所へ向かった。ここから先は元々の作者の筋書きには無い、ロックの描いた『物語改変』である。

 ロックの言っていたとおり、一度描かれてしまった展開は改変できない。しかし――ここから先の展開は、物語のキャラクターが作り出すことができるはずだ。カリヴァスはそれに賭けた。


 彼が辿たどり着いたのは、苦悩の平原を越えた絶望の城――ヴァルキュリアが契約した地獄の魔女の住処だった。

 曇天どんてんの下、鈍色にびいろの光に照らされ不気味に浮かび上がる古城には一切いっさいの生気がなく、静寂は死を匂わせた。

 外壁には手入れのされていない蔦がそこかしこに絡まっている。


 カリヴァスが城の中庭に入ると、突如煙の渦が巻きあがる。暴風が吹き荒れ、見る見るうちに霧と雲とが混じり合うと、それは一つの巨大な姿をかたどっていく。

 まるで初めからカリヴァスが来ることがわかっていたかのように、フードを被った巨大な姿の老魔女が現れたのだった。


「お前たちの戦いは見させてもらっていた。その魔剣は願いを叶えることができなかったんだ。いまさらいったい何の用だい」


 カリヴァスは声を張り上げ、訴える。


「今度は俺からの願いだ。ヴァルキュリアを……彼女を人間として生き返らせてくれ!」


 魔女は目の前の戦士カリヴァスを、値踏みするようにねめつける。

 たかが竜一匹倒しただけでぼろぼろの姿となっている、ちっぽけな未熟な戦士。魔女は、果たしてこの男が契約をするに相応しいかどうかを見極めているようだった。


「……いいだろう、ただしわしの出す条件をのむことができるのならね……」


 カリヴァスは不安を振り払うようにうなずいた。今更逃げるつもりはない。そして魔女は続ける。


「百匹――

わしの元に百匹の竜の首を持ってくることができれば、その剣を人間にしてやろう。お前の剣は命さえけてお前のことを救った。果たしてそれと同じことがお前にできるかな」


「百匹……⁉」


 カリヴァスは戸惑っていた。一匹の竜を倒すのさえ、ヴァルキュリアの力を借りてすら、半死半生の辛勝しんしょうだったのだ。自分一人の力だけで百匹の竜を倒すなど、絶対に不可能、成し遂げられるはずがなかった。


 だが――

 カリヴァスはぼろぼろに壊れかけた魔剣ヴァルキュリアを見つめ、握りしめる。

 これはロックが改変してくれた最後のチャンスだ。彼も言っていたではないか。「決定した過去は改変することはできないが、これから先の選択はお前さん次第だ」と。

 ――俺は自分自身の過ちを、過去を乗り越えるためにここに来たんじゃないのか? 本当に大切なものを取り戻すために戦うんじゃなかったのか? ヴァルキュリアが挑んだことから俺自身が逃げてどうするんだ。

 そう決意を固めると、彼は叫んだ。


「望むところだ! 俺は『竜殺しの英雄ドラゴンスレイヤー』だ。命に替えても必ずヴァルキュリアを人間にしてみせる!」


 カリヴァスの決意を聞いた魔女は、静かに誰にも聞こえない声で呟いた。


「その言葉が聞きたかった――」と。


 『剣姫つるぎひめ』の物語はここで幕を下ろす。

 そこから先、カリヴァスが本当に竜を倒せるかどうかはわからないが、きっと彼は本当の愛を取り戻せるに違いない――


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 〈物語の精霊〉であるロックとサロメも、改変された物語の結末を見届けていた。


「羨ましいわね。百匹の竜の首、そんな限りなく不可能に近い条件に立ち向かえるあの戦士の勇気が……。誰かさんとは違ってね」


 そう憎まれ口を叩きつつも、サロメはいつもと違いロックを真剣に見つめると、謝った。


「ごめんなさいね。いくら『物語改変』させるためとはいえ、あなたの古傷をえぐるような真似をして……」


 いや、謝るのは俺の方さ――と素直に言えていたら楽なのかもしれないが、ロックは目線をそらし、肩をすくめて軽口を叩いた。


「まったくだ。俺は弱い男さ。自らは戦えない。他人の物語に首を突っ込み、あれこれゴチャゴチャ言うくらいしか取り柄のない奴さ」


 そんなことはないわ――そう返答しようとしたサロメだが、しかし自らの身体に起こった異変に気づく。


「見て、ロック……本の数字が……」


 サロメに促され、彼女の表紙を見ると、マイナス100と表示されていたはずの数字が、今ではマイナス99に書き換わっていた。


「まさか本当に数字が減ることがあるとは……」


 ロックは驚くとともに、かつてサロメが本にされた際に『物語精霊界の裁定者』が語った話を思い出していた。

 大罪人のロックたちに処罰を下した裁定者――『黒い本』を携え全身黒ずくめのスーツを着た、氷の彫刻のような女裁定者は、冷酷に告げたのだ。


「お前たちが作者や読者、登場人物たち全員が称賛する『物語改変』を行えれば、サロメのその数字は減っていき、ゼロに到達した際には人間の姿に戻ることができるだろう。

 だが未だかつてそれを成し遂げた咎人とがびとはいない。全員が納得する『物語改変』など不可能だからだ。まぁ精々無駄な努力をしてみればよかろうよ。お前のような「脚本砕きシナリオブレイカー」の罪人には、土台無理な話だとは思うがな」


 人間の姿に戻れる可能性がある――その言葉がまさか真実だったとは。だが、だとすれば、その限りなくゼロに近い可能性に挑まないわけにはいかないだろう。けれどそれが自分のような逃げ続けてきた者にできることなのだろうか。

 カリヴァスは百匹の竜退治の条件に挑んだ。だがロックは残り99の条件を自分が達成できるとは思えなかったのだ。


 ロックの逡巡を察したサロメが、気を遣うように声をかける。


「気にしないでよくてよ。私の願いは前にも言った通り。あなたの能力を誰かに誉められるために使ってほしいわけじゃない。あなたが正しいと信じたとき、あなたの心が震えたときに使ってほしいだけ。

 それであれば、私は一生このままの姿でも、表紙の数字がいくらマイナスになって消え去ろうともかまわないのよ。

 私、こう見えて弱い女でなくてよ」


 だが、そう呟くサロメがほんの少しだけ震えていることにロックは気づいていた。


「すまない、さっき悪女と言ったのは取り消させてくれ。だって嘘が下手だものな――」


 ロックは力なく苦笑した。

 過去の運命はどんなに嘆いても変えられない。だがこれから先の未来は自らの手で変えていくことができるはずだ。カリヴァスが百匹の竜に挑もうと決めたように、例えどんなに不可能な道だとしても自分も挑まなければなるまい。

 それがせめてもの救えなかった者へのつぐないなのだと、そうロックは想うのだった。

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