料理の変人

鷹山トシキ

第1話 千年前の都

 梨花は、2024年の現代東京でパティシエとして忙しい日々を送っていた。彼女は仕事に情熱を燃やし、スイーツコンテストで何度も優勝している実力者だった。秋のある日、梨花は新しいケーキのアイデアを閃き、夜遅くまで厨房にこもっていた。しかし、深夜を過ぎた頃、突然意識が遠のき、目の前が暗くなった。


 目を覚ますと、梨花は見知らぬ場所にいた。周囲は木々に囲まれ、聞き慣れない鳥の声が響いていた。彼女は驚きと不安で胸が高鳴り、自分がどこにいるのか理解できなかった。服装もいつものパティシエの白いコートから、古めかしい和装に変わっていた。


「ここは…どこ?」梨花はそう呟きながら立ち上がり、周囲を見渡した。すると、遠くからかすかに人の気配がする。ふらふらと歩き出した彼女は、小さな集落のような場所にたどり着いた。


 そこで梨花は、若菜という美しい女性に出会った。若菜は優雅な振る舞いをしながら、梨花を不思議そうに見つめていた。彼女の着物は繊細な刺繍が施されており、梨花がこれまで見たこともないほど華やかなものであった。


「あなた、見慣れない姿をしているわね。どこから来たの?」若菜は穏やかに問いかけた。


 梨花は混乱しながらも、自分がどうやら過去の時代に来てしまったことに気づき始めた。「私は、未来から来たのかもしれません…2024年の東京という場所から。私はパティシエで…」


 若菜は驚いた様子を見せたが、すぐに落ち着いた表情を浮かべた。「未来の話とは信じがたいけれど…不思議な縁があるのかもしれないわ。私は若菜、京の都で少しは名の知れた者です。」


 若菜の優しい言葉に、梨花は少し安心した。だが同時に、どうやってこの時代から元の世界に戻れるのか、そしてこの場所で自分はどう過ごせばいいのか、不安は募るばかりだった。


「もしあなたが未来から来たのなら、きっと何か理由があるのよ」と若菜は続けた。「私の家に来なさい。もてなすわ。きっとあなたにできることが、この時代にもあるはずよ」


 梨花は若菜の家へと招かれ、京の生活を少しずつ学び始めた。そして、彼女のパティシエとしての技術が、この時代でも役に立つことを知るのは、そう遠くなかった。若菜の助けを借りて、梨花は平安時代で新たな人生を築きながら、元の時代に戻る方法を模索していくのだった。



 梨花は、若菜の屋敷に匿われつつも、平安時代の生活に少しずつ慣れていった。とはいえ、突然巻き込まれたこの世界での暮らしは、まるで夢のように非現実的だった。朝は早く起き、若菜と共に宮中の儀式に参加し、日中は貴族たちの噂話や政治的な駆け引きに耳を傾ける。その中で、梨花の目を引く一人の侍がいた。


 彼の名は右京。若菜の夫である高貴な貴族の護衛として仕える彼は、立派な鎧に身を包み、武士としての凛々しい姿が目立っていた。彼の姿を見るたびに梨花の胸は高鳴り、その瞳の奥には、平安の時代にありながらも何か現代と通じる鋭い知性が感じられた。


 ある日、梨花は右京とふとしたきっかけで話す機会を得る。彼は物静かながらも、言葉に力があり、梨花は彼の誠実さに強く惹かれた。梨花が現代の話を慎重に持ち出した際、右京は少しの間黙り込んだ後、静かに口を開いた。


「お主が言うその未来の世界…信じがたい話だが、なぜか私はお主の言葉に嘘を感じぬ。人は時代を超えても、心の中にあるものは変わらぬのかもしれぬな」


 その夜から、二人は度々話すようになった。右京は梨花に、この時代の戦乱や宮中の権力争いについて教え、梨花は右京に現代の世界の話や、平和な未来への夢を語った。次第に、彼女は右京に対して特別な感情を抱くようになっていた。


 ある晩、右京が若菜の夫の命を守るために宮中へ向かうことになった。梨花は彼の無事を祈りつつ、屋敷で彼の帰りを待っていた。しかし、その夜、屋敷に忍び込んだ刺客が梨花を襲った。若菜を狙う敵であり、彼女を人質に取ろうとしたのだ。


 

 危機一髪の瞬間、右京が駆けつけた。刀を抜き、刺客を見事に撃退した彼の姿は、梨花にとってまるで英雄のように映った。彼が無事であることに安堵し、梨花は思わず彼の胸に飛び込んだ。


「右京…無事で、本当に良かった…」梨花は震える声で言った。


 右京も梨花をしっかりと抱きしめ返し、低く静かな声で答えた。「お主を守るために、私は何度でも剣を取る。たとえこの時代がどうなろうとも、お主の笑顔を失わせはせぬ」


 その瞬間、二人の間にある感情がはっきりと形になった。梨花は自分が平安時代の人間ではなく、未来から来た異邦人であることを忘れ、右京との絆を深めていく。しかし、彼女の心には、いつか元の時代に戻るべき運命があることが影のように付きまとっていた。


 夜が明け、梨花は右京との時間を思い返しながら、現実に引き戻される。「この時代で幸せを見つけたとしても、いつか戻らなければならないのではないか…?」その疑問が彼女の胸を締め付ける。


 だが、今はただ、右京との穏やかな時間を噛みしめることにした。梨花は未来のことを少し脇に置き、この時代で彼と共に過ごす日々を大切にすることを決意するのだった。



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