第3話 催眠術③

「ソフィアに、特定の相手の命令に何でも従う催眠術をかけたの。今は私が命令して、目を瞑って座っている状態にしているわ」

「……はっ? さいみん、じゅつ?」

「催眠術中のソフィアは自分の意思で行動できるけど、特定の相手が手を叩けば、命令に何でも従う状態になるわ。そして命令されている間の記憶は、催眠術が解けた後も残らないの。あ、命令を終わらせたい時は、言葉の後に手を叩いてね」

「ちょ、ちょっと待て! 話が全然見えな……」

「ちなみに催眠術の効果は、夜の十刻頃に切れるわ。はい、これ懐中時計ね。時間を確認するときに使って? ってことでお兄」

「お前、俺の話をちゃんと聞いて――」

「命令を聞く特定の相手っていうのを、私とお兄にしてるから後はよろしくー。ちなみに夜の十刻までは解けないから、私に文句言いに来ても無駄だからねー」

「おいっ、メー――」


 妹の名を呼び終わる前に、ドアが開き、閉まる音がした。恐らく、メーナが部屋から出ていったのだろう。


 まるで嵐が通り過ぎたような一幕だった。


 部屋には、催眠術にかかったフリをするソフィアと、小さく、クッソ……と呟くオーバルが残された。


(ど、どうしよう……)


 ソフィアの心臓が、これ以上ないほど早鐘を打っている。


 オーバルはソフィアの身を案じ、仕事を放り出してまで戻ってきた。今更、実は催眠術にかかったフリをしていました、などとネタばらし出来るわけがない。

 

 メーナが何を思って、オーバルを城に連れ戻したのかは分からない。だが、ソフィアが催眠術にかかったフリをしなければ、オーバルがメーナを注意して終わっていた話なのだ。


 それをさらにややこしくしたのは、ソフィア。


 自分が犯したの失態で震えそうになる手に力を込めた。背中には冷たい冷や汗が噴き出ている。


(だけど……オーバル様とメーナに謝罪しなければ……)


 二人からの信頼は落ちるだろう。

 メーナは騙されたと落ち込み、オーバルからは侯爵夫人失格という烙印が押されるかもしれない。


 だが傷は浅い方がいい。


 意を決し、口を開こうとしたその時、


「ソフィア、目を開けてくれ」


 オーバルの命令に、思わずソフィアは目を開いた。さも命令通りに動いたようなソフィアの行動に夫から、


「え、まさか……本当に催眠術が効いて? いや、でも……」


という戸惑いの声が洩れる。オーバルから肩が軽く揺すられたが、ソフィアは反射的に身を固くしてされるがままになった。


 少しの間、妻の体を揺すっていた夫だったが手を離すと、しばしの沈黙の後、躊躇いがちに口を開いた。


「ソフィア、俺の方を見てくれ」


 ソフィアは命令に従った。

 椅子に座ったまま夫の顔を見上げると、彼の唇から驚きと歓声に近い呟きが洩れた。が、すぐに一つ咳払いをするとまるで取り繕うように、


「まさか本当に催眠術を成功させるとは……それにしてもメーナの奴め……なんという厄介な術をソフィアにかけたんだ。彼女にだけは、迷惑をかけるなとあれほど言っていたのに……」


と、ソフィアが命令通りに動いて歓声をあげた唇を、さも迷惑だと言わんばかりに歪めながら妹を批難すると、メーナから渡された懐中時計に視線を落とした。

 

「確か、夜の十刻になれば催眠術が解けるって言ってたな。俺が何も命令しなければ、自分の意思で行動すると言っていたし、まあ実害はないんだろうが……」


 後半の声色を少し明るくしながら、オーバルが懐中時計を懐にしまった。これ以上何もしない様子の彼を見て、光明を見いだす。


 命令さえされなければ、自分の意思で行動できる設定なのだ。十刻など、色々していればあっという間に過ぎる時間。オーバルがソフィアを放置してくれれば何も問題はない。


 結果的に、メーナとオーバルを騙す形になるのが心苦しいが、これが一番平和的解決なのだ。


(そもそも、オーバル様が催眠術を使って、私に命令するようなことはないだろうし……)


 ソフィアに何かして欲しいことがあるなら、普通に頼めばいい。

 メーナが何を思ってこの条件で催眠術をかけたのか、真意が分からないと心の中で首を傾げた時だった。


(えっ?)


 目の前の光景に、思考が止まった。

 何故なら、オーバルがソフィアの前で跪いたからだ。


 ソフィアが大好きな彼の手が、この手を取る。


 意を決したようにソフィアを真っ直ぐ見据えながら紡ぎ出された低い声は、いつも聞いている淡々としたものではなく、緊張と不安、少しの興奮で震えているように思えた。


「ソフィア。俺を『愛している』と言ってくれ」


 ――もし、侯爵夫人としての役割ではなく、自分自身を求めてくれることがあれば、その時どんな気持ちになるのだろうか。


 メーナとの会話でふと思い、そんな日は来ないと考えるのを止めた事態が、今、目の前で起こった。


 その時、ソフィアの頭に湧き上がったのは、


(????)


 数え切れない程の疑問符だった。

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