留守

信様達を見送ってからしばらく経った。もう日が暮れようとしている。

今日一日何も手に付かなかった。変にそわそわしっぱなしで妖の子達を心配をかけてしまった。

信様が玲奈の元へ向かう前夜に彼は約束してくれた。絶対に彼女に惑わされたりしない。必ず私の元に帰ってくると。

とても強く安心させてくれる言葉をかけてくれた信さまはその証として私にそっと口付けをしてくれた。

私はその時の感触を何度も思い出しては唇に触れてしまう。

早く彼に会いたい。その気持ちばかり募る一日。

少しでもその気持ちを和らげようと、家事をするもどこか上の空。

実家にいた頃には感じることのなかった感情に私は戸惑っていた。

いつ帰って来るか分からなかったけれど、信様の大好物で美味しいと言ってくれた甘い卵焼きを作ることにした。

もしかしたら玲奈達が出した料理の方が美味かったと言われてしまうかもしれないと不安になる。でも、あの人は。


(そんなこと言う人ではないわ)


そう考えてしまう。

私は、信様から貰った海の宝石の磨り硝子の桜を懐から取り出し見つめる。彼が去り際に言っていた約束を思い出す。


『陽子に見せたいものが沢山あるんだ。帰ってきたら行こう。二人だけで』


二人だけのお出かけなんて初めてだ。和正とは何度かあったが、玲奈とお継母様達からの妨害と巫女の務めが忙しかったのもあって数えられる程度だ。

とても楽しみだし、なんだか少しドキドキする。

けど、信様が和正の様に彼女に魅入られてしまったらその約束は叶わなくなる。

玲奈に魅入られた後の和正は人が変わったように私に冷たく当たるようになった。

お母様を亡くして泣いていた幼かった私を優しく慰めてくれた幼馴染はもういない。残ったのは暴言と暴力も厭わない冷たい男だけ。

もし、信様が彼と同じ様な道を歩んでしまったらあの凍てつく様に冷たい目を私に向けられるのかと思うと怖かった。


(信様に限ってそんな…でも分からない。和正がそうだったから…)


紅葉くんとつららちゃんも一緒だから大丈夫。あの子達なら引き止めてくれる気がする。だから大丈夫だと不安がる自分に無理やり言い聞かせる。

信様の言葉と私への口付けも後押ししてくれている。

今は彼等が帰ってくるのを待っていよう。

まだ上の空気味の私は卵焼きを作り始める。焦がしてしまわない様にちゃんとしなければ。

はぁっと小さくため息を吐きながら卵を割ろうとした時だった。


「陽子様!!ご主人様達が帰って来ました!!」

「え…」


卵を割ろうとする手を止め、私は慌てて玄関の方へ向かう。

こんなにそわそわする気持ちで廊下を渡るなんて初めてだ。

早く彼に会いたい。愛する旦那様に会いたいという気持ちが先走る。

玄関に着き、勢いよく玄関の戸を開けた途端、強い風が私に打ち付ける。目を瞑り、手で風邪を遮るとふと私の名を呼ぶ優しい声が耳に入ってきた。


「陽子」


私はゆっくりと目を開け、手を下げると、目の前を見ると声の正体が目の前にいた。

ずっと、ずっと、会いたくて仕方がなかった人。

長い銀髪を靡かさせた龍神様は約束通り私の元に帰って来たのだ。


「信様…!!!」


私は下駄も何も履かずに彼の元へ駆けよる。涙が溢れているのに拭うこともせず彼の胸に飛び込んだ。

抱きついてきた私を信様は力強く抱きしめてくれた。


「ただいま。陽子」

「おかえりなさい…!!」

「ちゃんと約束通り陽子の元に帰ってきただろう?」

「はい……はい…!!」


そっと信様の背中を抱きしめる腕の力を込める。本当に彼は私の元に帰ってきたのだと実感した。

そして、あの夜と同じ様に口付けを交わした。少し離れ約束通り帰ってきた彼の顔に触れる。

本当に帰ってきてくれた。もうあの時の悪魔は繰り返すことはないのだろう。

すると、つららちゃんが「ただいま!!陽子様!!」と元気な声を私に届けてくれた。


「おかえりなさい。つららちゃん、紅葉くん」

「ただいまです。陽子様」

「陽子。お腹が空いた。夕食にしよう」

「え…?食べてこなかったのですか?」

「ああ。陽子のあの甘い卵焼きがまた食べたくてな。それにあんな豪華なものはあまり好かん。それに…」

「それに?」


信様は私の頭を撫でた。愛おしいものを大事に触れるようにとても優しく微笑みながら。


「陽子がいない食事なんて何にも美味しく感じない。どんなに高価なものを出されても同じだ。陽子と同じ時間を探すから良いのだ」

「信様…」


私は顔を赤る。本当にこの人は心の底から私が好きなのだと何度も教えてくれる。私を手放さない為ならなんでもするのだろう。安易に想像できてしまう。

私は信様の言葉に応えるように、彼の手をぎゅっと握った。

さぁ、さっきの続きをしないと。信様が喜ぶ美味しい卵焼きを作ってあげなければ。

私は、誰かに心の底から愛されるという幸せに浸りながら愛する旦那様の帰りを喜んだのであった。

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