LIMIT12:身の回り全てに感謝を

 時は白雉はくち朱鳥しゅちょうの間、王の名の下で、日本史上初の内乱が起こった時代

 そこにはかつて、大敗して落ちぶれた者がいた


 時は弘仁こうにん、貴族が栄華を極め、だ武士と云える者がいなかった時代

 そこにはかつて、“さぶらひ”として主人に仕える者がいた


 時は慶長けいちょう、長きに広きにけた戦火いくさびが鎮められ、平穏が訪れた時代

 そこにはかつて、十重二十重とえはたえにも続く血のえにしの果てに、小国の長となる者がいた


 時は過ぎ、奇怪ならぬ機械に溢れ、困苦こんくが減っていく時代

 そこには現在いま、鋼の魂を持つ若人がいた






「グルルルルル……」


 クマが低く唸る。

 その目には、もはや剱しか映っていない。

 その胸には、もはや憤りしか存在していない。


「こっからは俺もガチで行くぜ……“五行式ごぎょうしき”!」

「バウ!」


 剱が膠着こうちゃくを破り、刀を右下に低く構えて走り出す!

 クマも四足から立ち上がり、大きく右腕を振りかぶる!


「“だんたけ”!」


 燃え盛る火炎のごとき気迫で、右足を踏み出して斬り上げる! 


「バフ──」「だぁりゃぁあっ!」


 クマは刃先から異様な雰囲気を感じ取り、攻撃の手を止めて紙一重で躱す!

 剱は左足を踏み込み、反撃させる暇も与えずに軌道をなぞって斬り返す!


「まだまだぁあっ!」


 連撃に次ぐ連撃は、さながら固く細かく織られた絹布!

 クマは右手の位置を保持しながらも、高密度な斬撃にただただ後退するばかり!


「だぁりゃぁあああ!!!」


 いたずらに体力を消費するつもりなのか、剱もただただ斬り続けるばかり……

 熱くなりすぎたことで後先が考えられなくなったのか、このままだといずれ攻守が入れ替わる……


「…………」


 クマは一太刀ごとに見極め、隙を慎重に伺う。

 野生本能ではなく、人間のように考えて躱しながら。


「すぅー……」「バウッ!」


 剱が息継ぎをした直後! その手が緩むことで綻びが生じる!

 クマはそこに狙い目をつけ、なますにしようと右腕を振り下ろす!


(そこ!)


 爪がちょうど当てやすい位置に


「“こんだん砂砕ささい”!」


 横からまとめて叩き壊し、粉を舞わせながら空高く打ち上げる!


「ブォォォォォォ!!!!!!」

「『部位破壊に成功』ってヤツだ。これぐらいで俺はへばったりしねぇよ」


 ひび割れて血が出ているのを押さえながら、クマはまたも怯む。

 草の臭いに紛れるどころか鉄の臭いがそれ以上に存在感を増す中、剱は鞘を少し取り出して納刀する。


 “五行式”、それは大陸から伝来した陰陽五行説いんようごぎょうせつから着想を得て、自然の中で研鑽し、大嶽家おおだけけに連綿と受け継がれた剣術である。

 技の名は全て星や自然現象から由来し、状況に応じて“もくだん”、“だん”、“だん”、“こんだん”、“すいだん”、合わせて5つの段を使い分ける。


「“土の段・豪崩ごうほう”!」


 より深く大地を踏み、より速く鞘を引き、より強く腕を振る!

 剱が次に繰り出した一手は、横一文字の居合い斬り!


「ブォァァァァァァ!!!!!!」


 腹膜まで行かずとも、今度は真皮まで達する!

 あとは皮膚の張力と内臓の重量で勝手に開く傷口から、右手とは比にならない量の血が《ビチャビチャ》と流れ出る!


「クマさん、アンタは確かに強ぇ。日本では地上最強の哺乳類と言っても過言じゃぁねぇ。だが力任せなだけじゃ、知恵と工夫の結晶に勝てるわけがねぇんだよ」


 また納刀するが、今度は両手をすぐに離す。

 戦意がないことを示し、降伏を促すために。


「その化けの皮を剥がしときな。これ以上戦えば失血死するぞ」

「ブフッ……ブフッ……ブフッ……ブフッ……」

 

 身体中立っていた毛が横に倒れる。クマの息が浅くなる。

 顔色はまだ悪くなってはいないが、戦う余力は残ってないにも等しかった。


「ブフォォォ!!!」


 ただそれでも、左腕で決死の一撃を振り下ろす……

        

「諦めろ」


 輸送機から一発の銃弾が《ダン!》と頭へ飛び出す。

 元英国軍人のフリー・ブレットが、躊躇ためわずに引き金を引いたのだ。


            《ヂュイン!》


 やはり硬い。剱の【能力】に斬り傷で済ませただけあって、弾が明後日の方向へ逸れる。

 しかしながら、衝撃まではどうにもできずに意識が飛びかける。


「“火の段・天雷”」


 情けは既にかけた。これ以上は無意味。

 迷い無く刀を抜いて両手でしかと握り締めれば、目眩を起こしているクマの脳天に峰を置く。

   

            《ドンッ!》


 そして大気を震わし、大地へ降り立つ神鳴りを叩きつける。


「ブフ……」


 舌を出して泡を吹いているクマが、肋が出るほどに痩せた全裸の男へ、ゆっくり変わり始める。

 寸胴鍋ほどあった太い腕は枯れ木のような細腕に、筋肉質な丸腹は背中とくっつきそうなまでにしぼむ。


「制圧完了、シオンを寄越してください」







「お疲れ様、剱少年」

「労い感謝します、フゥ隊長」


 シオンの【飛び回る胸の鼓動ホップステップワープ】でキャンプに連れ戻されると、虎柄の髪を持つ肩掛けコートが出迎える。


「ところでヤマ爺は?」

「あっちだ」


 彼が輸送機に腰掛けているのを、親指で示す。

 剱はお辞儀すると、その元へ向かう。


「ヤマ爺、この男がアンタの言ってたクマ公の正体だ」


 捕縛器具で拘束されたクマ、もとい球磨川大助クマガワダイスケの腕を掴んで見せつける。


「だったら、あれは全て嘘だったという事か……」

「今アンタの言った『あれ』についても改めて答えてくれ。あの骨壷には一体誰のが入っていたんだ?」

「……村一番の屈強な男である山下拓司ヤマシタタクジ、息子だ」

「もし、俺が『それも嘘だ』と言えば?」

「ワシが騙された間抜けな老いぼれになるだけだ」


 憎悪とも哀愁とも見える暗い表情で顔を上げる。


「そこの男が“SENSI”として、村に現れてたんだな?」

「あぁ、そうだ」


「分かった……始まりは4年前、窪田クボタが襲われたところからだ。あの頑固じじいの家には食えるもんが少なかったのか、家中探し回られたことで酷く荒らされていた。死体も食べようとしたが諦めたために、原型を留めない位にズタズタになっていたそうだ」


「ワシらはその事を知ると、すぐに村を挙げて罠をあちこちに仕掛け、24時間いつでも互いを守れるように見張っていた。息子は『俺に任せろ。窪田さんの仇は必ず取る』と意気込んで、猟友会と一緒に銃担いで歩き回ってたわ」


「だが不思議にも、罠を踏んだり銃弾を当てられたりしながら、クマ公は血を一滴も出さなかった。単に気苦労からくる勘違いや見間違えだと思っていたんだが、今にしてみれば、おまえさんらの言う【能力】の仕業だったんだな……」


(【耐えちゃう大熊ベアーベアー】の仕業だな)


「ともかく、毎日手を焼かされながらも、ワシらと他の家で罠の確認するために山を登った時だ。そこでクマ公にばったり遭遇してしまい、一瞬の出来事で多くを失ってしまった……あの大きな爪を振りかざし、ワシは太ももを、息子は背中をバックリ引き裂かれた」


「あいつは、ワシを庇うために覆い被さりながらこう言った」


『俺が身代わりになる。その間に父ちゃんは皆と村まで走れ』


「震える手で必死に猟銃を構えていたのが、ワシが最後に見た息子の勇姿だ」


「……それからのことも話そう。村の連中全員が心身ともに疲弊し切ってしまい、各々ツテを頼って逃げたところで、太ももの傷で動きづらくなったワシだけ残された」


「クマ公に襲われる恐怖に常日頃から苛まれながらも、息子と同じ土地で死ぬ覚悟を決めていたら、どこからともなく黒ずくめの男が2人やって来て、比べて背が低い奴がこう言ってきた」


『この人骨と熊の毛皮、あなたの息子さんと彼を殺した熊で合ってますか?』

『何バカな事を言ってるんだ、お前らは? それ以上冷やかすようなら、ぶっ飛ばしてクマ公に喰わせるぞ?』

『馬鹿も冗談も言っていません。あなたなら分かるはずです。じっくりもう一度見てください』


「その目があまりに訴えかけるもんだから手に取ると、婆さんと息子を失って枯れたはずの涙がとめどなく流れた……1本だけでも息子の骨が帰ってくれたことに、ワシは大切に抱きしめながらひたすら感謝した……」


「だが、実際に渡された『あれ』ってのは赤の他人の遺骨だと……」

「ワシが取った時は確かに本物だったんだ……理屈だとかそんなもんじゃねぇ。自分の子供について絶対に間違え無いのが親ってもんだからな……」

「信じるぜ。全部信じる。俺は家族愛を疑わねぇし、アンタは適当をこいてねぇと感じたからよ」


 五感が当てにならず、落とし穴に嵌められた時を思い出す。

 恐らくあれと同じように、相手に認識を改変する【能力】を使われたのだろう。

 

「後はなんとなく分かった。人の思い出につけ込んで恩を着せられたから、米を作るように頼まれたんだな?」

「その通りだ……」

「だとすれば最後に、黒ずくめと米を回収する輩について教えてくれるか」

「あぁ、確か低い方は──」「それ以上喋られると困りますよ、山下権作ヤマシタゴンサク


 後ろから見知らぬ人の気配が急に現れ、剱は反射的に空の鞘から新しい刀を引き抜く!

 だが、虚しい事に《ブォン》と空振るだけに終わる!


「君が大嶽剱、彼女が璃空アキソラシオン、あっちは王虎ワンフー羲和龍シーフーロンにフリー・ブレット、向こうで視ているのはマハマト千紗。他にもいるが、呼ばれた者は全て合っていますかね?」


 動く時の起こりが無かったため、太刀筋の反対側へ移動されたのに1拍遅れて理解が追い付く!


(コイツ、俺たちの名前を知ってやがる……!? いや! そんな事よりも、話しかけてくるまで一切合切何も感じさせなかっただけで無しに、シオンよりずっと高精度なワープをしやがった……!)


「テメェは誰だ……!?」

「【宣教師】とだけ言わせてもらいましょう。ともかく、刀を仕舞ってくれませんかね? 本日は争いに来たのではなく、そこで倒れている仲間を取り返しに来たのですから」

 

 悠長に話しているモノクルローブ。

 そのどこからどう見ても隙だらけなこめかみへ、フリーが《ダン!》と1発撃つ。


「だから、争いに来たわけではないで、銃口を向けるのはやめてくれませんか? 第一、私に攻撃を当てられるわけがないんですから、これ以上は時間を浪費するだけです」

「……ッ!」


 温厚な話し方が刺々しくなり、剱の二の舞を演じた彼の体が強張る。

 圧倒的で未知数な相手の実力に、班員一同の動きが止まる。

 

「結構、話が早くて助かります。では、彼にそろそろ服を着させないといけませんから失礼させていただ──」「“火の段・紅星流こうせいりゅう”」


 だが、たった1人だけは沸々と煮えたぎった怒りを載せ、顔面へ突きを放った。


「いい加減にして下さい、剱」


 結果は同じく、虚空を貫くだけに終わる。


「いい加減にするのはテメェらだ……テメェら【教団】はどうして人をぞんざいにできる……!」

「『人』ですか……私達にとって、それは【賜り者】のみを指します。他は全て、この地に寄生する害獣に過ぎませんから」


 ふざけた言葉に、剱の視界は黒く染まる。


「火のだ──」「しかし大変不本意ですが、私は帰らせてもらいます。ここはお互いに頭を冷やした方が良さそうですし、当初の目的はいつでも果たせますしね」


 モノクルに付いてしまった塵を、ローブの裏側から取り出したハンカチで拭く。


「それよりも、早くこの場を離れた方がいいですよ。なんですから」


 モノクルを掛け直すと、その場にいたのが嘘みたいに、空間の揺らぎも何も残さずに消える。

 するとその奥で、ヤマ爺に異変が生じているのを目にする。


「ヤマ爺!」

「……米は残ってるから、好きなだけ持ってけ。作物ってのは誰かに食べられてようやく完成するんだからな」


 体内から光が溢れ、臨界点に達する段階でひびが入る。


「本当に感謝するぞ……最後におまえさんのような人間に出会えて……」


「総員! シオンに捕まれ!」


 虎の命令で、皆が逃げる準備を進める。

 全く動かなくなった剱を、近くにいたフリーは左手で触り、右手でシオンを中心とした数珠繋ぎに加わる。


      《ドォォォォォォン!!!!!!》


 彼女の【能力】で5km離れた場所まで退避すると、キャンプだった場所が間髪入れずに全て消し飛び、周囲が火の海に変わっていった……

 

「つるぎっち……大丈夫?」


 無傷ながらも棒立ちするだけの様子を見て、心配して駆け寄る。


「……大丈夫じゃねぇよ」

 

 本当なら、忠告もせずにあの場で爆殺できたはず。

 本当なら、あの場で【賜り者】を奪還されたはず。

 あの男は最後まで皆を翻弄し、心をもて遊び、ヤマ爺に道化を演じさせた……


 手も足も届かず、何も為せず、剱はただただその場にうずくまって土を掴む……

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