第17話
終業のチャイムが鳴る。
部活や委員会、自分の自由時間。それぞれの生活へとクラスの全員が切り替わる。僕ももちろん、その一人のわけで。
見るだけで心がざわめくから、あいつより早く教室を出ようとホームルーム前に帰り支度は済ませておいた。チャイムと同時にカバンを背負って駆け出したのに、目の前のドアがスパン! と勢いよく開いてしまう。
よりにもよって、目の前に黒いもじゃもじゃがいて、ビン底眼鏡とコンタクトしてしまう。
肩が上がって、カバンの紐を握りしめて固まってしまう。どくん、と心臓がやけにうるさい。冷や汗が背中に滲む。
けれど、目の前の生命体は僕に何ら関心を持たずに、すぐに顔を赤らめて、向きを変えた。
「あきらーっ! 生徒会いこーぜー!」
咄嗟にその先の相手に振り向いてしまった。彰は、どんな顔をしているのだろう、と。
(あ…)
眉を寄せて、じりつく瞳でこちらを見ていた。
どき、と心臓が固まって、僕は転校生の隣をすぐさま駆け抜けた。
明るい生徒たちの間を身を縮こまらせて、人がいないところに出る。科学室横の階段を降り切って、ようやく僕は息をついた。じっとりと汗をかいていた。息を整えようと胸元を押さえる。
(あの瞳は…)
どういう感情なのだろうか。
きっと、逆の立場だったら、彰は僕のことを言い当てるのだろう。けれど、器量の悪い僕は、わからない。
(もし、僕が感じたことがあっているのであれば…)
強く、何かを訴えているようだった。
焦げ強くような、強い思いを。
だけど、僕にはわからない。
(わからないよ、彰…)
僕は力なく、その場にうずくまった。
しばらくそのままで、呼吸と気持ちを整えていた。
これから、透に会うのに、また心配をかけてしまう。
深呼吸をして、意を決して立ち上がろうとする。しかし、その前に腕を強い力で引っ張られる。
「わ、な、なに…っ」
しゃがんだままだった足は急に立ち上がったことで痺れていて、もつれてしまう。けれど、強い力でぐいぐいと引っ張られる。その力の主はお構いなしに歩き続けた。
「な、んで…っ」
近くの空き教室の扉を開けると、中に引きずり込まれて、閉めたドアに背中をぶつけるように押し付けられる。背中が痛んで息を飲む。
「全部、誤解だ」
肩を掴まれる。強い手のひらと、いきなりの遭遇に瞠目するしかない。
さらさらと揺れるブロンズヘアーは相変わらず美しい。まっすぐに僕を射抜く瞳は力強いものだが、困惑も潜んでいるように見えた。
「あ、きら…」
久しぶりの会話のせいなのか、うまく理解できなかった。
けれど、目の前の彰は見たことないほど、狼狽えているようにも見えた。
「俺には依織だけだから」
こめかみから一滴、汗が顎を伝って落ちていった。ぐ、と指先に力が加わる。
なぜ彼が、こんなにも必死なのかがわからなかった。けれど、僕が友達として、彼に言えることは限られていた。
「き、気にしないで」
へら、と笑みを貼り付けて僕は言う。
「僕に気にしないで、彰が一番好きな人と、過ごしなよ」
僕は大丈夫だから。
困惑しながらも、どこかひどく冷静に自分を俯瞰して見ている。それは、きっと、僕には他の大切な人がいるから。
「今まで、ずっと、僕と一緒だったもんね…。だから、これから、彰は彰の人生を大切にしてよ」
彰のよく言う、依織だけ、というのは、洗脳だと思う。
親から僕の面倒を見ろと命令されたことが、幼い頃がずっと続いているだけ。
僕は、彼を大切な人だと思っているけれど、そこには力関係がどうしようもなくあるのだ。
顔を落として、前髪で彰の表情は見えない。
けれど、僕は今度は落ち着いて口角をあげて、軽い口調で付け加える。
「僕、いつでも彰のこと応援してるよ。ただ、恋人ができたって教えてくれてもいいじゃない?」
友達なんだから。と続けようとしたが、それは叶わなかった。言い淀んでしまったのだ。しかし、その隙に言えなくなってしまった。
僕は目を見張った。すぐそこに、光を無くした薄茶色の瞳があったから。彰の顔がゆっくりと離れて行って、僕は唇が触れ合っていたことに気づく。いきなりのことで、僕は呆然と固まってしまう。
「何言ってんの」
冷たい彰の声色に、ぎくり、と肩があがる。薄暗い瞳がまっすぐに僕を見下ろす。
「あいつは、兄さんが勝手に決めた相手なだけ」
兄さん、という言葉に、ざっと身体の熱が冷める。鼓動も大きくなって、呼吸がしづらくなる。
「兄さんが、俺と依織の監視役として学園に送ってきた。だから、相手してるだけ」
俺と依織が一緒にいる未来のために。
兄さん。その存在に頭がいっぱいで、再び近づいた彰を避けることができず、唇が重なり合う。柔いそれをしっとりと吸われる。
「兄さんは、自分のオメガが他のアルファにちょっかい出されるのを心底嫌う。自分の婚約者である、依織のことは特に…」
彰は眉間と鼻に皺を寄せて、心底憎そうにつぶやいた。
瞬間、僕の頭の中には、卒業したら結婚する、と約束されている彰の兄―史博の顔が浮かんだ。
背筋に悪寒が走り、鳥肌が立つ。絶対的アルファとしてのオーラを持つ史博に、逆らえるアルファはいない。
「俺があいつの面倒見とけば依織に危害はいかないし、兄さんも満足するだろ…だから、もう少し我慢して、なんとかするから」
熱い吐息が唇にかかって、もう一度、それが合わさる。
「俺には依織だけだから」
同意を求めるような呪文と誓いのキスだった。
吸われた上唇の内側をぬるり、と 何かが触れて、僕は意識を取り戻す。
「や、やだっ」
彰の胸元を押し返す。半歩下がった彰は、眉根を寄せて気に食わないと言わんばかり、僕の身体をドアと彰の身体で閉じ込めて、顎を掴み力強く唇を塞がれる。
「ん、んうっ、あ、やぁ、っ」
やめて、と声を出そうとした口を開いた瞬間を狙って、にゅるり、と湿った熱いものが口内へ侵入してくる。目を見張るが、琥珀色の瞳が奥に炎を宿しながらじっと見ていた。
入り込んできたそれを押し出そうとすると、逆に舌に絡みつかれてしまう。生まれて初めての粘膜同士の触れ合いに、ぞわぞわと鳥肌が止まらない。
必死に胸元を押し返すけれど、彰はその腕ごと抱き込んでしまう。腰に回した腕はさらに力を増して引き寄せられ、顎を掴んでいた指は、頬を掴んで離さない。何度も角度を変えて熱い口づけを押し付けられる。
「やあ、あき、っん、んう、うっ」
呼吸が苦しくて、鼻でなんとか酸素を取り入れると、バニラの凶暴な香りが漂って、膝が笑い出してしまう。
(どうして、どうして…っ)
何が彰をこうしてしまったのか。
何を彰が思っているのか。
僕には何もわからなかった。
僕は、僕自身が、無力で、愚かで可哀そうに思えた。
「依織…っ」
「っ!」
ぐり、と股間に何か大きくて、硬度を持ったものを押し付けられて、僕は最後の力を振り絞って、彰を突き飛ばした。数歩後ろに下がった隙をついて、すぐにドアを開けて走り出した。
足を回すのに無我夢中で、曲がり角から現れた人に気づかずにぶつかってしまう。僕よりも小柄で、金髪の美しい少年だった。
「ご、ごめんなさい…っ」
なんとか謝るだけ謝って、すぐに走り出してしまう。
すれ違った際に見た碧眼と、香りには覚えがあった。
彰のフェロモンに当てられたばかりで匂いに敏感になっている僕には、ぶつかった少年の高貴な花のような香りのオメガフェロモンに気づいてしまう。
それは、さっき触れ合った彰から匂うフェロモンの中に隠れた主張したにおいだった。
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