第15話







 ぽう、した頭のまま、僕は席についた。


(透と会えて、うれしかった…)


 結局、渡せなかったタオルを握りしめた。

 あの後、二人で積み立てのハーブで一服したあと、お昼を一緒に食べようという透の提案に賛成して別れた。

 胸に手を当てると、まだとくとくと温かく柔らかく心音を奏でている。全身がぽかぽかとしている気がする。


(気持ちいい…)


 発情期の追われるような快楽ではなく、包まれるような心地よさに、自然と頬をゆるむ。

 カバンからペンケースと今日の授業の教科書類をひっぱって整理する。ふと顔をあげると、クラスメイト数名がこちらを見ていて、口角を少しあげて返すと相手は顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。一抹の寂しさを抱えるが、すぐにカバンの中にあるタオルを見るとどうでもよくなって、鼻歌だって歌い出しそうだ。

 しかし、それも、思い切りドアを開く大きな音でかき消されてしまう。


「じゃあな、彰!」


 クラス全員の注目を浴びているのは、黒いもじゃもじゃ頭と頭二つ分ほど違うスタイルの良い見慣れた幼馴染だった。

 もじゃもじゃは大きな声でそう言うと、彰の首に腕を回して、ビン底眼鏡を彰のこめかみにぶつけながら、頬に唇を当てて、鼻歌交じりで去っていった。

 しん、と静寂に包まれる教室へと振り返って彰がやってくる。クラス全員、漏れなく彼を見つめていて、その瞳は様々な色が滲んでいた。

 困惑、心配、焦燥、それから、侮蔑の色が潜んでいた。

 ぱち、と一瞬、彰と目があった。けれど、僕が急いでそらしてしまった。冷たい汗が額に溢れる。


(何か、声をかけた方がいいのかな…)


 戸惑っていると始業のチャイムが鳴り、教師が入室してくる。それにより空気は僕の知っているものへと変わった。






 一週間不在だった間に、学校の雰囲気はがらりと変わったらしい。

 その原因は明らかだった。

 明らかなカツラであるもじゃもじゃの頭とビン底眼鏡の転入生は、休み時間の度にうちのクラスへとやってきた。うちのクラス、というよりも、ある一人を求めて。

 チャイムが鳴ると同時に教室のドアが開いて、大きな声で彰を呼ぶ。彰は、小さくため息をついてから、重い腰を持ち上げて、場所を変え、廊下の奥へと消えていく。それから、チャイムが鳴ってから帰ってくる。その間に、クラスメイトたちは、ひそひそと二人の話をする。

 嫌でも聞こえてくる彼らの噂話は、ずっと二人が一緒にいるということ。それも、常にもじゃもじゃがくっついて、腕を組んでべったりとしている。時には、抱き着いたり…。休み時間も一緒。昼休みも。放課後は生徒会室へとついていき、帰りも一緒らしい。


「この前、あいつが彰くんと一緒に、生徒会寮に入っていくの見たよ…」

「今日、二人が一緒に寮から出てくるの見たよ」

「えー…、彰くん趣味悪すぎ…」


 彰は生徒会に所属しているため、アルファ寮の自室に加えて、生徒会メンバーのみが与えられた別棟の自室がもう一つある。そちらの寮は、バース性関係なく、生徒会メンバーが承認した生徒が入れる。

 僕も彰の部屋には何度か行ったことがある。彰に時間があるときに、一緒に勉強をしたり、普通に話したりした。友達の家に遊びに行くっという感じだった。

 けれど、それが恋人同士、となる話は別だろう。

 途端に、広々としたダイニングキッチンと、奥にあるキングサイズのベッドがやけにリアルに思えてきて、悪寒が走り、鳥肌が立った。


(友達、の、嬉しいことのはずなのに…)


 こんなに嫌悪を感じるのは、どうしてなのだろう。

 自分でも、自分の心がわからなかった。


 突如現れた異分子により、学園の雰囲気は捻じれていった。

 この学園での生徒会メンバーとは、崇拝され、傍にいることが躊躇われる存在なのだ。その、誰しもの憧れに、平然と紛れ込み、大きな顔をしている転校生を、親衛隊をはじめとする学園の生徒たちが許すはずがなかった。

 中でも彰の親衛隊の人はご立腹で、さっそく不穏なことがあったらしい。

 脳裏の、愛くるしい彰に恋をする親衛隊長の顔が浮かぶ。それから、下駄箱でのキス。うっとりと頬を染めて、彰に抱き着く隊長は、恋する乙女さながらの可憐さだった。

 詳しくは聞こえなかったけれど、親衛隊で転校生を取り囲んで何かがあった。しかし、彰が直接、隊長にやめるよう忠告をしたらしい。

 それによって親衛隊は手出しができない状態になった、というのが現状。けれど、そう抑圧すればするほど、愛は狂気に変わってしまうのではないだろうか。


(きっと、すごく悲しかっただろうな…)


 恋する相手に、許嫁がいて、目の前で仲睦まじい姿を見せつけられて…。

 ぎゅう、と胸が痛む。なぜ、隊長の気持ちが容易に想像できてしまう自身に、思わず首をひねった。

 恋愛事と無縁で生きてきたのに、なぜか、彼の気持ちが理解できてしまう。


(ずっと、慕ってきた相手に、裏切られた、ってなるよね…)


 その感情には、覚えがあった。

 は、と息をつめる。


(違う、そんなはずない…)


 僕にとって彰は、大切な人だけれど、そういう慕うとか、好きとかでは、ない。はずだった。

 けれど、キスをする間柄だった相手に突き放されるようなことを言われた彼に対して、想像できてしまう感情は、あのキスの場面を見たときの僕の心情そのものだった。


(そんなはずない)


 首を横に振って考えを霧散させる。


(僕と彰は、幼馴染。小さい時がずっと一緒にいる、家族、みたいな…)


 そう言いながら、家族という言葉ではしっくりこない自分に気づいてしまう。友達という言葉では、絶対に物足りない。


(僕、彰のこと…)


 四時間目のチャイムが鳴る。教師が入室してくるのと同時に、彰が教室へと帰ってくる。けれど、僕は後ろを振り向くことは出来なかった。







「あーきらっ! 食堂いこうぜっ!!」


 チャイムと同時に、また大きな声で下品にもじゃもじゃはやってきた。


(そっか、一緒にお昼食べてるんだもんね…)


 ずき、と胸が痛み、それに気づかないふりをして、急いで僕は立ち上がって、転校生のいない方のドアから廊下へと逃げた。


(早く、透に会いたい…)


 何かわからない焦燥感に搔き立てられる。僕は、早く透に会って、緊張状態の続く自分をほどきたかった。





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