第13話、妬いてしまう

「あら、こんばんは! こんな時間に珍しいわね!」


 前と同じように、ウエイトレスが二人を出迎えてくれた。前回同様、薄黄色の髪を両側で結んでいる。彼女が動くたびに、その髪がふわふわと動いた。


「こんな日もあるさ」

「うふふ。まあ、いつだって来てくれて歓迎するけど」


 ウエイトレスがウインクして言う。優がどきりとする可愛さだった。


「ハンバーグのセットをふたつ。ユウ、ホットコーヒーで良いかい?」

「はい」

「両方ともホットコーヒーで。食事と一緒に持って来て」

「了解ですー。座って待っていてね」


 店内は空いていて好きな席に座れる状態だ。優とランスは窓際の奥の席を取った。外はすっかり日が暮れて、街は昼間とは違う賑わいを見せている。


「ユウ、疲れていない?」

「大丈夫です。昼間……いっぱい寝ちゃいましたから」

「そうかい? 何だか顔色が悪いから心配だな」

「生まれつきです……俺、異常に色が白いから」

「異常だなんて! ユウ、その白さはとても美しいよ。冬に降る雪よりも綺麗だ」

「あ、ありがとうございます……」


 優は照れた。いつだってランスは真っ直ぐに優のことを褒めてくれる。そういった体験の少ない優にとって、ランスの言葉は何よりも嬉しいものだった。


「ランスさんはどうです? 気分……」

「ああ。凄く良いよ。何だか、いろいろリセット出来たかな」

「リセット、ですか?」


 ランスはテーブルに肘を置いて一瞬、窓の外を見た。


「そう、リセット。ユウ、僕はね……心の狭い人間なのかもしれない」

「そ、そんなこと無いです! ランスさんは優しいし、その……俺のこと、受け入れてくれたし……」


 それを聞いたランスは苦笑する。そして、手を伸ばして優の髪を撫でた。


「優しいとか、そういうんじゃないんだ……もっとこう、心の奥底の……」

「……ランスさん?」


 思い詰めたような顔をするランスに、優は心配して彼の手のひらに自分のものを重ねた。


「ランスさんの心はあたたかいです。皆、いろんな思いを抱えて生きてると思うけど……その……少なくとも、ランスさんの心は狭くありません!」

「ふふ。ありがとう。ユウは優しいね」

「そんなこと……」

「……そういうところに僕は惚れたんだよ。ユウ……」


 ――ランスさん?


 そう言いかけた時、カートを押したウエイトレスが厨房から出て来た。


「はーい。お待ちどうさまです。ハンバーグセットおふたつ! ホットコーヒーで!」


 かちゃかちゃ、と熱々のハンバーグが乗った皿が二人の前に並べられる。ハンバーグには焦げ茶色のソースがかけられていて、そのにおいは食欲をそそった。付け合せはにんじんとポテトのサラダ。そして焼き立てのパンが別の皿に乗せられている。

 忙しなく、けれど丁寧に動くウエイトレスを、ランスはぼんやりと見ていた。その視線に気付いたのか、彼女はくるりと振り向いてランスを見た。


「何か御用?」

「いや……リリィ、君っていつもこんな時間まで働いているのかい?」


 ウエイトレス――リリィはその質問に首を傾げながら答えた。


「いいえ? 今日はね、この時間の子が風邪引いちゃって休みなの。だから私が代わりに働いているってわけ。ほら、帰りが遅くなるでしょう? レディが夜道を歩くなんて危険だと思わない?」

「そうか……なるほど」

「もうちょっと反応してよ!」


 リリィは冗談めかしく頬を膨らませて見せた。やっぱり可愛いな、と優は思う。自分には、あんな愛嬌は無い。もっと可愛いそぶりが出来たら、ランスは喜んでくれるだろうか……そんなことを考えてしまう。

 ランスは、リリィの膨らんだ頬には興味を持たなかったようで、しばらく顎に手を置いて何かを考えていた。やがて、ゆっくりと口を開く。


「良かったら……絵のモデルになってくれないかい? 時間がある時で良いんだ。夜遅くなるようなら、送り迎えもする」


 その言葉に、リリィは大きな青色の瞳をますます大きくさせて瞬いた。


「本当? 冗談じゃなくって?」

「本当にお願いしている。明日からでも描かせてほしい」


 優は鈍器で頭を殴られたような気がした。


 ――どうして、ランスさん。今のモデルは俺でしょう?


 その言葉を優は必死に飲み込んだ。


 ――そうだ、気分転換かもしれない。


 ランスは、気分転換に新しい絵を描くこともあると言っていた。だから、リリィにモデルを頼んでいるだけだ、きっと……。

 リリィは嬉しそうに笑うと、ランスの肩に手を置いて言った。


「良いわ。オーケーよ! 嬉しい! 王宮の画家に描いてもらえるなんて夢みたい!」

「その言い方は大げさだよ……ところで、その絵なんだけど……」

「なあに?」

「王宮に飾られることになるかもしれない……」

「ええっ!? ランス、貴方いったいどんな絵を描こうとしてるの?」


 ランスはちらりと一瞬、優の方を見た。言いにくそうに、数秒黙る。しかし、次にリリィの目を真っ直ぐに見つめて言った。


「天使の……天使の絵を描きたいんだ。協力してほしい」


 優は、今度こそ目の前が真っ暗になった。


***


「ユウ、怒ってる?」

「……いえ」


 帰り道、二人は手を繋ぐことなく歩いていた。しばらく無言が続いていたが、その沈黙を破ったのはランスだ。


「あのね、ユウのあの絵が駄目とかそういうんじゃなくって……」

「分かってます。その……ランスさんにはランスさんの考え方があるって、ちゃんと理解しています」


 そうは言ったものの、優の頭の中は混乱状態だった。公園で見た、あれは正夢だったに違いない。

 リセット出来た、というのは優から気持ちを切れたということなのだろうか。あの絵を描く気が無くなってしまったから、あんなに調子が悪かったのだろうか……。

 ――泣いたら駄目だ……。


 優は必死に涙をこらえて、無理やり笑顔を作ってランスに言った。


「俺、待ってます。ランスさんが絵を完成させてくれるのを……」

「ユウ……我が儘を言ってごめんね。王宮用のを完成させたら、必ず仕上げるから、もう少し待っていてくれるかい?」

「はい……」


 それにしても、どうして今になって絵を変えるだなんて言い出すんだろう。優はランスのことが理解できないでいた。本当に、あと少しで仕上がるのに……。芸術家って変わってるんだ。だから、仕方ないんだ、と自分に言い聞かせるしかなかった。


「それじゃあ……ユウ。手を繋いでも良い?」

「はい」


 優は右手を差し出した。ランスはそれを大切なものを扱うようにそっと握る。


 ――飽きられてはいないよね。だってランスさん、こんなに優しい……。


 繋いだ手のぬくもりが、何故か今はとても痛かった。


***


「こーんにちは!」

「……こんにちは」


 次の日の午後一時。リリィは白いワンピースを着てやって来た。優は出来るだけ愛想の良い顔を作ってリリィに挨拶した。その後ろからランスが顔を出す。リリィの家に迎えに行っていたのだ。彼女の家の場所を知っていることにも、優は少し傷付いた。


「言われた通り、白いワンピースよ! どう? 似合う?」

「とても。それじゃあ、そのソファに座ってくれる?」


 リリィの言葉を適当に流し、ランスは彼女をリビングのソファーに座るよう促した。リリィは頬を少し膨らませてみたが、その指示に「はあい」と従った。


 ――あれ? アトリエじゃないんだ……。


 それに、服も着たままだ、と優は安堵の溜息を吐いた。自分の時同様、リリィにも脱ぐように指示していたら、きっと優は泣いてしまっていただろう。


「じゃあ、描くから動かないで」

「はーい」


 イーゼルに立てかけた大きなキャンバスにランスは向かう。優は思わずランスに話し掛けた。


「あの……ランスさん」

「どうしたんだい、ユウ?」


 ランスは手を止めて優を見た。目が、画家のスイッチに切り替わったことを表している。


「あの……俺に何かお手伝い出来ることありませんか?」

「うーん。無いかな」

「……そうですか」

「自由に過ごしていて構わないよ」

「それじゃ、ちょっと外に出てます」

「そう……気を付けてね」


 会話はそれで終わった。

 優は邪魔にならないように、そっと玄関のドアを開けて外に出た。嘘でもいいから「傍に居てくれるだけで良いよ」と言って欲しかったが、そんな願いは叶わなかった。


 ――外に出るって言ったけど、どうしよう……。


 優には行く当ても無い。ぐったりとドアの前に屈みこんでしまった時、隣の豪邸の門から出てくるポーンが見えた。思わず優は走り出す。


「ポーンさん!」

「おや、ユウじゃないか! 珍しい。ひとりか?」

「……はい」


 ポーンのところまで辿り着いた時、優の息は切れていた。まだまだ体力が付かない。そんな優の肩をポーンは気遣わしげに支えた。


「何だ? どうした? 顔色が真っ青だ」

「……ええっと」

「ランスの奴はどうしたんだ? まさか……喧嘩でもしたか?」

「違います! その……ランスさんは今、絵を描いてて……」

「それはユウ、君の絵じゃないのかい?」

「……」


 優は上手く答えられず下を向いた。ポーンは腕を組んで言う。


「わけ有りみたいだな。よし! とりあえず中に入れ!」

「でも、ポーンさんこれから出かけるんじゃ……?」

「良いから気にするな! 大事な友人が困ってるんだ。力にならないでどうする?」


 項垂れる優の背中を叩き、ポーンは門を開けた。


「さあ、ユウ。ちょうど面白いものを発明したからそれを見せてやろう! だから、そんな暗い顔するなって!」

「ポーンさん……」


 自分を元気付けようとするポーンの態度に、優は目頭が熱くなるのを感じた。

 豪邸の中に入ると、例の防犯用のオブジェが優を迎えてくれる。なんとその数は二体に増えていた。優は驚いてポーンを見た。ポーンは誇らしげに胸を張っている。


「防犯くん二号だ!」

「防犯くん……? そういう名前なんですか?」

「そうだ! 昨日考えた! 見てくれ、今度のは目が青いんだ。そこにはセンサーが付いていて、夜に人が通ると犬の鳴き声を出すんだ! わんわん、って!」


 それじゃあ最初から犬のオブジェにすれば良いのに……と優は思ったが、その言葉を必死に飲み込んだ。テンションの高いポーンに水を差すようなことを言うべきではない。


「す、凄いですね。犬の鳴き声がしたら、泥棒とか不審者とか……危ない人は警戒して逃げちゃいますよね」

「おお! 分かってくれるかユウ! 君は見る目があるなあ!」


 わははは! と笑いながらポーンは廊下を進んで行く。慌てて優もその背中を追った。ポーンが向かった先はリビングだ。前にも来たことがあるが、その時よりも散らかっていた。テーブルの上には良く分からない部品が山のように置いてある。前は事前に呼び出されたので、掃除をしていたのかな、と優は思った。同時に、突然来訪してしまったことに申し訳なさを感じる。


「あの、すみません。俺、急に……」

「気にするなって! ほら、コーヒーを淹れるから空いている場所に座っててくれ!」


 テーブルの上の物を床に置き直しながらポーンが言った。幸いなことにソファーに荷物は置かれていないので、好きな場所に座れる。優は遠慮がちにソファーの隅の方に腰掛けた。

 ポーンは手際良くコーヒーを淹れると、優の目の前にカップを置いた。ふわり、と優しい香りが鼻をくすぐる。


「で、ランスと何があったんだ?」


 優の向かい側に座ると、ポーンは真剣な顔で訊いてきた。優は口に運んだカップを、そっとテーブルに戻してぼそぼそと話し始めた。


「ランスさん、別の人の絵を描いてるんです……」

「何? 君の絵を放っておいてか?」

「そうです。その……リリィさんって人を」

「ああ、あの喫茶店のか!」


 ポーンは手を叩いた。


「美人って評判のあいつか! そりゃ、絵も描きたくなるだろうな……」

「はい、とても綺麗で可愛くて、魅力のある人だと思います……俺なんかより」

「ユウ?」

「ランスさん、今、リリィさんの絵を天使の絵にするって……だから、王宮に飾られるのは俺じゃなくってリリィさんなんです」


 涙が滲んでポーンの顔が上手く見えなくなった。優はごしごしとシャツの袖で涙を拭った。


「何で、俺じゃないのかなって……俺に飽きたのかなって思ったんですけど、ランスさんはいつも通り優しいし……俺もうわけが分からなくて……」

「ユウ……そんなことがあったのか……」


 ポーンは自分のカップを一口飲むと、うーんと腕を組んで考え出した。


「珍しいな。ランスって製作途中の絵を途中で投げ出したりしない奴なのに」

「……そうなんですか?」

「ああ。俺みたいに飽きたら他の発明に走る性格と違って、あいつはどんなにスランプに陥っても手を付けた作品は必ず完成させる。そんな性格なんだよなあ」

「じゃあ、どうして天使の絵を別の人に変えちゃったんでしょう……? やっぱり、俺には天使としての魅力が無かったからかな……」

「そんなこと無いさ! あの惚れようだぜ? そう簡単にモデルを変えるなんて考えられないなあ……」


 ぐいっと熱々のコーヒーを飲み干すと、ポーンはうーんと頭を抱えた。


「……とにかく、ユウ。君に落ち度はない」

「はい……」

「ランスは芸術家だ。俺が言うのもなんだが、奴はちょっと変わってる」

「……はい」

「だから、簡単に理解できないな。奴の行動についても思考についても。だからランスが直接、説明してくれるのを待ってみてはどうだ? あまり深く考えずに」

「そうですね……俺、ちょっと神経質になってたかもしれません」

「そりゃ、ユウを妬かせるランスが一番悪いんだがな」

「や、妬く?」


 優はぽかんと口を開けて固まった。その様子を見てポーンは吹き出す。


「自覚が無かったのかい? ユウ、君は不安になるのと同時にリリィに妬いているのさ」

「妬くだなんてそんな……恥ずかしい……」

「恋人を一時的に取られちまうんだ、しょうがないさ……ところで」


 ぐいっと顔を近づけて、ポーンが訊いた。


「あいつとは、どこまでいったんだ?」

「へっ? 行く? 公園でデートはしましたけど……」


 それを聞いたポーンは楽しそうに膝を叩いて笑った。いったいどういう意味なのだろうと優は首を傾げる。ポーンは目に涙を溜めて大笑いし、息をするもの苦しいといった様子で優に言った。


「違うんだユウ。そういう行くじゃなくって……どこまでした、って訊いた方が良かったな!」

「し、したって……」


 さすがの優でもこの意味は分かる。赤面して下を見ると、ポーンはまた楽しそうに言った。


「キスは、してるんだよな。おかげで言葉が通じる。それじゃあ……もう契ったか?」

「ち、契ってないです!」


 優は首まで真っ赤にして顔を隠した。

 ポーンはくつくつと喉で笑うと、ぐしゃぐしゃと優の頭を撫でた。


「そうか。まだなのか。じゃあ、今夜あたり誘ってみたらどうだ?」

「さ、さ、誘う!? そんなこと出来ませんよ! ランスさんはその……大事にしたいって言ってくれてるし……」

「へえ。惚気てくれるねえ……」

「ち、違います!」


 反論する優に、ポーンは優しい眼差しで言った。


「……やっぱりユウは明るい顔の方が良いな」

「へっ?」

「さっきまで曇り空みたいな顔してたから心配したんだぜ? けど、今はちょっと元気そうだ。良かった」

「す、すみません。ご心配お掛けして……」


 小さくなる優に、ポーンは豪快に笑って返す。


「ユウは良い奴だからな、暗いと心配になるんだ! 俺の数少ない友人の恋人でもあるしな!」

「ポーンさん……ありがとうございます」

「今は家に帰りにくいだろう? ここでゆっくりして行くと良い……俺はちょっと野暮用があるから一緒に居てやれないが、自由に過ごしてくれれば良い」

「……ありがとうございます。もうちょっとだけ、居させてください」

「構わないさ! それじゃ、夕方には帰るから!」


 そう言い残すと、ポーンは慌ただしく玄関を出て行った。出掛けのところを呼びとめてしまったことに申し訳なさを感じながら、優はポーンの親切に感謝した。

 ぽつん、と部屋に残された優は何をしようかと考えた。他人の家なので、いくら散らかっていようとも勝手に掃除なんて出来ない。自由に過ごして良いと言われたが、他の部屋を覗いてみるのも失礼だ。


「うーん……」


 することが無い。しかし、行く当ても無いよりはマシだった。居場所があるというだけで、優の心は安らいだ。


「ちょっと、眠ろうかな……」


 ソファーに横になって優は天井を見上げた。高く広い天井からは、豪華なシャンデリアが垂れ下がっている。埃にまみれているが、とても立派なものであることに変わりはない。


「ランスさん、まだ絵を描いてるかな……」


 時計の針は午後二時を指していた。優は小さく身体を丸めると目を閉じた。少し遅めの昼寝でもしよう。そういえば、この時間はいつも眠くなる時間だ。アトリエのソファーでうとうとして、それから目を覚まして、ランスと笑い合って……。

 浮かんでくるのは楽しい思い出ばかりだ。


「ランスさん……」


 寂しさに思わず呟いた。

 すぐ隣の家にランスは居るのに、こんなにも距離が遠い。


 ――今、どんな気持ちで絵を描いているのかな……。


 考えながら、優は眠りについた。

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