牢獄の祈り【一】

 琥珀が投獄されたのは、一般の国民を閉じ込めておく牢の中でも、特に凶悪な犯罪者を入れておくための場所だった。仮にも他国の貴族、紫嵐の伴侶である琥珀である。普通はもう少し、人間らしい生活のできる牢に入れられる。

 王宮から離れた、兵の詰め所の地下だ。風の通りが悪くてかびが蔓延しているのだろう。いつもどぶ川のような臭いがしていて、我が身に沁みついていくようである。琥珀は毎時、咳や涙が止まらなかった。

 通常の犯罪であれば、これから尋問が行われ、証拠品を並べ立てての裁判が行われる。だが、琥珀の場合は違う。何せ被害者が、第五王子である。しかも、ほぼ現行犯に近い状況で逮捕されている。

 琥珀自身はもちろん自分の無罪を自覚していて、何度も主張しているのだが、残念ながら聞き入れられることはない。尋問だと呼び出されては、殴る蹴るの暴行を加えられ、残りの一日の大半は、まさしく死んだように眠るのであった。

 最初は琥珀も、声高に奇劉の陰謀を主張した。彼からもらった手紙が部屋には残っていると言えば、捜索したが何も出てこなかったと殴られる。では、奇劉の傍仕えとしてしょっちゅう伝令に来ていた貴族の少年ならば証言できるはずだと言ったが、彼は現在、出仕を取りやめて以降、行方不明なのだという。

「そいつもお前が殺したんだろう?」

 むしろ言いがかりをつけられて、頭を鷲掴みにされ、机に何度も打ちつけられては血が出た。手当もほとんどされることはない。

 そんな風に日々を過ごしていると、次第に諦めがつくようになってくる。

 王族の命を狙うことはすなわち、国の転覆を狙ったということで、そもそも死刑になる以外、ありえないのだ。だから裁判を行っても意味がなく、青龍族の役人や王族たちが決めるのは、処刑によい日取りやその方法、場所くらいのものである。

「どこまでいっても、俺は迷惑をかけるんだなァ……」

 腐っても琥珀は白虎王族の端くれ。その自分が青龍王族に毒を盛った。国際問題である。こうなっては、両親も庇えない。自分を許した白虎王は老い衰えて久しく、代替わりも間もなくだ。後継者は、琥珀を擁護することはない。両親が知らず存ぜずを通してくれたらよいが。

 はは、と引きつった笑いが漏れた。馬鹿なことを考えた。あの両親が、俺のことを捨てるはずがない。彼らに累が及ぶことは避けられない。とんだ親不孝者だ。

 ひっひっ、と笑い、それから唸り声をあげた。涙が次から次へと溢れてきて、止まらない。

「あっあ……ううううううッ、ひっ、ああああ、ごめんなさい、ごめんなさい……ッ!」

 焼き菓子の中に毒が入っていたことを知らなかったとはいえ、包丁を入れ、紫嵐に手渡したのはこの自分だ。その点、罪は免れない。受け入れる。けれど、両親まで極刑に処されるのは、違う。

 普通なら、ここまで大声で泣いていれば、見張りの兵が飛んでくる。だが、琥珀は馬鹿にされているらしい。何せ紫嵐を殺そうと選んだ手段が毒だ。毒は非力な女が使うものである。取り調べという名の拷問の度、ゲラゲラと下品な声で笑われ、脱がされたり触られたりもした。女々しい、男じゃない、女にしてやる。

 ――ああ、お前はとっくに、あの王子のオンナであったか。

 牢に入れられる前、紫嵐からもらった逆鱗は、取り上げられていた。琥珀が所持している意味を、兵士たちは皆知っている。実際には最後までしたわけではなかったけれど、男たちはそうは思わない。王子の精液の味はどうだったとか、あれは優男だから、アッチの方は物足りなかっただろうとか、からかわれた。

「紫嵐……」

 琥珀が捕縛されたとき、彼はまだ、息があった。医師に王族の誰かの息がかかっていたとしたら、あのまま。

 兵士に紫嵐の容態を尋ねても、拳が返ってくるだけだった。誰もまともに取り合ってくれやしない。琥珀に対して口止めをされているのではなく、単純に、はみ出し者の第五王子の生死に興味がないのだろう。

「紫嵐、紫嵐……!」

 自分の腕の中で、痙攣する肉体。鮮血が胸を濡らしていた。琥珀は自分の手を見つめる。そう、この手も真っ赤に染まった。驚きと絶望に染まる目。自分を責めるような……。

「ああっ……!」

 両手で顔を覆う。紫嵐の血の臭いなんてしない。彼の生きた証、痕跡はなにも。

 涙が零れる。嗚咽する。どうしてこんなことに……。

 どうせ独房、ここにはひとりだ。琥珀は遠慮なく、大声を上げて泣いた。そしてそれが少しおさまったとき、コツコツと、誰かの足音が聞こえてきた。見回りだろう。けれど、ここには来ない。素通りして、他の房へ行く。処刑を待つ身、非力な男は泣くことしかできないのだ。

 しかし、琥珀の想像に反して、誰かが近づいてくる。ひとつだけしゃっくりをして、琥珀の涙は完全に止まった。

 重い足音だ。武装した兵士の足音。王子を殺した罪は、公開処刑で償わされると思っていたが、痺れを切らした人間の命で、殺しに来たのかもしれない。

 死ぬのは構わない。だが、どうか教えてくれないか。俺の伴侶は、まだ生きているのか。回復の見込みはあるのか。どうか、それだけでいい。

 足音の主が姿を現すのを、待った。灯りが近づいてくると、琥珀はあまりの眩しさに、目を細めた。

「……あんた、よく泣く人ですね」

 やってきた兵士の声は、想像していたよりもずっと若い。王宮を守る兵士の花形は近衛、それから訪れる人間が最初に見ることになる門番。牢の看守は誰もやりたがらない。犯罪者が喚いたり暴れたり、じめじめと暗い場所を何度も見回りと称していかなければならない。特に夜中の見張りに選ばれるのは、病や怪我、老いなどの理由によって兵士としては役に立たないが、金のために退役することもできない、そういうやる気のない人間が集まっていた。えてして年かさで、市井では「おじいちゃん」と呼び掛けられるような年の男たちである。

 みずみずしく張りのある声に驚いて、まじまじと顔を見つめる。やはり若い、子どもみたいにつるりとした顔をした男だった。

「君は……?」

 しわがれた声に、答えはない。男は薄青の目で、推し量るようにこちらをじっと見つめる。居心地の悪さに座り直すと、彼は「あんた、本当に紫嵐殿下を殺すつもりはなかったんだな?」と、尋ねてきた。

 ここに入れられて初めての問いに、琥珀は興奮して首を縦に何度も振った。ようやく、話を聞いてくれる相手がやってきたのだ。もっと詳しく説明をしなければと思うのだが、まともな会話をしていなかったせいで、思考がうまくまとまらない。

「俺は、紫嵐と家族に仲良くしてもらいたかった……だから、あの、奇劉殿下と話をして……焼き菓子も、彼が」

 ぽつりぽつりと要領を得ない話を、青年は黙って聞いていた。本当に? と確認されて、琥珀は「嘘じゃない!」と、大声を出してむせた。ゴホゴホとうずくまって咳をしていると、鉄格子の向こう側から手を伸ばして、背中をさすってくれた。

「ウッ、ゲホ……本当なんだ、信じてはもらえないかもしれない、けど……」

 琥珀の訴えに、男は頷いた。

「わかってます。あんたのことは、ある人から聞いてる」

 言うと、彼は懐からあるものを取り出し、琥珀に手渡した。限られた光源によって、きらりと銀の星が輝く。震える手で、奪うように取った。

「紫嵐……ああ……」

 投獄された際に取り上げられた、紫嵐の逆鱗であった。ひんやりと冷たく、彼の体温などまったく感じられないのに、ぽたぽたと落ちていく涙に触れると、熱をもつ。

「あんたの人となりを話してくれた人が、取り返してくれたんだ。それで、俺に返すようにって」

 この国で、琥珀のことを気にかけてくれる人間を、紫嵐以外にはひとりしか知らない。黒麗だろう。あの口の上手さで、取り上げられた逆鱗を取り返して、信頼できそうな相手(つまり目の前の男だ)を見繕うことくらい、朝飯前だろう。

 あのへらへらとした笑顔すら懐かしく恋しく、琥珀は泣きながら、唇に微笑みを浮かべた。黒麗が無事であることに、安堵した。

「あの……紫嵐は。彼は、無事なのか?」

 男は兜を深く被り直し、表情が見えなくなった。絶望に陥りかけた琥珀に、男は言う。

「生きては、いる。けれどいまだに予断を許さない状況だ」

 倒れたときに現れた医師は、職業意識の高い、正しい人間であったのだろう。御典医で、他の王族とのしがらみも多々あるだろうに、その場での応急処置も後の治療も、適切に行ってくれた。きっと面会謝絶にもしているのだろう。そうでなければ、とっくに紫嵐はとどめを刺されている。

 男が言うには、医師は懸命に治療にあたってくれている。黒麗は琥珀の無実を信じて、裏でこっそりと調査を進めていて、その折に男は彼と出会ったということだった。

「よかった……生きてる……」

 琥珀は返ってきた鱗を握りしめ、額に押し当てた。一命を取り留めたとはいえ、まだ意識は戻っていないそうだ。自分が祈ったところで気休めにしかならないが、そうせずにはいられない。

 男はしばらくの間、琥珀のことを見下ろしていた。

「……悪いけど、俺にはあんたの処刑を止める力はない」

 何を当たり前のことを。

 琥珀は顔を上げて、きょとんとする。若いくせに牢番に甘んじている、上昇志向のかけらもない青年である。権力者でもあるまいに、どうしてそんなことを言うのか、と。

 琥珀の顔を見て、男は「しまった」という顔をした。くるりと背を向けると、「また様子を見に来る」と言う。

「待って。名前は……」

遼雲りょううん

 短く告げた彼は、来た道を戻っていく。わずかに見える横顔が、誰かに似ていた。誰だろう、と考えているうちに、灯りが遠ざかっていき、再び琥珀のいる独房は、闇に包まれた。


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