苦しみのない狂気から生まれるもの

赤はな

「人格否定」

 夕日が空をオレンジ色に染め、校庭ではそれぞれの部活動が行われている。

「……綺麗……」

 思わずそう呟いてしまう。いつでも見る事ができたはずなのにと、今まで目を向けていなかった事に少しの勿体無さも感じる。

 もっと早く気付いていれば……もう少し……でも…それでも良いんだ。

 私の瞳に…この風景を…焼き付けられるのなら…

「そろそろ…時間かぁ…」

 五時半を伝える地域のアナウンスを聞き…私は…重力に身を任せた。


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「それでさぁ〜」

 昼休み、教室でいつもと同じように皆と雑談をしていた。アイドルの事、嫌いな先生の事や魔法の事。それを思いついたまま話して、飽きたら別の話に切り替える。それをチャイムがなるまで繰り返す。いつもと同じ、だけれどもこの適当さと空気感が私の感性にはよく馴染んでいた。


 けれど…今日はいつもと違った…


「というか、リン遅くない?」

「あ〜、リンならまだ飯食べてたよ」

 カンナの疑問に、後から来たいつものメンバーの一人のアイリがそう言いながら、机に肘を乗せた。

「へぇ〜…なんかあいつ、いつも遅くない?」

 半目で嫌な笑みを浮かべながら、カンナは机に肘をのせ、頬を付いて私達の方へ向いた。

 どういう意図で向いたのか、それが一発でわかってしまう、そんな表情だ。それに皆気付いたんだろう。それぞれ口々に、リンへの悪口を吐き出していった。いつも返信が遅いだったり、会話の中心になりたがっている様でウザい、そんな悪口をそれぞれ…何かを恐れる様に…そして…

「やっぱあいつウザいよね〜。イチカはどう?」

 その機会は私にも例外なく訪れる。

「う〜ん…えっと…」

 皆が口を揃えていた時も考えてはいた。けど、グループ以外でそこまで関わることも無い人のことを、悪く言うことは難しい。

「ん?どしたの?」

 だからといって、周りと同じことを言ったら変な目で見られてしまう気がする…ここは誰も傷つかない感じに言ったほうが良いのかもしれない。

「いやさ、皆で集まってる時以外あんまり話したこと無かったから、ぶっちゃけどうでも良いかな〜」

「中々辛辣だよね〜イチカは〜」

 私の言葉と、それに対する皆の反応に、顔ひとつ変えずに後ろの方を見ている。なんだろう…と不思議に思っていると、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。

「ごめ〜ん!遅くなった〜」

「もう、遅いよ〜!」

「ごめんごめん。今日熱血気取りが居てさぁ、アイツが居なくなるまでずっと食べたフリしてた(笑)」

「あ〜、それはドンマイ。アイツウザいよね〜」

 リンが戻ってきて、さっきまでの悪口大会のムードから一変、いつもの偏見だらけの悪口大会になった…

 というかいつも思うんだけど、なんで誰も残すことを悪い事と認識していないんだろう…?勿体なくない…?

 そんな風に思った感情を内に留めて、私はいつものように少し弱い悪口を流れるままに吐いていった…


_____________________


「はぁ……」

 家に帰り、掃除やお風呂を沸かしたり、食洗機から食器を取り出して棚に仕舞うなんかのいつも通り、一通りの家事を終わらせ、ソファに倒れ込んで、一つため息を吐く。そして、重く感じる指を動かしメールを開く。

【今日のお願い】:六月六日六時

〝今日も遅くなるから、いつも通りやってくれ。来週の金曜日は定時に家に帰れそうだ。その時は、母さんも一緒に夕飯を食べよう。たまには家族団らんといこう。冷蔵庫にイチカの好きなエクレアがあるから、好きな時に食べてくれ。いつもすまない。〟

 メールを読み終わった私は、冷蔵庫にからエクレアを取り出し、テレビで録画していたドラマを見ながら食べ始めた。

 録画していたドラマは、よくあるような恋愛ドラマだった。独身で生真面目な女が、実は根は良い奴のクズ男に惚れ込む…自分からは絶対に見ないであろうタイプのドラマだ。けれど、クラスの女子の間ではこれが凄い流行っている。

 正直、見ていて面白いとは思えない。こうなりそうだな、と思ったことが少しひねった味変程度で出される…正直言って退屈だ。私は五分も経たない内に、スマホでゲームをしながら、ドラマの内容をながらで見続けた。

 ドラマを見終わり時計を見ると、現在の時刻は六時四十分。そろそろご飯を作ろうと思い、重い腰を上げて台所に立つ。冷蔵庫にあるのを考えると…魚肉ソーセージとじゃがいもでポテトサラダ。ネギと卵と白菜で中華スープ、漬けておいたきゅうりの浅漬、それと…スーパーで安売りされてたレバーで、ニラレバにしよう。

 そう思い、冷蔵庫からそれぞれ材料を取り出す際中、魚肉ソーセージが前より一本少ない事に気付く。恐らく、父さんが食べ足りなかったか、それとも小腹を満たすために会社に持って行ったのかのどちらかだろう。

 正直困る……せめて、なにか書き置きを残しておいて欲しいものだけど…まぁ…父さんの稼いだお金だからしょうがないし、自由なんだけどね……だけど……

 私は逃げ場を求めるように、近くに置いてあるフォトフレームに入れられた一つの写真を見た。写真には、長い黒髪の女性が小さな子に抱きつかれている姿が写っている。ただそれだけ、だけど飽きることのなく、何度でも見れる、そんな写真だ。

(人には優しくありなさい。当たり前に人に優しくなれたら……)

 この写真を見るたび、優しい母に思いを馳せる。来週、久しぶりに会える。その時は…今度こそ教えて貰おう。それまでは…ちゃんとしないとね!


_______________________


 媚びへつらう姿勢。それは背を真っ直ぐにはせず、少し膝を折り、前かがみにすることで、精神的には勿論、物理的にも相手に格下だと思われるために取る姿勢の事。

「そのネクタイ立派ですね!部長!」

 やっていて辛いのはやる方だけじゃない。やられる方もやられる方だ。上っ面だけのごますり。目を見ればわかる。出世欲に取り憑かれた純粋な目をしている。その純粋さが、俺は嫌いだ。なにも考えず、ただただ金の為に働く。そんな浅はかな働き方、長くは続けられない。長く続けられないのなら価値はない。金も株も学校も会社も…そして……家族さえも……

「ただいま」

 家に入ると、人気の感じない廊下が真っ先に目に入る。現在の時刻は十二時。人が居なくて当然な時間。理屈ではそう理解していたとしても、やはり寂しさは感じるものだ。

 沸かされた風呂に入り、就寝用の衣服に着替え、食卓につく。

 テーブルは除菌によって拭かれている様で、汚れ一つ無い。台所の方を見ると、ラップを掛けられた料理がそこそこの数並んでいた。

 台所に立ち、余計な物を伏せてから、並んである料理をレンジで温め、黙々と食べる。いつも通りの味だ。美味しい美味しくないで評価できない味。家に帰ってきたと実感する味だ。けれど、明日の八時半にはもう家を出なければならない。睡眠時間や着替えを考えるとを考えると、自由に使える時間はせいぜい一時間弱だ。大きなプロジェクトがあるからとはいえ、もう少し時間が欲しい。

 夕食を食べ終わり、自分の戻る頃には時刻は一時になっていた。机の方を見ると、ネットで買ったゲームのソフトが数えるのも面倒な程積み重なっていた。

「……たまにはやるか……」

 そう思い、ゲーム機を手元に持ってきて、何をやろうかとパッケージを広げ気になったものを手に取る。そして、パッケージを開けようとした。けれど……

(……やっぱいいや……)

 手に持っていたソフトを机に置き、スマホを手に持ってベッドの上に倒れ込む。そして、動画サイトでレトロゲームのゆっくり実況の動画を見始める。そしてそのまま、眠くなるまで動画を見続けた。


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 朝を告げる不愉快な音が、枕元から鳴り響く。現在の時刻は七時半。家を出るまであと一時間。会社へは車で片道二十分。急いで行けばおおよそ十三分。その気になればもう少し寝ること自体は出来る。けれど、メールの確認、身支度、軽い食事、それらをやるには、今起きるしか無い。

 ベッドから身を起こし、重くゴロゴロと感じるまぶたを擦り、リビングへ向かう。

 リビングに降りると、テーブルに高タンパク質のヨーグルトとおにぎりが置いてあった。イチカはもう学校に行っている時間だ。そのためか、リビングにはなんとも言えない空気が流れているように感じる。

 テーブルの上をおにぎりを食べながら、いつものようにメールを確認する。つまらないが、確認しなければ業務に滞りが発生してしまう。結局どれだけ言い訳を並べてもやるのなら、割り切ってやった方が得策だ。

 そうしてメールを確認していると、あるメールで、動かす指が止まる。それは、どういう意図があって、止めたのかは自分でもわからない。けれど、一つだけ分かったことがある。それは…

〝課長、先日の件は私の不手際でご迷惑をお掛けし、大変申し訳御座いませんでした。その件のお礼を後日させてください〟

 俺の中の何かに少し亀裂が入ったような気がした。


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「あっ、この間休んでた分のプリント持って来るの忘れちゃった」

「あれ?そもそもカンナには配られてないんじゃない?」

「それがさ、机の中に入ってたんだよ。ごめん、ちょっと取ってくる」

「…………」

「ッンチ」

 そう言い、カンナは足早に被服室から教室へ戻っていった。

 私にとって、嫌な予感しかしない状況、けれど、それを嘲笑うかのように皆の明るい声色。一見すると、家庭科室で授業を待っている普通の状況……それなのに…嫌な記憶が蘇ってくる。

「………」

 トラウマ…その言葉が蘇ってくる。自分の事ではないのに…まるで自分のことのように思えてくる。標的となったリンは、今のところ目立ったイジメは受けていないみたいだ。すれ違いザマの舌打ち、無視、トイレ中のドアキックぐらいだ。身体的被害が無い分、幾分かマシだろうけど、辛いものは辛い。けれど…今は手助けできない。私はこのグループに居たいし……心配を掛けたくないしね……


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「………」

「おかえり、今日の学校どうだ…」

 家に帰ってきた私は母さんの言葉を無視して一目散に二階の自分の部屋に駆け込んで、ベッドに倒れ込んだ。

 顔を見せたくなかった。同情をされたくなかった。親に可愛そうな目を向けられたくなかった。いつも自分が可哀想に見てる子と同じになるのが嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。嫌だ。

「………どうしてこうなったんだろう………」

 返信が遅いから?既読が遅いから?ご飯を食べるのが遅いから?無理に目立とうとしすぎた?なんでなんでなんでなんで……

 ピロン、とラインの通知音が、無音なのに騒がしく、グちャぐチャな私の頭に鳴り響く。スマホを急いで開くと、イチカから一つメールが来ていた。

[今時間大丈夫かな?]

 ……イチカとはあんまり話したことがないな…怪しいけど……今は…

[大丈夫]

[了解。えっと…大丈夫?色々と]

[大丈夫だよ〜むしろこれくらいならバッチグー!友情を育むには喧嘩が必要だって言うしね(笑)]

[私は、リンとのやり取りを誰かに言ったり見せたりするつもりはないよ]

[だから、本心で答えて]

[お願い]

[どうしてそんな寄り添おうとすんの?]

[友達でしょ]

 はぁ…何言ってるんだろう…正直そう思った。けれど、少し胸が軽くなった気もした。私はスマホでフリック入力で少しだけ、悩みを打ち明けた。


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「それでさぁ〜」

「あはは、確かに〜」

「あ、もうこんなところまで。自分はこっちだから、じゃあね」

「了解。じゃあまたね。それでさぁ〜」

 私はカンナ達と分かれ、自分の家に向かう。その道中、見慣れた顔の女の子が視界に入る。

「待っててくれてたの?」

 私の言葉に、リンは首を縦にふる。

「まぁ…この道通るのあのグループだと私達しか居ないし…良いかなって」

「確かにね」

 合流した私達は、いつも通りの話をした。最近見ているドラマだとか、美味しかったお菓子とか、そんな感じの他愛のない話を家につくまで繰り返していった。


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「…はぁ……」

 イチカと駅で別れた後、私は一つため息を吐いた。ここ数日、私達はカンナ達に隠れてコソコソと話している。前と比べてかなり楽にはなったと思う。けれど、それども少し心になんとも言えない感情が渦巻いているような気がする。

「本当にこのままで良いのかな……」

 まだ中学二年生。カンナ達のグループは私を入れて八人。正直、今までのと比べると、寂しさや物足りなさは感じる…けど、しょうがない。全部全部私がわるいんだから……

 自分自身に嘘をつき、どうしようもない気持ちのまま、自室に戻る。すると突然、スマホから通知音が鳴り響いた。スマホの画面を見ると、一個のメッセージが届いていた。

[最近、イチカと仲良いみたいだけど、教えてくれない?色々]

「……!?」

 それは…紛れもなくカンナのものだった。私はどうしたら良いのかわからなくなり、スマホをベッドの方に放り投げた。

 現実と向き合いたくない。多分、このメッセージに対する返答一つで私の行く末が決定されてしまうようで。

 私はベッドに倒れ、どうしようかと考えた。どんな返事をすれば良いのか。まず一言目はどんなことを言ったら良いのか。誰かに相談するべきなのか。そんなことがずっと頭の中をグルグルと回っていた。そして…ある一つの考えが思いついてしまった。それをすれば、もしかしたら私が元に戻れるかもしれない……けれど…

 私は罪悪感を抱えながら、一階の母さんの元に向かった。

「ねぇ、母さん」

「なに〜?」

「母さんは、誰かを犠牲にして何かを得たことってある?」

「急にどうしたの?授業かなにかでやったの?」

「うん。それで、少し気になって」

「う〜ん…そうねぇ…」

 母さんは少し困った顔をした後、少し悩んだ顔をしながら口を開いた。

「あるけど…正直あまり覚えては無いわね」

「覚えてないってことある?」

「色んなことをしていると、嫌なこととかはすぐ忘れちゃうのよ。だから、自分のせいで、誰かが不利益を被っても、罪悪感を感じるのは少しの間だけ。それで、自分の人生をより良く出来るのなら、多少はしょうがないと割り切っても良いとは思うよ」

「う〜ん……」

「まぁ、子どもには少し難しい話よね。でも、社会に出たら、他人を出し抜いてでも自分達の事を優先いけないんだ。実際、私達がこんな風に裕福に暮らせてるのも、お父さんが私達に良い暮らしをさせようと、他人を出し抜いて頑張っているからよ」

「……」

「って、貴方にはまだ早いか」

 そう言い微笑むお母さんは、言ってる内容とは裏腹に、とても優しい声色だった。

「そっか。ありがと。参考にさせて貰うよ」

 私は部屋に向かいながら、スマホでメールを開いて、スマホに入力をする。


____________________


「ただいま〜」

 腕時計を見ると、今の時間は五時半…リンと話してたから、いつもよりだいぶ遅くなっちゃったかな。そう思いつつ、靴下を履き直して、リビングのドアを開けようとする。けれど、一瞬私の動きが止まった。

 〝中から誰かの声が聞こえる〟

 私はドアの取っ手に触れたまま、固まってしまった。落ち着け、少なくともこの時間帯にはお父さんは帰ってこないはず……

 私は恐る恐るリビングへのドアを開けた。

「ん…?あぁ、イチカ。おかえり」

「お邪魔しています」

 リビングには、お父さんとスーツ姿の女の人が居た。

「えっと…今日は早かったの?それなら、連絡してくれれば良かったのに。一応スマホは持っているわけだし」

「悪かったよ。今日は予定より仕事が早く終わってな」

「珍しいね。そのお姉さんに手伝って貰ったの?」

「あぁ、会社で色々とやってくれてる、私の部下の宮奈さんだ。挨拶しなさい」

「あっ、はじめまして」

「はじめまして。宮奈ミヤネと言います。月光つきひかりさんにはいつもお世話になってます。よろしくね、イチカちゃん」

 そう言い、私にニコッとした微笑みを向ける宮奈さんは、少し変な感じがした。ただ優しく接する、というより、優しさとは別の方向性の感情が混ざっているような…

 私が、少し気まずそうな顔をしていると、お父さんが少し明るい声色で、すごい事を言ってきた。

「今日は、宮奈さんが家事をやってくれたから、イチカはいつも頑張っている分、ゆっくり休んでくれ」

「えっ…?」

 自分の耳を疑った。ただお世話になってるだけの部下の人が、そこまでやる?そんなわけ無い。となると……いや、考えるのはやめておこう。明後日はお母さんと一緒に過ごせるんだ。余計なことは考えちゃ駄目だ。

「うん、わかった。じゃあ、私は二階で課題やってくるよ」

 そう言い残し、私はすっかり居心地の悪くなったリビングを後にした。


______________________


「おはよう」

 登校した私は、いつものように皆に挨拶をする…けれど……

「…………」

 返事は返って来なかった。……なんとなく察した。多分、リンとコソコソと関わっていたのがバレた。…どうしよう……メールだと、遠回しに無視しようみたいなことは言ってたから、コソコソと会ってたけど…一体どうして分かったんだ?リンと合流してたところだって、別れ道からそこそこ進んだところだし……

 私が色々と考えていると、教室の前のドアからリンが入ってきた。

 そうだ、冷静に考えれば、もうコソコソとしなくて良いんだ。堂々とリンと話せる。逆転の発想でいこう。そう思い、私は久しぶりにリンに「おはよう」と挨拶をした。けれども、返事は返って来なかった。それも、別に私に気を使ってというわけでもない。単純に皆と同じ感じだ。

「おはよう」

「お、おはよう、リン。昨日のドラマ見た?」

「うん、見た見た」

 どうなってるんだろう…けれど、一つ分かった。また…こうなった。昔からそうだ。なんでこうなっちゃうんだろう……


_______________________


「…はぁ…ふぅ……」

 深呼吸とため息が混ざったような吐息をもらす。スマホの地図によると、お母さんが入院している病院は此処で間違いないはず。定期券で、家からの最寄り駅から五駅程離れた、それなりに遠いところにある。それに関して、少し気になる事もある。私の家の近くにも、入院出来るタイプの病院はある。それなのに、なんでこんなに遠い所に入院してるのか…聞いてみよう。

 私は病院に入って受付をし、お母さんの個室に向かった。大きい病院だからか、受付の所から、かなり距離があるようで、中々着かない。

 少ししてお母さんの個室に来ると、何か懐かしさを感じた。此処に来たのは何年ぶりだろう…少なくとも、お父さんが此処に連れてきたことは殆どなかった。大体はお婆ちゃんだったりお爺ちゃんだったりで……

「はぁ…」

 私は一つ深呼吸をして、ドアをノックした。

「はい、どうぞ」

 懐かしい声が中から聞こえ、私はドアを横にスライドさせて開ける。

 ドアを開けると、懐かしい顔をした……お母さんが、ベッドに半分起き上がるような体勢で私の方を見て微笑んでいる。

「面会の方がいらしたようですので、また後ほど来ます」

「はい、お手数お掛けします」

 そう言い、何かをチェックするような物を持った、銀髪のお医者様っぽい人は、お母さんの個室から去って行った。

「…えっと……」

 改めてお母さんの方へ向き、目を合わせる。話そうと、色々と考えてはいた。けど、いざ対面すると、中々言葉が出ない。別に気まずい訳じゃない。ただ…なんとも言えない緊張が私にはあった。

「イチカ、ちょっとこっちに来てみて」

「ん…あ、うん」

 私は少し戸惑いながら、お母さんに言われるがままに近づいた。

「ん…」

「大丈夫だよ」

 柔らかい感触に、髪を撫でる優しい手の感触……母の温もりが私を包み込む。

「懐かしいね。昔はよくこんな風にしていたね」

  懐かしさと温かさ。それが私の心に染み入る。憂鬱だった気分を…今だけは忘れて、家事だったりなんだったりする苦労も忘れて…

 その後、私はお母さんの懐で甘えながら、お母さんの子守唄を聞いた。


___________________


「今日は来てくれてありがとうね。イチカ」

「ううん、突然ごめん。今度はお土産を持ってくるよ」

 そう言い、すっかり夕暮れの明かりが差し込む病室を出て、病院の入口の方へ向かう。久しぶりに会ったけど、意外と変わって無く良かった…そんな感情を胸に、歩いていると……

「少しお時間よろしいでしょうか?」

「え…?」

 後ろから呼び止められた。声の方に向くと、最初に病室に居たお医者さんが居た。

「えっと…なんの御用でしょうか?」

「……月光さんの娘さん。貴方は…どうしてお母さんが入院しているのかご存知ですか?」

「…えっ…?」

 言われてみれば、知らない……なんなら考えたことすら無かった……忙しかったし…でも…それだけでそんな事になるのかな……

「どうやらご存知無いようですので、お教えいたしましょう。ついて来て下さい」

「え…あっ、はい」

 

________________


「ここなら、ゆっくりと話せますね」

 そう言い、お医者さんはベンチに腰をおろした。ついて行ってついた場所は、病院の敷地内にある、患者さん用の中庭だった。どうして此処まで来たんだろう…と少し思いながら、私もベンチに座った。

「では、貴方の母の入院理由をお教えしますが…その前に何か質問はありますか?」

「……はい。どうして、私に教えようと思ったんですか…?」

「…同情ですね」

「……同情…?」

「まぁ、これは後ほど分かることではあるので、本題を話した後お答えいたします。他には何か?」

「いえ…他には特に…」

「なるほど。でしたらお話いたしましょう。貴方の母、月光ステラさんは…精神障害で入院しています」

「……えっ!?そんなふうには全然…」

「でしょうね…」

「それってどういう……」

「実際に、月光ステラさん…貴方の母は、目立った精神障害はありません。それどころか、はたから見れば、一般的な人とは少しも変わらないように見えます」

 私はその言葉の意味がわからなかった。は?一般の人とあまり変わらない?それじゃあなんで入院なんて…そもそも、精神障害で入院ってどういう…

「問題なのは、なりふりなどではなく…もっと奥深くの…根本的な無意識の領域」

「無意識の…領域…?」

「ええ、潜在意識とも言います。貴方の母は、その潜在意識にこのような考えを持っているのです」

 私は固唾を飲んで、次の言葉を待つ…そして…お医者さんから出た言葉は、想像にもしなかった事だった。

「〝人に優しくすれば報われる〟〝人に優しくするのは当然〟とね」

「…えっ……?」

「驚くのも無理はありません。そんな事だけで入院するの?と思うでしょう。しかし、問題なのは、ここから先です」

「…………」

「娘さん、貴方は…〝無酷狂気レイジ〟というのをご存知ですか?」

「レイジ…?いえ…初めて聞きました」

「はい、無酷狂気レイジはあまり一般的な言葉ではありません。ニュースでもなんでも、無酷狂気レイジを無酷狂気として認識するには、中身を見る必要があり、パット見じゃ理解できませんから」

「それで…結局その無酷狂気レイジというのは何なのでしょうか…?」

「ええ、お伝え致しましょう。無酷狂気レイジとは、歪んだ考え方によって発症する超常現象です。無酷狂気レイジを発症すると、魔法とは別の、所謂、異能力を得ることになります」

「なるほど…でも、母が歪んだ考え方をしているようには…」

「貴方が理解できなくてもしょうがないです。なぜなら、幼いうちに植え付けられていますから」

「…………」

「それで、無酷狂気レイジの話でしたね。無酷狂気レイジの能力は、その発症者の考え方によって、発症する能力も変わります。例えば、学校に行くのがあまりにも嫌だったなら、魔力の消費はなく、無制限の爆発能力を。他責思考を拗らせると、他人がやったという状況証拠を作り出す。そんな感じです」

「それで…お母さんが発症したそれは、一体どういう内容だったんですか…?」

「はい…それは……」

 お医者さんは、さっきまでのような無愛想な感じではなく、少し言いづらそうな表情で、口を開く。

「貴方の母に発症した無酷狂気は…何をやっても裏目に出て、その思いの強さに比例するかのように、真反対の結果になってしまう……〝人格否定パラドックス〟と呼ばれるものです」

 私は、その言葉に…その言葉に……なんだろう…絶望…なのかな……自分の中に有った、お母さんのイメージ。そして、それを嘲笑うような、欠点と概念……そして、実際に起こっていると実感した記憶……

「それらが、貴方の家族を蝕み……私共で預かっている訳です。しかし、勿論入院費はかかってしまう。そこで、まだ分からない事の多い、無酷狂気についての研究に協力して頂いております」

「………なるほど……本日は…ありがとうございました……」

 そう言い、去ろうとした私に、お医者さんは最後に私に声を掛けた。

「貴方も…そうなってしまったら…相談して下さい。その時は、貴方の力になりましょう」


________________________


「はぁ…」

 私は、相反する二つの感情が混じったため息を吐き、呆然と景色を眺めていた。鼻に感じる慣れない香水の匂い、なんとも言えない着心地の悪さ、舌に記憶されたさっぱりとしたポン酢の風味……

「……綺麗…」

 思わずそう呟いてしまう。いつでも見る事ができたはずなのにと、今まで目を向けていなかった事に少しの勿体無さも感じる。

 もっと早く気付いていれば……もう少し……でも…それでも良いんだ。

 私の瞳に…この風景を…焼き付けられるのなら…

「そろそろ…時間かぁ…」

 五時半を伝える地域のアナウンスを聞き…私は…重力に身を任せた。

 これは…何もかもが上手くいかず、何も成し遂げられなかった私の……


 〝初めての成功体験だ〟


 純粋故に無個性、それ故の凹凸無き歯車

 【〝人格否定パラドックス〟 完?】


 

 To be continue 12月20日


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2024年12月20日 21:00

苦しみのない狂気から生まれるもの 赤はな @kagemurashiei

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