maxim of loves

第1話

西日が眩しい。


でも胸が踊る。


だから廊下を歩く足が軽やか。



それは私の秘密の時間。



ホームルームが終わった時間と部活が終わる時間のちょうど真ん中。



真っ暗じゃない時間。


孤独じゃない時間。



だけど、私に誰も気付かない時間。



職員室に入る。



「せんせー」



顔だけ出してVサイン。



声で先生は古い椅子をギィッと音を鳴らして振り返った。



今日は先生一人だ。


ラッキー。



だけど先生は私だって気付くと、また背中をむけて机に向かう。



「ちょっとー、無視ですか?」



近付いて顔を覗くと、先生は呆れ顔だった。



「また来たのか?」


「うん、来ちゃった!!」


「……卒業生が何の用だ?」


「先生もたまには女子高生が見たいかなーって」


「毎週毎週おつかれさん。女子中学生も女子高生も、俺からしたら皆一緒に見えるけどな」



先生って冷たい。


卒業したら、もう面倒見る必要もない、ただのガキなのかな……。


私だって、卒業したくなかった。


でも早く大人にもなりたい。



ジレンマ。



先生は立ち上がって、隣の資料室へ入っていく。


私も黙って着いていった。



私が入ってきたことに先生は迷惑そうに眉をひそめた。


ここは暗黙の了解の先生達の喫煙所。



でも中学生だってバカじゃないんだから、なんとなく生徒達は気付いてる。



だから促した。



「いいよ、吸っても」


「え?」


「私は卒業してるし、誰にも言わないし……つーか大体みんな知ってるよ?」


「……」



ポケットをまさぐった先生は「扉はきちんと閉めなさい」とだけ言って、机に腰掛けた。



扉を閉めてあげると、先生がライターで火を付ける。


吸ってるのは知ってたけど、見るのは初めて。



職員室とは違って電気を点けてなくて、夕日の光だけでホコリがキラキラ舞って、見たことない先生の大人の姿は逆光で……


ドキドキして溜め息が漏れそう。



私がゆっくり近付くと、先生はわざと私の顔に煙を吐いた。


ギュッと目を瞑って、手で顔を覆った。



「ちょ…ゲホッ、コホ」


「お前さー先週、教頭先生にも言われただろ?『よく来るね』って」


「生徒指導のゴリにも『在学の時よりたくさん来てるんじゃねぇの?』って嫌味言われた」


「うん、来すぎ」



先生は顎で扉を指し『帰れ』と示す。


なんで来るのか、わかっているくせに……先生は酷い。



「お前さー……」



タバコを吸ってない手で頭を撫でられた。



「高校……楽しくないのか?」



「ん?」と覗き込むように心配してくる先生はズルい。



「学校は…楽しい」


「おぉ、よかった」


「友達出来たし」


「何より何より」


「男の子とも遊んでる…よ」


「へー」


「……でも高校には先生がいないじゃん」


「……」



先生はただ黙ってワシャワシャッと頭を撫でた。


……すぐ子供扱いする。



せっかくキレイに巻いてきた髪も、先生には眼中にないみたい。



「暗くなる前に帰りなさい」



触られていた手も離れて、寂しくなった。



「先生……今度デートしない?」


「ダメ」


「卒業したからいいじゃん!!じゃあさ、連絡先だけでも教えてよ」


「ダーメ」



先生はタバコをくわえて、背中を向けた。



酷い。


酷いよ。



じゃあ、なんで──



「なんで卒業式の時、キスしたんですか?」



先生がゆっくりと振り返った。



そしてお互いに沈黙が走る。



先生が一歩近付いて、腰を曲げて私と目線を合わせた。



タバコの煙をもう一度、フーッと掛けられた。



顔を背けたかったけど、涙目で堪えた。



先生はフッと鼻で笑った。



「お前って、見た目垢抜けてる割りにガキだよな」


「……ガキじゃないよ」


「ガキだよ。駆け引きってのを知らないのか?」


「……知ってるよ?」


「お前の駆け引きなんか、たかが知れてるよ。俺からしたら充分めんどいガキのストレートだ」



めんどう…


わかってたけど。


大人の駆け引きなんて、私にはわからない。


知ったところで、先生に敵うわけないじゃん。



先生のポロシャツの襟を指でなぞる。



先生は動くことも言うこともなく、ジッと私を見ていた。



そのまま正面から先生の肩に頭を預けた。



「You taught me how to love you. Now teach me to forget.」


“あなたは愛することを教えてくれた。


今度は忘れることを教えてください。”



きちんと勉強してこなかった私だから、きっと発音がなっていない。


先生に伝わってなかったら、それはそれでいいとも思った。



胸が苦しくて、たまらなくなって、


私は先生から急いで離れた。



そのまま顔を見ずに資料室から出よう



──としたけど、無理だった。



先生が私の手首を掴んでいる。



「こどもの世界って狭いよな」



ポツンと言われた言葉には、どこかバカにした笑いも含まれていた。



「中学校、高校と成長すれば世界も広がる」


「先…生?」


「そうだろ?家が全ての世界だった幼稚園の頃には『パパと結婚する』って奴も世界が広がれば、そんなバカげた言葉も忘れちまう」



先生に腕を引っ張られて、無理やり向かい合わせにされた。



「お前はまだ発展途上の狭い世界でたまたま近くにいた男の大人の俺に憧れを抱いて、恋だのなんだのって勘違いしてるだけなんだよ」


「……」


「これから大人になって、格好良い彼氏を見つけて、『そう言えば先生を好きだって思ってたことあったっけ?子供だったわ』って笑う日が来るんだよ」



まるで恋した生徒を注意するためのマニュアルみたいなテンプレートを並べる先生。



子供も大人も……所詮はつまらない人間だ。



「だから俺がわざわざ教えなくても勝手に忘れていくよ」


「──っ!?先生、わかったの?」



先生はまた鼻で笑う。



「英語教師なめんなよ?」


「……」


「ま、お前の学力の割には『よく出来ました』だ」



先生の手が離れた。



「ほら、帰りな」



帰ろうとしたところを先生が引き留めたくせに、すぐに突き放す。


ひどい。


ずるい。


その言葉しか思い付かない。



どうやったら……忘れられるの?


立ち尽くす私に先生は携帯灰皿でタバコを揉み消して、バカにしたような笑いで私を見た。



「先生の……バカ!」


「バカで結構」


「違うし!」


「何が?」


「勘違いなんかじゃ、無いもん!!」


「……」


「私は……私は、ちゃんと先生が好きなんだもん!!」


「……どうかな」


「好きだよ。高校卒業しても、大人になっても、先生が好きだよ!」


「……本当か?」


「……え?」


「本当に言えるのかよ、そんなこと」



先生の声はやっぱりどこか私をバカにしている感じだった。


それが悲しくて、うつむいた。



「……おい、こっち来い」



立ち上がった先生は私を引っ張って、今度は私を机の上に座らせた。


目の前に立つ先生が私を見下ろした。



「キスした理由……知りたいか?」


「……え?」


「ガキっての日々大きくなって、どんどん忘れていくからな」


「先生?」


「ここでひとつ特別授業してやるよ」



“It takes only a minute to get a crush on someone,


an hour to like someone


and a day to love someone,


but it takes a life time to forget someone.”




先生が口ずさむ英語は歌みたいで、私はボーッとした。



「わかんねぇのか?バカだな」


「……だって長いし、」



先生がクスリと笑った。



「俺には駆け引きが必要だからな」


「え?」


「あとからやっぱり勘違いだったなんて言わせねぇようにしてやるよ」



“誰かに恋するのは1分


好きになるのに1時間


愛せるようになるまで1日


そして、愛する者を忘れるには、一生かかる”








先生がゆっくりと机の上で押し倒してきた。



「……先生」



覆い被さってきた先生はやっぱり笑う。


優しげな目で、意地悪な手で、妖しげな口で。



「なぁ……忘れられるもんなら忘れてみろよ?」





忘れさせやしないから


覚悟しろ



先生のタバコの香りが私へと移った。






-end-

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